「現に君は今、君が信じたい「別様なあり方」のどれでもいい、
たったひとつも語ることができないでいる。もちろん、見ることも
触ることもない。」
「君にはそのことがもう十分すぎるほどわかっていたんだ。
だからこそ君は君の物語を書き換えることができた。君が
持つ意味を攪乱し、実際にここではないどこか別の、例えば
「200Q」に誤配されうる回路を開くような振るまいを選び取ること
ができた。」
僕はもはや自信を失くしていた。まったくこの男の言うとおりなの
かもしれない。僕は醜く身を捩る芋虫を想った。僕は何も楽しく
踊っているんじゃないんだ。僕はたとえ、意味性の大地に介入する
為の手足を失っていたのだとしても、それでも尚抵抗の意思を
ただもがき続けることによっては、意味しうるはずだと固く信じて
いたのだ。それが僕の考える存在の高貴さというものだった。
「だがそれは間違いだった。君はリアリティというものを履き違えて
いた。世界とは関係の網だ。現実とは化かし合いのことなんだよ。
君は現実の持つ引力を甘く見ていた。現実は本来可能であるよりも
多く言質を奪い取る。そうして多くの物語は塗りつぶされ、多くの
存在は殺されていく。
人類史上、政治の場面において、対話による意思決定が為された
という事実は一切確認できない。構造的に言って、人間は物語を
交換できない。人間は物語の共有の後に成立する。従って、あらゆる
コミュニケーションは自足的コミュニケーションでしかない。
来る日も来る日も、「物語は共有されている」という物語が確認され
続けているだけだ。」
「つまり、「ビッグブラザーの出る幕はない」とは、そもそも物語は
異質さを受け入れることができないという端的な事実を表している。
存在を不幸にする「人間」というシステム。一般的に言われる「自分」や
「意識」などといったものを私たちは知らない。身体が魂の牢獄なのでは
ない。魂こそが身体の牢獄なのだ。」
僕は男の話を聞きながら彼女の言葉を考えていた。
「ふと、思ったんです。なんだか、もしかすると、別の、もっとうまいやり方が
ありえたんじゃないかって。」
この言葉をぽつんと呟いたとき、彼女は何をしていただろうか。
彼女はそのときどんな顔をしていたんだろう。
僕は気づいた。思い出せない。
どんな服を着て、どんな香水をつけていたんだ?わからなかった。
それどころか、僕はこの言葉以外、「彼女」なる人物について、
何一つ思い出すことができなかった。
どんな性格か、どんな顔で、どんな声だったか。
僕は深い疲労を感じて、人差し指でこめかみを押さえた。
男は溜め息を吐いて、言った。
「思い出せないことがあるときには、覚えていることから
考える他ないだろう。」
全くその通りだ。僕は目の前にある言葉から考え始める
他にない。これは何について話したことなんだろう?
こう話すことで、結局彼女は何を言いたいんだろう?