明滅 | 陽炎の帯の上へちらりと逆まに映る鴉の影―どーすかΩ

陽炎の帯の上へちらりと逆まに映る鴉の影―どーすかΩ

この部屋の中にいるヤツに会いたいのなら もっと、寿命をのばしてからおいで

つよい風が吹き抜けていった


*


「愛」は恐ろしい事態である。我々はしばしば我々自身の生にとって外部にあたるつまらないもののために命を賭け、失ってしまう。それは疎外以外の何物でもない。余りにも虚ろである。が、それが人間の人間性の条件となっているところがある。自己保存を捨ててしまう誤りの向こうに虚ろな光を見てしまう

僕は何も、人に先んじ人を出し抜き人よりも優れたいと思ったのではなかった。何の肯定もしえないつまらない諦めの中にいた。自己陶冶どころか、諦めの緩みのために、更なる惨めさのために、温かな声に足が止まった

ぼくは正直に言って、彼らに憧れた。いくらか屈折した、嫉妬を抱いた。彼らが好きだった。彼らのようになれたら、どんなにかよいだろうと夢想した。もしももう一度生きられたなら、変わりうるという柔らかさを与えられたならば…


僕は奥能登の夏を考えた。あのうだるような温度と湿度!息の詰まるほどに濃密で豊穣な夏を、海と山と空の夏を、私たちがそこから始まりそこへと還っていくだろうところを

あらためて、ここで諦めるということは遂に文字通り、死ぬということだ。生きるに値する根拠を、最後の根拠を、手放したということに等しいのだから。同じことなのだ、この道を踏破することもしないことも。踏破しようとしたまさにそのとき、それらは分かたれるにすぎない


ここでは、世界はもう少し複雑に編まれている。ぼくは「それ」が余りにも易しいがゆえに恐ろしく苦しんでいる

人間の生は何のためにあるか。言うまでもない、それそのもののためにあるのである。けれども、それを認めた「先」に、それを欠いては最早生きるに値しないと思わせるようなものがある。それを僕は自己自身の経験のうちから掴んだ

言い訳無用。本当の言葉だけが…

全は一である。一は全である。すべてが現れ、すべてが緩やかに過ぎ去っていく


泣くな歩め、光は近い


*


やまのふうけい


木々のあいだにもやがかかっている。

山の匂いとビールの匂いと肉の匂い。

なあマロ、終らねえよ。

ぜんぜん、終らねえよ。

「ないものの影を迂回することなしには失敗を宿命づけられた企てをある痛みの内に成功へと書き換えることはできない」って誰かが言ってたよ。

ねえ、ぼくは思ったんだよ。

あなたなしでは生きてゆけない。

くそったれ。

気の抜けたビールなんて苦いだけだ。

それは消極的な仕方で外部指示的である。

苦いだけだ。

http://ameblo.jp/hyorokun/entry-10992331001.html


*


誰だって教師になれる。そうでなければ困る。
人間たちが集団的に生き延びてゆくためにほんとうに重要な社会制度は「誰でもできるように」設計されている。そうでなければ困る。例外的に卓越した資質を持っているに人間しか社会制度の枢要な機能を担い得ないという方針で社会制度が設計されていたら、とっくの昔に人類は滅亡しているだろう。
以前、大相撲の力士をしていた方から不思議な話を伺ったことがある。彼は「相撲取りというのは、ある程度身体が大きければ、誰でもプロになれるのです」という驚くべき事実を教えてくれた。
「サッカーや野球であれば、生得的に高い運動能力を持っていなければプロにはなれません。でも相撲は違う。生得的資質が凡庸であっても、プロになれる。とてつもなく強くなれる。そうなるように相撲の身体技法は合理的にプログラムされているのです。」
私は驚き、そののち深く納得した。
確かにその通りである。そうでなければ困る。
もし、十万人に一人というような例外的にすぐれた身体能力を持ったものしか相撲の力士になることができなかったら、それが1500年続くということはありえなかったはずだからである。相撲が例外的天才しか習得にできない特殊な技能であったら、一世代だけでも「例外的に卓越した身体能力の保持者」が相撲の道に入らなければ、その時点で相撲の伝統は断絶してしまったであろう。
相撲において最優先するのは「たとえ凡庸な身体能力しかもたないものについてでも、そのポテンシャルを爆発的に開花させることのできる能力開発プログラム」を次世代に継承することである。ある時代に伝説的な力士がひとり出現して、その人が人間の身体には「これほどのこと」ができることを示せれば、それで「終わり」というのでもよいなら、ある意味話は簡単である。だが、相撲は一人の天才のパフォーマンスを神話的に語り継ぐことよりも、力士養成プログラムを「存続させること」を最優先した。それは相撲という呪鎮のための神事であり、大衆芸能であり、格闘技であり、見世物である複素的なこの技芸が日本列島から決して失われてはならないという強烈な使命感を力士たちを貫いていたからである。

(中略)

ジュール・ヴェルヌの『十五少年漂流記』に描かれた少年たちは、無人島に漂着した後、住むところと食べるものを確保すると、次に学校を作った。幼い子供たちが無人島の生活になじんで、知性の行使を忘れることを年長者たちが恐れたからである。教師となった少年と生徒になった少年たちのこのときの年齢差はわずか5歳である。14歳の少年に9歳の少年に対する圧倒的な知的アドバンテージを認めることはむずかしい。しかし、この「学校」はみごとに教育的に機能した。「教卓のこちら側」と「あちら側」の間には乗り越えがたい知的位階差があるという信憑が成立する限り、そこでは教育が機能する。これがほんらいの「常識」なのである。

(中略)

子供たちはまず「教卓」を介して「この世界には私の理解を超えた数理的秩序が存在する」という信憑を身体化する。そこから科学的探求心と宗教的覚醒が始まる。そこから人間は人間的なものに成長してゆく。
この理路をまったく理解していない人たちが教育について語る言葉が巷間にあふれているので、贅言と知りつつここに記すのである。

教育の奇跡 (内田樹の研究室)、http://blog.tatsuru.com/2012/03/15_0854.php


弟子たちはまず「稽古場」を介して「この世界には私の理解を超えた数理的秩序が存在する」という信憑を身体化する。そこから科学的探求心と宗教的覚醒が始まる。そこから人間は人間的なものに成長してゆく。

涙が流れてやまなかったことの一つの理由は、彼らとぼくたちの間には差異がないことに気がついたからである

そこに立っているのは、ぼくとほとんど変わらないただの大学生であったのだ

彼らも四年前の四月に、満腔の好奇心をもって、稽古場へ見学に赴いたのである

みんな同じだ、強い人間なんていない

強いふりをすることができる人間がいるだけなのだ


さて、反省会も、係り稽古も、それらがぼくたちに発し続けるメッセージはたった一つである

「成熟せよ」


*


歌は終わりぬ

変わらなければ変わらないほど変わるものがある

ぼくはそのままでは、その微細な差異に耐えることができない

全力で臨みたい