ぼくは今 | 陽炎の帯の上へちらりと逆まに映る鴉の影―どーすかΩ

陽炎の帯の上へちらりと逆まに映る鴉の影―どーすかΩ

この部屋の中にいるヤツに会いたいのなら もっと、寿命をのばしてからおいで

とても眠いから機嫌が悪い

あと8分で書けるところまで書こうではないか


「集まり散じて人は変われど仰ぐは同じき理想の光」

早稲田の魅力ってなんでしょうか。

ぼくはそれは校歌にうたわれるように、変わる、変わっていく「人」ではないかと思います

今流行りのダイバーシティという言葉を用いてもよいかもしれません


いろんな人がいる

いろんな人がいて、でも、同じ光を追っている

光を追う中で互いに出会う

いろんな人たちが出会えば、化学反応が起きて、何か面白いものが生まれてくるような気がする

わくわくとした予感が満ちている


でも、今の早稲田には、そうした、人と人との出会いがありません

学生たちはお客さんとして現れています

大学は主体的に関係の網の目へと身を投じていく生身の人々ではなく、関係の窓を閉じた、仮面を被った人々が通過していくばかりの通路になっています


それはもったいないことではないか

そうした想いが原点にあります


また、大学の外に目を向けてみましても、グローバリゼーションということが言われています

けれども、ぼくは、本来的なグローバリゼーションとは、今日進行するような「均質化」のことではないと考えています

そうではなくて、それぞれの特殊性を持った人々が、その特殊性と離れられない、責任を負っている、というかたちで、ひとつ次数の高い普遍性を帯びているということではないか

特殊性の地面を掘っていくと、深いところで普遍的な地層へと到るようなイメージです


日本社会は若い成長の時代を終え、目指すべき新しいモデルを見出すことが出来ない長い混迷の闇の中にあります

ぼくは、いま、私たちが求めるべきなのは、市場に流通する一般妥当的な交換価値なのではなくて、そのつどの一回的な特殊性、出会いと関係の価値なのではないかと考えています


****はそうした、古くて新しい光を追求する、「あなた自身による場」なのです