今日も読む。
何が書いてあったかというと、
5回。
孔先生の音楽論。
これは知らなんだ。
「泰伯」第八
「子曰く、詩に興(おこ)り、礼に立ち、楽に成る。」
人間の教養は、文学に始まり礼節においてしっかりとした
ものになり、音楽に完成する。
礼節というのは、人間関係における善意の美的表現、なんだって。
社会生活や家庭生活で、なんやかやをスマートに対応できる、
というのは確かにかっこいい。
孔先生における「礼」は、オルテガにおける市民=貴族論に接続できそう
です。
「八佾(はちいつ)」第三
「子、魯の大師に楽を語りて曰く、楽は其れ知る可きなり、始め作(お)こすに
翕如(きゅうじょ)たり。これを從(はな)てば純如たり。
皦如(きゅうじょ)たり、繹如(えきじょ)たり、以って成る。」
最初は打楽器が盛り上がってくる。やがて色々な楽器が参加してきて
純粋な調和がなる。パートの明確さ、連続と展開、そして音楽は完成する。
当時の楽というのはオーケストラみたいなものだったのだそうだけど、
孔先生はほんとに楽がお好きだったみたいね。
6回。
孔先生はなかなか王様に登用してもらえなくて、
諸国を巡歴することになるけれど、
そのはじめとして、斉の景公に断られた場面の
対話を少し読む。
斉の国、というのはとても豊かな大国。アメリカみたいな。
その君主、景公はポンコツだったらしい。
景公ははじめ孔先生を褒めていたのだけれど、
「もう年だから、今から大きな改革をやるのは大変」と
思い直して断った。あるいは、孔先生から、やっぱりいいです、
と断った。論語の当該箇所の解釈はいくつかあるみたいだけど
結局、斉で登用されることはなかった。
そのあと、孔先生はあちこち流浪の旅に出る。
なかなか登用してもらえない、けっこう悲劇。
そういう劇的な人物としての孔子像は、白川静先生が本を
著していらしたと思うので、それをそのうちに読みたい。
景公との対話での下り。
君は問う、政治とは何か。
孔先生答えて曰く、
「顔淵」第十二
「君君、臣臣、父父、子子。」
きみ、きみたり、しん、しんたり、ちち、ちちたり、こ、こたり。
ヂュヌヂュヌ、チェヌチェヌ、フフ、ヅヅ。
うーん、ぼくにはわかるけどわかんない。
秩序を重んじている感じは伝わってくるけど、
ぴんと来ないなー。
ここまで。こんな感じです。
論語の文を写すのは、ちょっと大変。
でもなんとなく楽しいです。