IFO22 | 陽炎の帯の上へちらりと逆まに映る鴉の影―どーすかΩ

陽炎の帯の上へちらりと逆まに映る鴉の影―どーすかΩ

この部屋の中にいるヤツに会いたいのなら もっと、寿命をのばしてからおいで

お祭りがおわる。

科目登録をそろそろ考えないとやばいです。


ぼくが一番言いたいのは、そううまくいかねーぞってことなんです。

はじめにたとえば「これこれこういうサークルに入ろうかなあ」と思い描いているサークルなり部活なりにそのまま実際に入ろうと試みて、向うもあなたをまさに待っていて、入る、っていうふうにリニアに、時系列的に進行するんじゃないんじゃないかとおもうんです。

さかしらにこれはこうなんだ、と構えていても、だめだとおもう。

身体が強ばっていると、弱い。

ちょいと押したり引いたりすればすぐに転んでしまう。

たしかに、ぼくたちにはなにかしらの「予めの思い描き」のようなものが必要ではあるとおもいます。

けれどもそれは「わたしが探していたものはそれではなかった」というかたちで、間接的に「探しているところの当のもの」の実在を基礎付けるために必要なのです。

つまり、予測はまさにそれが裏切られるが故に現象を可能とする条件となる。

「これこれこういうサークルがいいかなあ」なんておもう。

でも、それは必ず裏切られる。

だって、まだおきていないことについて、その細部をすみずみまでリアルに思い描くことって、できないからです。

なぜ未来は予測しきることができないのかは「バタフライ効果」で説明できるでしょう。

バタフライ効果というのは、わずかな入力の差が莫大な効果を生んでしまうことを、蝶のはばたきによって引き起こされたわずかな大気圧の差が地球を半周することで暴風雨を生むというカラフルな比喩であらわしたものです。

そしてその微妙な差が、しかしまさにそのために決定的な差が、私たちを生かすのではないのか。

その差異に対する「あっ」という心の微妙な感動が行為と認識を環境と主体を構成するのではないか。

ぼくはそうおもいます。

だからみんなうちのサークルにはいろー。


キッチンミキのハンバーグが旨い。

500円だぞすごいぞ。


先輩の名前は全員覚えて、ちょっとずつだけど全員と話した。

いやーしかしすばらしいサークルである。

ぼくがべた褒め。

こんなとんとん拍子にすすんでいいのかというくらいあらゆることがうまくいっているような錯覚を覚える。

ま、都合のわるいことを見ていないだけなんですけど、そういうバイアスってけっこうだいじなんです。

え、科目登録?

わははは。