ボンソワール。
サヴァ?
サヴァ!
メルシー。
足の裏がちょっとだけできてきた。
稽古ではすり足を多用する。
だから足の裏が磨り減って(「すり足」とはまさにそうした事況を表している)、皮がめくれたりする。
そういうもんなのね。
で、すり足を続けるうちに足の裏の皮ふが硬くなってきて、すり足の身体運用が可能になる。
ちょっとつるつるになってきた。
四川料理は辛いです。
でも日本人むけにからさ控えめに調整されていてすごくおいしかったです。
謝謝。
ぼくは先生になりたいか。
これってけっこう…「けっこう」って茶化していられない程度にアクチュアルでまたデリケートな問いであるようにおもいます。
だって他人事じゃないからです。
いや、ほんとに。
でも、この問いに対してはノーがあってよいとおもう。
特に、ぼくがおかれた状況においてはそうであるだろう。
それはそうとして、やはりノーという選択肢は大いに留保されたままにおかれながらも、じゃあどうかと踏み込んでみる。
んー。
二年前?はわりと、ぼんやりではあったけれども「なりたい」とおもっていた。
これがおもしろいんだよね。
実際に人のまえで発言している。
けれども、それからして、正直に言って、教育にどれだけのことができるんだろうかと疑わしくおもった。
これもまた深い根拠があってのことではないけれども、不確かな、不十分な人間が教鞭を執っていいのか、と。
ではいまどうか。
わからない。
「無知ゆえに不適格であった教授はいた試しがありません。人は知っているものの立場に立たされている間はつねに十分知っているのです。誰かが教える者としての立場に立つ限り、その人が役に立たないということは決してありません。」
みんな同じなんじゃないかな。
ではじゃあ「いい先生」っているんだろうか。
わからん。
本はみんな繋がっている話。
人に薦められて『ごんぎつね』を読んだらニイミさんと、サークルのゼミで『佐々木の場合』を斜め読みしたらササキさんと、友だちになった。
フシギだ。
たまたまではあるのだろうけれど、あたかもつながっているかのように、当事者たるぼくの主観には映る。
道はまっすぐ進むように見える。
水曜日はぼんやり寝ていれば終る。
お昼に部室に足を運んでみよう。