ぼくはきみに話してるんだぜ。 | 陽炎の帯の上へちらりと逆まに映る鴉の影―どーすかΩ

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本稿は以下の記事の続きです。

まだ読んでいない人はぜひ読んでね。


□どうして君はイケメンになれないのか?

http://ameblo.jp/hyorokun/entry-10527913234.html


ぼくは「イケメンじゃあぜんぜんダメなんだぜ」と言って

いるのでした。

では、まずぼくはそのことを誰に向って話しかけているの

でしょうか。


声を張り上げてそんなことを言おうとするのだから、少なくともぼくは

自分の言葉が無駄になることを望んでいないはずですよね。

ならば、ぼくはきっと、「その言葉を投げつけて効果のある人間」に

向って話しかけようとするに決まっているのではないでしょうか。


「ぼくは誰に向って「イケメンじゃあダメなんだぜ」なんて言っている

のか?」という問いの答えは、「その言葉を投げつけて効果のある

人間」であるということになります。


では、「イケメンじゃあダメなんだぜ」という言葉を受けて何かしらの

影響を被る可能性のある人間とは誰でしょうか。

影響を被る人っていうのは、たとえば「かちん、とくる」とか、なんでも

いいんだけど、何かしらの反応をとってくれる人です。


それは、「イケメン」という言葉が一定の力を持つと信じる人間である

でしょう。「イケメン」という言葉にまるで興味のない人に対して

「イケメンじゃダメ」と言っても「蛙の面に水」であるに違いありません。


そして、「「イケメン」という言葉に力を見る人間」とは、

「イケメンについて語る人間」です。

それというのは、信仰もまた思考の効果であり、思考とは文体、語りの

ことであるからです。


では、「イケメンについて語る人間」は誰か?

これは簡単です。


イケメンについて語るのは、語らないではいられない人間は、

「イケメンではない者」です。

やんややんやうるさいのは状況に不満のある人間だけです。

もちろん、ぼくも例外ではありません。えへへ。


「「努力」を巡って、補考。」でも「品性」について同様のことを考え

ました。


* * *


で、「品性」について。

ぼくとしても大変残念なんだけれど、一般に、「上品になれよ」っていう

ことを上品な人間が下品な人間に対して「教導訓育」してやることは

ありえない。


というのは「上品というのは、それ自体で満足していること」とするならば

上品な人間は状況に全く満足しているから、それを改めて語るなんてこと

をしないから。

「上品」、「下品」っていう言葉が必要なのは、下品な人間だけだ。


というわけで、ぼくもまた下品にして「鮮仁」な人間なんだな。


□「努力」を巡って、補考。

http://ameblo.jp/hyorokun/entry-10516264579.html


* * *


ですから、ぼくが用があるのは、「イケメンではないやかましいお前」で

あったことがわかりました。

イケメンという言葉の周辺には、肝心のイケメンはひとりもいないのです。


さて、短いですけれど目的は達せられました。


しかしイケメンについて語る、ということは、「イケメンとはなんだったのか?」

という物事の核心を考えなければなりません。


別にそのことを考えてみたいと思います。