考えていること | 陽炎の帯の上へちらりと逆まに映る鴉の影―どーすかΩ

陽炎の帯の上へちらりと逆まに映る鴉の影―どーすかΩ

この部屋の中にいるヤツに会いたいのなら もっと、寿命をのばしてからおいで

考えなくちゃいけないことがたくさんありすぎてたいへんです

とにかく、書いて書いて書きます

繰り返し同じ話になっても、書きます


 権力関係やイデオロギー抜きの自由な討議空間って、本当に「自由」なのだろうか、そしてそもそも可能なのか?耳に心地よい・誰にも否定できない・PC的な当たり障りのない意見しかない空間に、学問を発展させるような知的潜在力は宿りうるのだろうか。以前から極めて疑問

 その線引きはどうする?何をもって暴力的で過激だとするんだ?学内規制反対・学費値上げ反対と大書したビラは速攻当局に剥がされたが学問の発展を阻害する暴力的で過激で迷惑な表現なのか?そうではあるまい。

 各人の良識に委ねる?現状、僕の良識が正当だと「判断」しても当局権力によってビラは簡単に剥がされてしまう。実質的に権利がないのだから、君はそれに反対するんだね?

 もうひとつ、論点が抜けている。イデオロギーや権力関係による汚染を受けていない無色透明な・絶対に否定されない不敗の・零度の表現なんてどこにも存在しない。パスカルは、陽の当たる場所にわが身をおくということはすべての簒奪の始まりである、と書いている

 構成的理念ではなく統整的理念である、と。でも僕は「自由な討議空間が不可能」ではなく、汚染のない零度の表現なんてどこにも存在しないのだから、イデオロギーや権力抜きの表現ならびに討議そのものが、論理的に不可能だといっているんだ。

 それに。君の理屈では、キャンパスから政治が追放された今日の早稲田では(早稲田祭からの革マル外し、地下部室根絶に伴うノンセクト死滅)学生の知的水準は向上していなければならないはずだが…。

・自由には二種類ある

ポリティカリーコレクトネス的な形式的自由と、実質的な政治的自由とである

前者は住み分けを、後者は(相互に可傷的な)対話を志向する


・人間の本質は多数性である

人間は根源的に社会的(政治的)存在であり、そのために矛盾に引き裂かれている

その矛盾とは、自己実現(幸福)と自己否定(贈与)であり、恒常性(主体性)と再帰性(反省性)である


・完全に純粋な表現は、(人間の多数性の為に)論理的に不可能である

デリダの差延、零度のエクリチュール批判


・政治や社会がなければ、生活や文化が衰退する


現在はどういう時代であるのだろうか

こんなことをぼんやりと思います。

現在はどういう時代であるのだろうか。

ジャーナリストで、大隈塾のゼミを担当されている高野先生は「混迷を極める現代」なんてよくいいます。

でもよくわからない。

それで考えたんですが、今がどういう時代であるのか、それを見極めるのがむずかしい時代だ、ということなんじゃないだろうか、と逆説的な仮説にたどりつきました。


いまは、世界史的には冷戦以後の世界、ポスト冷戦構造下にある、ということだとおもいます。

そしてポスト冷戦構造というのは、要は既存の左右の図式が崩れた世界であるということでしょう。

これまでの認知地図、世界認識が失効してしまったということです。

政治的な敵対者、競争相手がいなくなってしまったから、反って、自分が何者であるのかということもわからなくなってしまった時代なんじゃないか。

自分が誰であるのか、自分が置かれた状況がいかなるものであるのか、ということは、「他者」や「異質なもの」を鏡のように利用して、それを経由迂回してから初めてわかるものです。


自分を省みること、再帰的に反省することが、個人を取り囲む環境、社会、世界、の前提的条件、構造的規定のために困難であるということ

自由主義、民主主義、資本主義という選択されたイデオロギーの効果である

冷戦対戦時における西側諸国の

脱臭、無菌化、漂白

忘れてはいけない

冷戦は一種の世界大戦

コミュニズムに対する教養的知識をひとまず身につけて相対化した方がよいと思う

歴史の終焉

ネオコン

アメリカニズムの勝利

石原慎太郎、レイシズム

ネオコンサバティブ文化的保守主義(原理主義)と経済的自由主義の奇妙な合体

思想(イデオロギー)なき抑圧

労働組合から市場主義へ

小さな政府は意思決定を市場に委ねる

ニヒリズム、相対主義

一定度賢い

決定不能性

グローバル資本主義は国家を超えている

税金逃れをして国民を一方的に食い物にしている


管理監視社会化

管理主義、割れ窓理論

軽微な犯罪を徹底的に取り締まることで凶悪な犯罪をも未然に防ぐことが出来る?

腐った蜜柑は取り除かれなくてはならない、なぜなら蜜柑を箱ごと腐らせるからだ?

金八見て来い

テロとの戦争は終らない

みんな潜在的テロリスト

爆発するその瞬間まで不明

通報、無菌化、美化、ゴミ箱の撤去

疑わしきは排除せよ

禁酒禁煙、警備強化、治安第一、安心安全

野宿者排除

身分が明らかでない者は存在することが認められない

無気力学生、動物、オタク、引きこもり、ぼっち

サブカルチャー、インターネット、タコツボ

セーフティーネットとして機能しているが不十分

分裂より解離のほうがマシだが

同一性がなければ今日の社会矛盾を解決することが出来ない

同一性という「悪」の源泉を敢えて採るべきである

近代的主体性というフィクションの再生


説話論

機能であって意味(理由)でない

そういうふうにできている、という思考停止


街の悪所は必要である

「犯罪抑止」のためにその温床となりうる文化的空間を排除・解体する

ダンスクラブ、風営法、ドラッグ?、性風俗産業、飛田解体
児童ポルノ法、ネット規制

ゲーテッドコミュニティー、銃社会

米国スノーデン事件

見えない「アメリカの陰謀」に踊らされているおめでたいオツムの人?

麻原もかくやという中学生的陰謀論が「事実」だから恐ろしいのである

そういうハリウッド的なしょうもなさに満ちた世界がまさにイマココの世界であるという認識を持ちましょう

911以後のアメリカのしょうもなさ

顔の見えない近隣住民の苦情の為に集会を禁じる

ここは

広場が通路になる、通勤と遊歩

声から退去へ

ポリティカリーコレクトネス、ハラスメント、住み分け

消費社会、フェミニズム、逃走戦略

弱者の中の弱者、サバルタン

一番弱い者の味方であると名乗り出た者が最強である

声なき声、ムーゼルマン、回教徒

資本主義社会、共産党独裁、世界同時革命、共産主義の実現、理想の王国

共産党独裁期、一国社会主義、スターリニズム

レーニンが始めスターリンが完成した

唯一的前衛党から放たれる啓蒙電波

司令塔、余りにも普き光

ハーヴァーライト?

華青闘告発、組織への嫌悪

社会民主主義、穏健な漸進主義、資本主義体制内に残り、平和的に改善する

反スターリニズムは政治の否定にたどり着く

直接民主主義の現実的な姿は…市場主義による自己責任論

政治の縮減は、68年革命の「勝利」である

大学解体、構造改革

保守政党自民党は「ぶっ壊された」のである!

さようなら、既得権益層たち

政治の本質は多数性である


流派、党派、師弟関係

主体化=服従化

超越的モデル

父を内面化する、絶対性・中心性

分裂病=動物

解離=多重人格=マルチアカウント=キャラクター

同一性、悪としての抑圧的・排他的フィクション

政治・歴史・社会・教育の条件

差別・貧困・暴力・環境破壊


×オタク、引きこもり的撤退、おたく(ガンダム宇宙史、歴史の欲望)とオタク(萌え、データベース的消費、日常系)

×フェミニズム、マイノリティ運動、配慮とハラスメント「事前」防止

×経済的自由主義、市場主義、管理主義に転化する

×オウム真理教、偽史的想像力、作る会、在特会、石原慎太郎的な文化的保守主義

なぜレイシズムに走るのか、「歴史」を語ることが出来ないから

×内ゲバ的、ろくでもない過激派前衛党、新左翼、トロツキズム、暴力主義


アイロニカルなモダニスムに指針を採る

レスワース、見つけた中で一番マシ、最適解

修正(留保つきの)天皇主義=護憲主義

九条の理想を実現するために世界政府(間国家的法秩序体制)の樹立を目指す

「時限的共産党独裁」の位置に時限的ナショナリズム、インターナショナリズム

社会福祉主義

国家主義、民族主義ではなく国民主義としてのナショナリズム

「国民」の枠を拡げていく

反差別、反暴力、反貧困、反環境破壊


「話」らしい話のない小説

美への志向―色彩=局所的な構成的配置

主体への志向―解離=相同性=アカウント


形式的合意=経済的自由主義

実質的合意=政治的自由主義


形成体は党派か?

ノンセクトとはなにか


宙に浮いた当局権力の否定

サンディカリズム


日本社会の未来における持続可能性は大学にかかっている

大学内部の関係は市民社会の展開の先取りである

68年「大学解体」は実現したという認識をもち「大学の再建」を目指すべきである

政治的公共圏⇔生活・文化

穏健なナショナリズム、愛校心を共同幻想の統合軸にする

単子的原理主義(市場主義・消費者)への抵抗としての組織性

ただし、唯一的前衛党(セクト)ではない

中間共同体の多元的発展としてのサンディカリズムである

大学内は弾圧があまりに厳しいので、大学外に足場を作る

生物における形成体のようなもの

アジール、駆け込み寺、マングローブ

そこをベースに、各大学を再生していく

足場のある東京大学、京都大学、法政大学は例外ではないか

農業系は妙に文化が生きている、北大、農大



「豊かな」文化世界という幻想郷

宗教がかっている?確かにそうかもしれないが、不徹底な日和見主義(ノンポリ諸君)よりずっとマシだろう

のだめカンタービレ、ハチクロ、もやしもん、森見登美彦的世界

オモチロキ世界

愉快痛快、笑いあり涙あり、みたいな

世界がそういうところでなければ生きていかれない
プラットフォーム
冒険の予感に満ちたところ
港町としての大学

大学観は入学前からちっとも変わっていない
海の、砂漠の荒くれ者たちが集まる場末の酒場
仲間、情報
ルイーダの酒場
ゼル伝の六賢者
多様な人々
新学館、セキュリティーマンション的なタコツボ的閉鎖性
地下部室、長屋的な共同性


五部
解離性人格障害
前時代的な政治的主体
恒常性、イタリアンマフィア、ファシズム?

怠け者は路地裏に足を踏み入れない
「好奇心」抜きで物語に巻き込まれてしまうようなもの
女の子の尻を追っかける以外に


政治
サバルタンスタディーズ
アラブ・女性・文学
最強のスリーカード
アメリカニズム文化、経済、日本的変容
アジアに通用するスーパーフラットで汎世界的なクールジャパン

国際交流、被災地復興
アイドル・脱恋愛・恋愛資本主義
宗教学×街歩き


教育・教職サークルを作ろう

教職課程はヘヴィー

教育実習はインターンであり、実習生は準労働者である

にも関わらず保障がない

現場でハラスメントにあっても泣き寝入りになりかねない

次のような要求ばかりはあるのだから、アンフェアである

実習生は短期間であっても、教育という尊い活動の一端に参加するのであり生徒の人格形成という取り返しのつかない課題に携わらせていただくのであるから将来的に教員になる予定のない、いわゆるペーパー教員に終るのであっても、実際に教鞭をとるものと同じだけの社会性、責任、覚悟を要求されるのであって、云々

圧倒的な非対称性

現場での権利からの疎外

実習生はヒエラルキーの最下層なんだ、単位を認めて欲しいのであれば黙って言うことを聞いていればいいんだ

教頭的なるもの

上に媚び下に威張る

情報共有、連絡相談、労働組合


教育学は学びたくても意外と場がない

ナントカ教育学、教育ナントカ学


学際性

他の学問分野における研究の成果を教育に活かしたい

心理、精神分析、政治、経済、社会、法、文学、など

あるいは反対に、教育学の研究の成果を他の学問分野ならびに、ビジネスなどの広い社会的機会、現場に活かしたい

特別活動論、学級経営の集団組織管理運用論、教授方法など


ついでに教職技術も磨きたい


01教育学読書会

教育思想など

学際的教育学勉強会


02進路相談会


03技術としての教育学

教育方法研究、クラス経営論など


04有識者講演会

内田樹さん、本田由紀さんなど


05教育実習生組合

協働性

院内集会

教職志望者ネットワークくらい?


教育×「○○」

お笑い、演劇、街歩き、絵画、ファッション、福祉、宇宙、深海、農業、音楽、復興、アイドルなど


丸山真男

超国家主義の論理と心理

日本型ファシズムの研究

無責任の構造を考える


塹壕主義


忠誠と反逆

実践の可能性、来年以降必要だと思う


就活、TOEIC

卒業の条件!


ブランキズム

笠井さん読む


羅生門、市民社会と大学どっちがマシなんだ?


シュミットによれば近代国家は中性国家である

真理とか道徳とかの内容的価値に関しては中立

価値の選択と判断は教会とかの他の社会集団に任せて純粋に形式的な法機構のうえに国家の基礎をおく

内面の自由、私事に関与せず

主観的内面性の保証

日本はそうではない


国家権力の形式性、価値判断への不関与はわすれられている

倫理道徳、価値内容の独占的決定者が国家だよ、となっている

国家こそ、価値的実体である


信仰・学問・芸術もみんな国家の為にある

国家的実用性、なにが国家のためか、をきめるのも国家

天皇ならびに、天皇に忠勤義務をもつところの官吏が決定する

主観的内面性は尊重されない

どころか、国法は価値の実体である「国体」から出てくるのだから、自らの妥当根拠を内容的正当性に基礎づけることですべての精神領域に自在に浸透できる


国家によってつかまえられない私的領域は一切ない

私的なものはちっとも認められない

私生活はすべて臣民の道の実践である

国家への奉仕を忘れてはいけない

私的なものは悪、そこまででなくてもうしろめたいもの

私用はうしろめたいから、国家的意義に結び付けようとする

一見私用だが、実は国家のため!

ところで、これは国家を無限に腐敗させる可能性を持つ

私事の倫理性がじぶんのなかでなくて国家との合一化にあるってことは

反対に国家の中に私的利害が逆流してしまう


国家主権が精神的権威と政治的権力をもってるってことは内容的正当性の基準をじぶんでもってること

じぶんがただしいかどうか自分で決められるめちゃくちゃ

国家を超えた道義的基準はない

正義を実現するために行動するが、一緒に行動すると正義だということになる

「勝ったほうが正しい」と「正義は勝つ」が同居しているのが日本の特徴

悪いことはできないという定義になっているので、日本がやったことはぜんぶ正しいこと

正しさは中心的実体(日本)から世界に向けて渦紋上に拡がっていく

拡がれば拡がるほど、中心的実体の絶対性は強化される


倫理と権力が相互移入している

なにやっても正しいということになる一方(倫理→権力)、なにもしないものはちっとも正しくないという転倒が生じる(倫理←権力)

力のないものは悪だ

でも、マキャベリズムみたいに、悪を敢えてとるんだ、みたいな覚悟はそこにはない

なにやっても正しいことになってるので「凄み」がない

イタリアやドイツの戦犯容疑者はふてぶてしくある意味格好よく死んだが、日本のそいつらは命乞いをしていた

なぜかというと中心的実体との距離によって自分を位置づけているから自立自律できないのだ

覚悟がない

優越的地位、天皇との相対的近接の意識しかない

日本では、合法性ではなくて、この近接度の意識でものごとは動く


法は治者も被治者をも縛る、のではなくて、天皇を長とする権威のヒエラルキーにおける具体的支配の手段にすぎない

遵法は下の者への要請である

軍隊では上に行くほどルーズ、下に行くほど厳格

法ではなく「天皇との距離」

自己の利益を天皇のそれと同一視し、自己への反逆を天皇へのそれと取り違える

横の社会的分業意識ではなく、縦の究極的価値への直属性の意識

優越意識を煽る

下士官には「兵隊根性」からの、将校には「下士官気質」からの離脱、超越が求められる

独善意識とセクショナリズム

超越性との直属性に由来するから、自己を絶えず超越者に合一化させようとする衝動

なんとなくなにかに動かされる

意識としての独裁は責任に結びつくがそれがない

自由な主体意識は無規定な個人において可能になるがここではない

究極的権威への親近性による得々たる優越意識と同時に、そうした権威の精神的重みをすぐ頭の上にひしひしと感じている一人の小心な臣下

行動の制約を上級のものの存在に規定されている

抑圧の移譲による精神的均衡の保持

上からいじめられたら下をいじめる

上級価値への順次的依存の体系

では天皇そのひとは自由な主権者か?

ちがう

無限の古に遡る伝統の権威を背負っている

皇祖皇宗の伝統による規定

天壌無窮の皇運

柱が縦に伸びることが妥当範囲を拡大する、どこでも通用する、ということになっていく

縦軸(時間性)の延長すなわち円(空間性)の拡大