0204 | 陽炎の帯の上へちらりと逆まに映る鴉の影―どーすかΩ

陽炎の帯の上へちらりと逆まに映る鴉の影―どーすかΩ

この部屋の中にいるヤツに会いたいのなら もっと、寿命をのばしてからおいで

バカを化かすことは馬鹿にならない

演出を考える、といったのはそのような意味だ

それはビジネスマインデッドということなのかもしれない

「戦略的」ということなんだけど

他人を馬鹿にするひとは、いつか足元を掬われるようにおもう

というのは、大衆の原像、といってもいいし、安吾なら「人間」だとおもうけど、

それをつかまなくては、どうしようもないから


でもそれはなぜなんだろう

穏当なところでは、私たちの社会というものが関係性であるから

わたしたちが投げ込まれているこの世の中が関係の網だから

ここでの関係とは、全的関係ではなくて、部分的関係だ

道具的連関でもいいし、手段の王国なのかもしれない

では、そうではないような外部はあるのか

わからん

しかし、統整的理念としては、必要だ


*


以前、ゲーム脳批判というお粗末な議論があった

でもこれはほんとうにナンセンスであると思う


なんとなれば、まずもって、この生がゲームでないということは言えないからだ

デカルトの悪霊とか、あるいは端的に夢の場合と同様で、これがやはりゲームの世界であったということがありうる

「現実の人生にはリセットボタンがついていない」そうだが、これもあたらない

現実の人生も、リセット=死によって醒めることがあるし、反対に、ゲームのなかの主人公にとってもリセットなんて存在しない

いま、彼の生aを生きているゲームの主人公Aにとっては、リセットしてやり直しているBによる生bなんて存在しないからだ

AとBとのあいだには物理的同一性も心理的継続性も存在しない


*


とてもきもちが落ち込んでいる

ぼくにも事情はよくわからない

彼は気分屋なのである