悪について | 陽炎の帯の上へちらりと逆まに映る鴉の影―どーすかΩ

陽炎の帯の上へちらりと逆まに映る鴉の影―どーすかΩ

この部屋の中にいるヤツに会いたいのなら もっと、寿命をのばしてからおいで

われ地に平和を与えんために来たと思うなかれ


asahi.com(朝日新聞社):犬でも分かる押井守「犬・鳥・魚」講座その1 - 小原篤のアニマゲ丼

http://www.asahi.com/showbiz/column/animagedon/TKY201201150090.html


  細長く暗くジメジメしたところのその奥に、生物的な(まがまがしい)存在がいて、それを潰す。潰した時に強調されるのは、血と内臓、何本もの脚(のようなもの)といったイメージ。


細い道を歩いていく

行き止まりで考える

ここではきものをおぬぎください


地下道に響く神の声を 麻酔銃片手に追いかけた

無くしたすべてを取り戻すのさ 地の底に迷い込んでも


扉を抜けると世界が転回する

森の神殿のねじれた廊下のように、天地が逆転する


悪であることに耐えさせる成熟を考える


*


律法=契約=歴史の合目的性から弱さ・赦し・愛へ

受動性を梃子にして


父の支配意志と子の絶対従属の循環


ひとは律法に対して従順である

いや、信仰に対してこそ従順でなければならない!


「肉」の世界、既知の世界における正当性は正統性と一致している

連続していることは排他的である

その保守性が「霊」的契機によって「切断」される


力と礼とは劇的に対立している

「流れる力の遍在」という弁証法的物質はそれを方向付けようとする「体制」を覆す

礼があって力があるのではない

力があって礼があるのだ


礼のくびきを引きちぎる瞬間は「今」可能である

あの親しさ、豊かさ、強さ、しなやかさが、もっと普遍的なものであったら…

ぼくはそれを開破したい

ぼくは己の無知を知っている

そのぶんだけ、決定的に、あなたがたよりも真理に近い


「愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。愛は決して滅びない。預言は廃れ、異言はやみ、知識は廃れよう」


*


身を殺して霊魂をころし得ぬ者どもを懼るな、身と霊魂とをゲヘナにて滅し得る者をおそれよ


「肉」に実存をかけている人間などはるか遠い

たましいを殺せるかどうかという勇気が問題なんだ


*


前田愛『『八犬伝』の世界-夜のアレゴリイ-』


読んでみたいな


*


善く戦う者は、之れを勢に求め、人に責めずして、之れが用を為す。

人を択びて勢に与わしむること有り。


「運動する主体の創出」といったが、動くのは「主体」である必要はない

もはや人間の自由を信じない

「形」が、問題だ