ぼくはきみを腹の底から信じる | 陽炎の帯の上へちらりと逆まに映る鴉の影―どーすかΩ

陽炎の帯の上へちらりと逆まに映る鴉の影―どーすかΩ

この部屋の中にいるヤツに会いたいのなら もっと、寿命をのばしてからおいで

いま、「就職活動」の接近と「学生生活」という具体的情況のうちにある摩擦のために、次のことを考える


今、ぼくを取り囲む時代的・地理的状況はいかなるものか

そのときその場においてどのようにふるまうべきか

どのように生くべきか、いかに考えるべきか


それは、相対主義の時代における自己実現とはいかなるものか

というあたりだとおもう


相対主義では、何を選択してもよいが、そこでは反って、何を選んでもその内容には実質的に価値が認められない

何に打ち込んでも、ほんとうにそれに生を賭けられるか、信じきることができるか

そういうことが懸かっている


歴史的状況、地球環境の要請、発展途上国の苦境、市民の義務、神の召命、隣人の苦しみ、不正への抵抗などといったような、自分を超えるものが決定的に問題になる世界においてのみ、本来的な自己に実質的な基礎付けを与えることができる

歴史、意味、物語、そこから世界全体が与えられるような超越的不在を信じられるか


それは本当はなにも現世的担保を与えない

認識的保証を決して与えない空中楼閣、ぼくの言葉で言えば「ちくわ床」である

だからそれは認識的把握、所持、制作、選択、労働、利用ではなく賭博的決断、「信仰」によってしか関わることが出来ない

霊性といってもいいし、空や存在、他者といってもいい


ぼくはきみを腹の底から信じる


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改憲論議について

96条先行改憲は卑怯である


9条はよくわからない

軍事に疎い

『憲法九条の軍事戦略』を読んでみたいなと思う


自民党21条改憲案についてはもちろん反対

「公の秩序」なんて文言は「国体」と大差ない


*


早大当局は学生会館利用について学生にルールを守るよう指導する際に、学生間の公平性(持ちつ持たれつだ)を根拠にしていた

しかし「平等」のために法とその執行機関を要請し自らの自由を制限するよう求める(君たち自身が法を必要とするのが正当性)という順序であるなら、…?

今日の大学は、キャンパスから生活を排除しようとする傾向をもっている

大学空間における政治的自己決定権(デモクラシー)を基礎づけたいのだけど、ホッブズやロックを読めば載ってるんですかね?


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『二コマコス倫理学』アリストテレス、高田三郎訳、1971岩波文庫


第一巻

第一章

あらゆる人間活動は何らかの「善」を追求している。

だがもろもろの「善」の間には従属関係が存する


「技術、研究、実践、選択は善を希求している」

そのようだ、よりよい状況を求めている


「活動それ自身が目的である場合と活動以外の何らかの成果が目的である場合もある」

「散歩」はそれ自体が目的であり、「料理」は食べることを目的としている(ぼくの場合には)


活動間の関係について

「馬具政策」と「軍事」とでは同じ活動でも、従属関係にある


第二章

「人間的善」「最高善」を目的とする活動は政治的なそれである。


人間の営為の、すべてを蔽う目的があれば、それが「最高善」ということになる

射手のように、標的が合ったほうが、よく的中する、最高善をもてばよい生を送ることが出来るのではないか

それをつかみたい

それは棟梁的位置にあるだろう

棟梁的というのは、設計者というところだ

全体の構想をもつリーダー


それは政治ではないか

どんな学問をどれだけやるかを決めるのは政治である、つまり、政治の目的には諸学問の目的が含まれている、従属している

政治の究極目的は「人というものの善」だということになる


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・ブチャラティは愛を説いている

・ジョルノがパウロだと考える