たしかに、その通りだと思います
頭で考えるんじゃなくて、身体で考えるということがある
腑に落とすということ、口先で言うだけなんじゃなくて、実際に自分自身で実践して見せること
それが教えるということではないか
そういうふうにいつも叱られます
腹から声を出すということ
自分自身を裏切らないこと
ぼくは浮き足立ち、腰高になってしまっている
集中が切れるとすぐに腰を落とすことを忘れてしまう
それはもちろん、生きること一般について言っている
効く言葉を使うようにしようではないか
ごめんね
*
悪魔ちゃんは闘えといいます
でもぼくは怖いです
オルタナティブとは闘争ではなく逃走を意味するように思います
ぼくは怖いです
自分がわからないし、それを越えて一層わかりません
饒舌なときほどぼくは語っていません
つまり語っていないことについては語っていないことも語っていません
それはもちろん抵抗ではなくむしろ臆病な無抵抗の故です
それは原理的に誰にも伝わりません
書き方が不十分であるからでもなくまた読み手の能力の問題でもぼくの精神の問題でもなく純粋に論理的に不可能だからです
だから波が引かないのです
そんなことはわかっている
なるほど、だから落ち込んでいるのか
しかしナンセンスだ
闘って死ぬべきなのでしょう
それができないのは原理によるのではなくたんにぼくが臆病だからです
ぼくはそれをこそ悩み落ち込むべきなのです
そうでなけりゃ意味もヘチマもありません
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夢に観た
起きて生活しているときにもぼんやりと、いつも考えている
おそらく、この一点をかろうじて支点として、ぼくはなんとか動いている
ぼくは愚かであるばかりでなく、弱く醜い
見かけの醜さよりもなによりも、存在として醜いだろう
たぶん、ぼくが強くなりたいと思っているのは、たぶん、変わりたいからだ
変わるまさにその仕方を、変えないとぼくは間に合わないと思っている
しかし、何に?
ぼくはなぜ焦るのだろう
わからないけれど、ぼくが自分自身を浪人へと追い込んでいったその問題が、ちっとも死んでいやしないということなのだとおもう
形を変えて、回帰しているのだと思う
おそろしく単純で、おそろしく易しいのに、あまりにもむつかしい
ほんとうに怖い
なにを学べば、ぼくはいいんだろう
結局、わかっていないよ、ちっとも
*
ぼくに「政治」を教えた三人の兄貴がいる
ぼくは、煎じ詰めれば、彼らのようになろうとして、この一年ほどを過ごした
ぼくは、人と人との関係ということを考えた
ぼくは、人間の存在の仕方について考えることを考えてきた
ぼくは、フライングマンのように、実践ということに執着してきた
ぼくはまだぼく自身よりもばらばらに引き裂かれている人に会っていない
*
長く曲がりくねった道があったとして
それをつかむにはどうすればよいかといえば
ぼくなら入り口と出口とをみる
どんなに難解なくねくねであっても入り口と出口ばかりは簡単なものであるほかない