それで、ぼくは好むと好まざるとに関わらず、
一部完全に変成されたから、
思考もたぶんどこかで変わってると思います。
どうなんだろう。
ちょっと待って。
この二日?で、
そういうことにして物語化しちゃったんだけど、
それともどうなんだろう。
まだわかんない。
ある種、公的かつ攻的に、大胆に、
「主体性」の引き受けをやって、
で、誤読を恐れず、
政治的、エロース的な思考にシフトする、って思った。
ぼくは大またの思考と思ったんだけどさ、
それって結局「ささやかなもの」をみんな殺してしまう
だけなんじゃなかろうか。
つーか、これはある種、お前らがとことん冷めてる
せいでもある。
なんだよ…ぼくそんなに詩的でも不思議ちゃんでもないだろ。
たぶん平成ってそういう世界なんだな。
いいかどうかは別にして冷めてる。
ぼくが苛立ったのは完全に趣味の問題だな…。
これは放棄する。
うん、で、これは私的な問題で、
まだうまく言語化できてないんだけど、
「自己否定」運動の問題なんだよ。
ぼくは嘘ばっか言ってるし、さかしらな薄っぺらいこと
をべらべら話している。
それは否定しない。
でも「自己否定」のことだけは本当なんだよ。
これはホントに八年やってきたわけよ。
その社会的意義は別にしてさ。
別にそれを考課してほしくて点稼ぎのためにやったわけじゃ
ないよ。
ごく実存的問題だった。
時代がかりだけどさ。
Ungeziefer
http://ameblo.jp/hyorokun/entry-10165775128.html
これとか本気で書いてるわけよ。
たしかにどう見てもただのメンヘラちゃんにしか見えないよ。
それは自覚ある。
でも一方で、
リスカ日和
http://ameblo.jp/hyorokun/entry-10081815863.html
こういうさ、
どこかにクールな視線を残している。
絶えず理性の連続を確認しつつ、「にもかかわらず」、
ぼくの身体は怒り狂っている。
その二重性を延々と歩いてきた。
そういう問題がある。
だからぼくは
5分
http://ameblo.jp/hyorokun/entry-10674748948.html
ここでさ、
「でもこの記事は本気で書いてるぜ。」って
言うわけでしょ。
読みってさ、つねに不完全なわけよ。
一方ではそれが自由の担保であるわけで、
甘んじなくちゃいけない。
そこで完全性をおいたり、あるいは「教導訓育的」語り口
を採るとさ、その内容の如何に関わらず、
ぼくは烈火のごとく怒っちゃうわけだよ。
で、「品性」について。
ぼくとしても大変残念なんだけれど、一般に、「上品になれよ」っていう
ことを上品な人間が下品な人間に対して「教導訓育」してやることは
ありえない。
ぼくはきみに話してるんだぜ。
http://ameblo.jp/hyorokun/entry-10539493122.html
これはもう仕方がない。クセみたいなものだ。
でもぼくはそうした点では嗅覚が比較的敏感だと思ってる。
だからフーコー入門とか延々と読んでたわけでさ。
繰り替えすけど、八年は短いよ。
それがどうしたのか、一体どういう理路を通って、
正しさの担保となるんでしょうってねちっこく批判可能だよ。
でもぼくは身体を差し出して、本気で決闘できる。
負のプライドみたいなものだ。
ぼくはこの点に関して、微塵も命が惜しくない。
比喩ではなく本当に死ねる。
八年は短いよ。
でも、人間の身体を変成するには、十分な時間
なんだなこれが。
*
話が逸れたよ。
これはまた今度にしよう。
とりあえず今またぼくに必要なのは、
「話が合わない人と話し合っているという奇跡的事態の
維持存続のための終らない努力」すなわち
「雪かき仕事」なのだよ。
ぼくはぐらついたけど、それとは別に、「成熟」という言葉は
ぼくは一貫した定義を置いています。
大人になれよとか現実見ろよとかいい加減クールになれよとか
マジで地雷だからよろしくね。
もちろん君はそれを踏んでもいい。
でもね、社会的な価値一切を放り捨ててタイマン一本血ィ出たら負け、
言葉だけで勝負してもらうことになる。
ぼくはそういう「目下クソの役にも立たない」技術を練磨してきた
変態的人物だから、やめといた方がいいと思うよ。
(※煽ってます)
またまた話が逸れちゃったよ。
ね、でも、ぼくこういう話っていつも「言いそびれてきた」わけ。
言外に言ってるような気もするけど、
わかる人はわかる、わからない人はわからない。
でも、みなさん、黙ってるだけで本当はわかってらっしゃるって
形に構造化して、
それである種のスノッブな知的共同体が成立しているかのように
ふるまってきたわけ。
それが侵犯されてぐらっと来ると「ぼくは誰に向って話してるんだろう」
って言い始めるわけ。
その良し悪しは別にして、でも今や風景は変わりルールは変わってる。
でもまあ、いいとおもう。
ぼくたち長いこと一緒にいたわけで、ちょっとくらい殴りあったくらいじゃ
心が離れないわけでしょ。
ちょっと待って。制止してくれる大人の声が聞こえるけど、(ありがとうね)、
ぼくちょっと踏み越えてみるわ。
あのさ、ぼくは引きずり出してもいいと思う。
仮に、本当は寒々しい風が吹きすさんでるだけだとしてもさ、
それでも構わないような気がする。
好むと好まざるとに関わらずさ、腹くくっちゃったわけだよ。
陰腹って特に説明要らないよね。
筒井的な毒入りの笑い話だわな。
中国の思想では伝統的に人間に信を置く。
確かにすごいと思う。
孔先生、じゃあ大丈夫なんですよね。
みんな本当はわかってるし、話は通じるわけですよね。
あとは致良知なんで、それが解発されるかどうかってことでしょ。
「自己責任論」の蔓延に加担してきたわけなのであって、
(ぼくの実名=コミットってそういうことね)、
じゃあいいんですよね。
踏み絵みたいなことして悪かったと思うんだけど、
「成熟」とか「善」とか「共同体」とか「優しさ」とか「知性」とか
「勇気」とか「手助け」とか「身体性」とか「真理」とか「クールネス」とか
「愛」とか「努力」とか「文学」とか「世界」とか「生命」とか「希望」とか
言って、
ぼくは「ここがロドスだ、ここで跳べ」とまで書いたと思うんだけど、
なぜ「きみにお願い」
http://ameblo.jp/hyorokun/entry-10676280083.html
をスルーできるのだろうか。
別にもちろんいいと思う。
君は反論も、できるだろう。
だがぼくには「自覚的に関係者の立場と通行人の立場を往還する
二人称による構造的な暴力の方だ。それは見る暴力だ。」
をそのまま映し出しているようにしか見えない。
ぼくは、
「成熟」とか「善」とか「共同体」とか「優しさ」とか「知性」とか
「勇気」とか「手助け」とか「身体性」とか「真理」とか「クールネス」とか
「愛」とか「努力」とか「文学」とか「世界」とか「生命」とか「希望」とか
っていう言葉が宙に浮かないように、
(こんなのべつにサルでもいえるんだよ)
固有名と物理的身体を差し出したわけでしょ。
その限りにおいて、なにかしらの意味をもつわけ。
それはその背後に莫大な生活を懸けて、その限りにおいて、
やっと、髪の毛一本くらいの重みを持つわけ。
そして、しばしば人間の魂は、
髪の毛一本で救済されたりされなかったりが決定される。
そういうことでしょ。
君を待つってのは文学的修辞でもなんでもなくて、
君の、(お前だよ!)、反論を待ってるわけ。
言葉ってのは自由だよ。
何を言ってもいい。何を書いてもいい。
それで結果誰かさんが傷ついて死のうがどうしたことか。
そうだろ。
でも、にもかかわらず、君はその言葉が何がしかであるために、
「類」っていう壮大なフェイクの維持の為に心血注がないと
いけない。
議論は絶えざる修復の努力なのであって、破綻したまま
放り出したら何者でもない。
ぼくは、本当に、読まないよ、そんなもん。
チラシの裏の走り書きが人間の魂を救うことだってあるさ。
でも思想の恐ろしさということをもう少し考えた方がいいんじゃ
ないの。
状況への関与とか終らない努力とかアホみたいなさ、そんな面倒な
ことしないでさ、指差して笑っててもいいと思うんだよ。
ああ、いるよね、ああいう痛い奴ってさ。
どんな集団にも一定の割合で発生するもんなんだよな。
ぶはは、バッカみてえ。
金もない、女もいない、地位もない。
あーやだやだ。こっち見んなっつーの。
俺はあーいう奴だけは理解できねえよ。
で、なんであんな全身センスねえの?何があったの?www
酒も呑まない煙草も吸わないセックスもしない、
で、人生何が楽しいのかねえ。
んなことよりカラオケ行こうぜサークル行こうぜ呑み行こうぜ
はあ?バッカじゃねーの!!?
でもじゃあどうするの。
世界とか社会とかさ、これから先誰もがそういうの放り出して、
で、誰が維持するわけ?
わからないな。
ぜんぜん、わからないよ。
いいよ。
お前らが逃げ出してもぼくは一人で雪かきし続けるから。
バーカ!!
*
ん。
あれ?
当初と論の構成がまったく反対向きになったぞ…。
いいのか、これで。
ひょろくん、ホントにこれでいくの?
ん。
いいんじゃね?なんか大した話でもない気がする。
これが大した話だと思う奴がこれまでめでたかっただけだろ。
もうオネムです。知らん。