ぼく「ぼくって政治とかすごい疎くて、ぜんぜんわかんないです」
きみ「いやあ、いいんですよぉ。政治をめぐる言説はみんな「貧乏
くじ」なんですからね。だからあなたがそれをひくことはありません
よ。」
ぼく「たぶん「とんちんかん」に終始することになりますね。「自らの
政治的立場を明確にしていない点から明らかなように当事者意識が
欠落している」とか言われるでしょうね。「○○について言及しない
言説はみんな□□について語ったことにならない」とか言われること
でしょう。」
きみ「そうです、そうです。やめといたほうがよろしい。わざわざ面倒
に首をつっこむことはありません。」
ぼく「でもそういわれると頭にくるんだよなあ。「素人が知った風な口を
聞くな」という「信仰の人」が言ったことって、一年ともたないですよ。
それで「黙ってろい」といわれてもね、こっちは「天邪鬼」だけじゃなくて
「青二才」ですからね、そんなの血気盛んで我慢できっこないと
思いますよ。」
きみ「やめといたほうがいいって。」
ぼく「でもさ、「黙ってろい」っていう言葉はさ、論が「破綻してる」とき
「だけ」有効であるんだとおもうんです。そうじゃないところでは、いくらあの
「高貴な」「正しい」「優れた」「美しい」「善い」「気持ちのよい」「堂々とした」
「決断力のある」「効率的な」…「専門性」なるものにやんややんや
言われたって黙る気がしないです。」
きみ「まあそんなのは気にしないほうがいいって。」
ぼく「でもむかむかはしますよね。「街場の思想」というのは大いに在りうる
と思いますよ。」
きみ「うーん、イエスもノーもないね。もう「きみ」はできないね」
うん。政治って結局解がないんだとおもうんですよ。というか、解がない
ものをぼくたちは習慣的に「政治」と呼んでいるのではないか。
そう思うと、もう「無責任」という言葉は実効性を失っている。あのつまらない
二元論的言説ではないところで、語ることはありうると思います。
「鰯の頭も信心から」。「信じる者を信じる」という態度はやはり必要でしょう。
うまく言えないんですけど、でも、その「うまく言えなさ」に、ぼくはいつも
助けられてきたように思います。だから経験的には「あり」ですね。少なく
とも「主観的合理性」は依然つづいています。
だから、ぼくは積極的に政治を語らないことは特にしないことにします。
ちょっとそもそもよくないんじゃないか、って考えるところはあったのね。
でもその道徳的趣味には本来的な根拠は存在しないんだし、ほっとくと
かたまっちゃうものだから。
だから、
「出番を告げられた役者が、恥じらいを見られないために
そうするように、私も人生の舞台に登場するに際しては、
今まで観客として過ごしてきたのを、仮面をかぶって進みでる。」
□Lead me to your door.