カムバック!!! | 陽炎の帯の上へちらりと逆まに映る鴉の影―どーすかΩ

陽炎の帯の上へちらりと逆まに映る鴉の影―どーすかΩ

この部屋の中にいるヤツに会いたいのなら もっと、寿命をのばしてからおいで

…なのか?


前期はあれだ、たぶん、サイヤ人ごっこだったのではないだろうか。

いや、つまり、すでに前期が終った仮構的な視点から語り始めることで、ある種の道筋を照らし出せないか、ということである。


で、前期が終った時点からのパースペクティブを先取り的に想像するに、たぶんぼくの目には「「これ」ってサイヤ人ごっこ的なものだよね」と映るだろう。

そのとき、そこですでに指示されている「これ」という全体こそが、現にその「これ」へと高まりつつある今まさにこのときどき?のそれぞれの瞬間の意味を究極的には担保するのである。


かんたんにいえば、「いまはどんなに苦しくて涙も枯れ果てて二度と笑顔にはなれそうもないけどあんな時代もあったねといつか笑える日が来るさだから今日はくよくよしないで今日の風に吹かれましょう」ということなのである。


サイヤ人ごっこ。

つまり、ぼろぼろになるまで笑顔で前向きにとことん腰をおとして目の前の技なり仕事なりに励み、死なない程度にぶっ倒れることで、超回復することを通して反って元の体力よりも大幅にパワーアップするみたいなことをがすがす繰り返してるよねみたいな。


だっぶーん!


×どたぷーん


たゆん、よりも、ゆさり、が好きです。

が、しかし、それはぼくがまだ未熟であるからかも知れません。

アントリーニ先生の叡智の言葉。

未熟なるもののしるしは大義のために死を選ぼうとする点にあり、対して成熟したもののしるしは大義のために卑小なる生を選ぶ点にある。

生きろ。

と、重里。


あれです、また話が戻りますが、成熟へと駆り立てられている。

成長しなければ越えられないハードルがぽんぽん近づいてきます。

成長というのはわれわれがおもうよりもフシギな事態であるようにおもいます。

成長以前の時点において、なにかしらのかたちで成長の必要をおぼえることで、あるいは成長の契機に出会うことで、成長へとすすみます。

けれども、成長の全体像というものは、見えません。

より本来的な成長において、成長以後のじぶんの姿は見ることが出来ないほどに決定的に他者的であるのです。


わたしはわたしならざるようになることをとおしてよりわたしらしくなる。

人間とはそういう逆説的な存在であるのです。

原的なねじれ。


あの、すいません、この記事の半分はおっぱいのはなしです。

おっぱいにおけるクラインの壺的事態、および、クラインの壺的存在としてのおっぱい?

日本語になってねえ

半分は森見のせいで、もう半分はK先輩のせいであるようにおもいます。


照れ隠しとしてのおっぱい。

なんなんでしょうね。

まったくね。


モモの時間論を用意しはじめています。

スケジュールという観点に対する根源的な批判にまで到れたらいいなあとおもいます。


リスク・マネジメントとはなんなのかならば、きのう発表しました。

まとめだけ書けば、


リスクとは損害の切迫のことである。

リスク・マネジメントとは切迫しつつある損害の現実化・出来を防ぐこと、遠ざけることである。

リスク・マネジメントはそのつどなにがリスクを被る主体なのか、そのつどなにが対象としてのリスクなのか、によって決定される。

なぜリスク・マネジメントが必要なのかといえばそれは、われわれがリスクを引き受けざるをえないからである。

個の存在の持続にはリターン(エネルギー。利益の切迫)が必要である。

リスクとリターンは表裏一体的、陰陽互根的、ファルマコン的構造をとる。

ゆえに、リスクを引き受けざるをえない…。


チゲ?

チゲ!

カムジャタン!!


時間ってなんでしょうか。

むつかしいですよね。


アイマスの一話をみる。

違和感がないのが違和感である。

おお、全編動いている。

Pに顔があって驚く。

ま、いいのか。

おもしろいかと聞かれれば、だれもおもしろさを求めていないからこれでよいのではないだろうか…。

ニコニコにあった情熱大陸のやつとあんまり変わらないような気がした。


アニメに救いを求めるな。

社会に不満があるのなら自分を変えろ。

それも嫌なら耳と目を閉じ口を噤んで孤独に暮らせ。


とかどうでしょうか。



今期は一覧をみた感じだと夏目友人帳だけ見ておけば十分だと思います。

ぼくはまだ一期からみてないので見れないです…。


あとはま、ぼくを含むブタがぶひぶひ言ってればいいんじゃねーかな。

あ、きょうのカムジャタン、ブタの背骨肉です。

おいしかったです(^q^)


クロワーゼは原作でいいや。

うさドロはなんかこう、もう食傷パターンのような気がして見たい気持がおきない。

6は世界観だけでも知りたいかな。

ノイタミナはまだ期待しています

まよちきと猫神はより純粋な形式の娯楽(アニメはなんのやくにもたたないことこそがその美徳のひとつである)ですね

社会派アニメとか、あんまりうまくいかないと思うんだよな。

滝沢くんのキャラ造形大好きだけどね。

6は一話をみてみたい。

一話がダメならさよなら

まよちきと猫神はあんまり退屈すぎなければたぶんみるとおもう

イライラしたらばいばい


風邪は治ったことにしないともうあと一回分しか薬がない

今週もがんばるぞー!