どうして大衆がただしいのだろう? | 陽炎の帯の上へちらりと逆まに映る鴉の影―どーすかΩ

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この部屋の中にいるヤツに会いたいのなら もっと、寿命をのばしてからおいで

正統性と正当性という言葉がある


正当性は、単に「正しさ」ということである

正しいか否か、何が正しくて、何が誤っているとするのか


正統性は誰が正当性を決めるのかということだ

誰が、何が正しくて何が誤っているのかという判断をくだすのか

誰が、規範を選択するのか

「どうしてきみがよいわるいのちがいを決めるんだよ?一体だれに許可されたんだよ」みたいな話


正統性を決めるのは大衆であるということです

だから正当性も大衆による


ここで僕らよりも大衆のほうが正しいだろうということは、大衆がノブレス・オブリージュを拒斥するだろうということです

口元に笑みを浮べ、耳に心地よい甘く美しい言葉を次々と並べるエリートなるものの目に、嘲りと見下しの色が浮んでいるのを決して見逃さないだろうということです


「馬鹿で物を知らず語ることのできない大衆のほうがぼくやきみより正しい」

これは恐ろしいことであるようにおもいます

現に、ぼくも大衆を馬鹿にしている

見下している

嘲っている

が、それに敗れるということであるからです