ぼくが女の子であったら、間違いなく上野千鶴子にイカれていただろう | 陽炎の帯の上へちらりと逆まに映る鴉の影―どーすかΩ

陽炎の帯の上へちらりと逆まに映る鴉の影―どーすかΩ

この部屋の中にいるヤツに会いたいのなら もっと、寿命をのばしてからおいで

なんだかやらなくてはいけないことがいっぱいあるけれどしていません!


うおおスマホが復活!!!

すばらしい!!


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『「彼女たち」の連合赤軍』読了

読んでいてひさびさに「ぶわっ」と鳥肌が来ました


ぼくは、内なる他者の発現を夢見る早熟な少女のように、消費社会の渦中に立っている自分を発見した

もっと別の形で運動ということを考える必要があると思った


「巨大ロボット」について、拡張できるなと思った

日米同盟から、歴史、または歴史的主体へ

以前、歴史は悪であると書いたが、あれはある程度正しいと思う


蕩児としての運動家と、蕩児としてのバイト戦士との等価性


「消費による自己実現」をどう考えるべきなんだろう

ぼくが女の子であったら、間違いなく上野千鶴子にイカれていただろうし、「出産」ということを始終考えていただろうし、たぶん結局なし崩し的に肯定してしまうだろう

糸井重里と内田樹にハマったのとパラレルなはずだ

微細な差異のゲームを楽しく泳ぎきって見せるべきなのだ…


でも、もちろん、成長の限界、有限性という視点が欠落している

「終わりなき日常」はフィクションである

いま、歴史とはなんだろう

ぼくたちはそれとどのように関係を取り結ぶべきなのだろう


『成熟と喪失』をまた読みたくなった

母の喪失とその人工的な世界という代償による充当

女性性は自己否定として、男性性は、フィクショナルな閉塞世界への没入として経験する

人工の母胎とは、エヴァではないか