公共サービスの安定性は、限られたエリートによってそれが運営されている状況よりもいくらでも替えがきく凡人によってそれが運営されていることでより増大する。
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「友人としての選びなおされ」ということを考えている。
いや、一年プレゼンはよつくれいう話なんですけども。
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地震のあと、何が問題なのか、人間の観念的問題としてどういうものがあるか、ということを考えたとき、最初にぽつんとでてきたのが、やはり大津波と原発ということでした。
地震の後、テレビでは繰り返し津波の莫大な被害の映像を流していました。
これがたいへんなショックだった。
はあ、ぽかん、としてしまった。
どこから手をつけたらいいのかよくわからないなあとおもう。
とっかかりのなさという点で、地震の規模は決定的なものであるとおもう。
津波の前では無力だという感覚が湧いてきてしまう。
それは妥当であるのか。
自然と人間と技術ということを考えなくてはならないのではないか。
中心周縁理論を援用しようかな。
いわば、飛び道具として。
理論として名前があれば、なんとなく納得させられてしまうんじゃないかな。
権威による説得。
ねむい。