病的にふるまっていると思っている人間には二種類ある
吐き気を催すほどに陳腐である場合といたたまれないくらいに病んでいる場合である
私の場合には前者であると私は言う
なんだかわかりませんがとても心が落ち着かないです
実存的な不安の波はきょうも高いまま、窓に打ち付ける雨の音が部屋を満たしています
深い意味はありません
今日は慶應大学に行きました
三田キャンパスはぼくの家から40分くらいでいけてしまうことがわかりました
とてもベンリです
田町から三田キャンまでの道のりで迷いました
方向音痴は本当に頭が悪いということだと思います
てけてけのあたりで壊れたスマホを取り出して道を確認しました
南門、正門からすぐのガラス張りの建物が南校舎であり、その七階のグループ学習室を利用したのでした
休憩の合間にグループ学習室の前のラウンジにある自動販売機で缶コーヒーを購入しました
コーヒーの種類はファイアの微糖ですが、それはこまっちゃんが駿台のときに好んで飲んでいたのをふと思い出したからでした
もちろん、こまっちゃんのことを思い出したのは慶應に遊びに来たからです
それがなぜかということはここでは省くことにします
オムライスの話が出た時には私はレトロを思い出しました
書けることがあり書けないことがあるのです
書けることがあり、書けないことが書けることがあり、書けないことをも書けないことがあるのです
ちなみにこのこともやはりほんとうは書いてはいけないのですけれども私は書きます
なぜかといえば私は眠りへと落ち込むことに対して意思的に抵抗するからです
就活ということを考えます
単位について考え自分の身のふるまい方について考えます
世間体について考え親について考え自分について考え周りの人のことを考えます
ってかあれだよな
ぼくはまあお金もちになりたいかというとそうでもない
負け惜しみでもあるが、でもそんなにいらないかなとおもう
金持ちのほうがもてるんだろうか
まあ貧乏よりはそうだろう
でもはらちゃん的に言えば、神様と両思いになるほうがよいだろう
おおくのつまらない女の子にもてるよりは
では神様が金持ちのほうを好む場合にはどうするのか
そんな女のことは忘れろ、と言いたいけれども、それはルサンチマンだろう
そのとき後悔するよりしかたないんじゃないかな、ちゃんと考えてないけど
じゃあ働き甲斐のあるしごとに就きたいんだろうか
そりゃあ働き甲斐なるものもあったに越したことはないがつまらないだろう
というのは、やりたいことは仕事でなくてもできると思っているからだ
というか友達が多ければできるだろうし、できる世の中をつくるよう努力すればいい
わからん
ちゃんと考えてないから言語化できないが、でもそれは仕事でなくてもいいやと、いま信じている
信じられるなら幸福だ
いらん
やはりワークライフバランスちゅうもんを重視するなぼくは
そういう意味で楽な仕事がいい
気持ちが晴れ晴れとする仕事がいい
そんな都合のよいところがあるだろうか
うーん
とりあえず業界地図をぱらぱらと読んでいる
しかし、ところで、たずきのみちの重要性をよく理解した
ぼくは端的に言えば、そんなにお金について切迫した緊張感をもっていない
最大の甘えであり現在論の破綻する消失点である
えっと、ぼくの論の一切が説得力を失う根源的な弱点である
バイトをしよう
労働とは何かは考えているし考えられる
賃労働経験はあるからだ
社会経験なるものも、たぶんぼくが二年かけてあったなかではわりといろいろやっているほうだとおもう
それは考えまた実践しているという意味で
じゃあやっぱりぼくが欲しいのは、珍しい経験がかぶさったバイト(専門的なもの、なにかは書「か」ない)、社会関係資本を稼げるバイト(浅草)、あと割りのいいバイトだな
さいごはみんなそうだけどさ
ただ、まあ、低賃金の、必要に迫られるバイトというのは基本的に頭が悪いという前提を確認しておこう
もちろん、親が高値で買った大学という時間を格安で売り渡すことに他ならないからだ
ためらいがちに、「ナンセンス…」
ま、なんだ、ぼくもいつも思うところはあるんだが
なんかこのブログの位置づけもよくわからないしなんか書けないことは書けないし
自己表出欲求だっけ
指示される経験だけでなく言葉さえ忘れたわ
それも十分満たされているし
それよりさ
認識が深まること
対他
社会変革みたいな
頭の悪い(非効率かつ戦略的に遠回りな)ことにうつつを抜かしているので
なんかな
それなりのレスポンス、なんかちっとも期待せんが
じゃあなぜ書くのかしら
たぶん、自分に言ってるんじゃないでしょうか
いや、そうでなくて言う経験を自分に向けてるんじゃないでしょうか
即自から対自に移している
まずもって読みにくいし読みやすくしようと努力していないしなんなのだろう
哲学は王蟲である
そのとき、思想は王蟲の有用な抜け殻に対応している
皇統とそれぞれの天皇の関係
親米保守は右翼からも左翼からも罵倒されるべきクソッタレですが、しかしそれだけが私たちにとって唯一採り得る立場です
悪魔ちゃんは闘えといいます
でもぼくは怖いです
オルタナティブとは闘争ではなく逃走を意味するように思います
ぼくは怖いです
自分がわからないし、それを越えて一層わかりません
饒舌なときほどぼくは語っていません
つまり語っていないことについては語っていないことも語っていません
それはもちろん抵抗ではなくむしろ臆病な無抵抗の故です
それは原理的に誰にも伝わりません
書き方が不十分であるからでもなくまた読み手の能力の問題でもぼくの精神の問題でもなく純粋に論理的に不可能だからです
だから波が引かないのです
そんなことはわかっている
なるほど、だから落ち込んでいるのか
しかしナンセンスだ
闘って死ぬべきなのでしょう
それができないのは原理によるのではなくたんにぼくが臆病だからです
ぼくはそれをこそ悩み落ち込むべきなのです
そうでなけりゃ意味もヘチマもありません
すべてを溶かす甘い、トカトントン!