前期もクライマックス、いよいよ盛り上がって参りました!
まづ云いたいのは、忙しい忙しいと連呼することの虚しさについて。
忙しいと唱えることは忙しさの減少になんら資するところがない。
さらに、ぼくが忙しいとしてそれがいったいどうしたというのか。
この二点については指摘しておきたい。
というのも、5歳のぼくも10歳のぼくも15歳のぼくもおなじことを言ったろうから。
いそがしいと言うことの価値は限りなく皆無であろう。
単位が目的なのではない。
学ぶことそのものがもたらす愉悦というものが世界にはある。
そういうことをいつか書いた。
単位は目的ではないということの意味するところをただしく捉えるためにもうすこし掘り下げて考えてみよう
このことはたぶんふたつの契機を内包している
第一に、学問を単位という功利的観点から遠ざけるということ。
こちらは簡単だろう。
単位のような浅薄な目的を外部に立てて学ぶことは下品であるうんぬん
でもこのことは単位は目的ではないということの一側面に過ぎない。
第二に、学問とは他に純粋に単位を目的とする勉強という領域を設定することでもある
それが学問でないならば単位を目的とする勉強は退けられない
これこそが肝心だ
なんでこんなことを勉強しなければならないんだろうガクモンってのはまずはじぶんの好きなことを学ぶことではないのか?いやいやさせられる勉強は真には勉強ではないのではないか?
長く、そういう問いにとりつかれて歩いてきた。
単位を目的とする勉強を理想的な学問と峻別することこそがその処方箋であるというのがぼくの結論である
というわけでみなさん、単位が欲しいなら黙ってそのためのテスト勉強なりレポート作成なりをしましょう
べつにいらないならさっさとやめましょう
つぎはフラ語とノルウェイの森批評
パスカルと文法は夏の課題