今世界はポストモダン状況らしいっすよ。
ふーん、よかったじゃない。
いいよ、なんでも。好きにすればいいと思う。
「今はポストモダンなんだよ。これこれこういういいことが
あって、これこれこういうわるいことがあるんだよ。」
ご忠告ありがとう。でもね、そんなこと聞いても何にもならないと
思うんだ。だって別に気にならないし、どうでもいいと思って
いるんだもの。
いや、全く正しいね。僕もそう思う。今がどういう時代だと診断
されようが、その内部で生きる人間にとっては、ただ目の前の現実
だけが本当の現実であって、他ではありえない。
そうなんだよ。今が何モダンだろうが、そんなのは知ったこっちゃないし、
はっきり言って放って置いて欲しいって思ったんだ。
でもね、ポストモダンなる時代は僕らをして、素朴な「何も知らないで、
幸せでいたい」願望を成就することを許してくれないみたいなんだよ。
「ポストモダンはあらゆる価値を停止し、解体する。」
そうか、よかったじゃないか。
だけど、ポストモダンが提示する「軽やかでしなやかな知」なるもの*01の
中には、僕がどうしても放っておけない刺激的な否定命題が含まれて
いた。
「愛は、ありえない。」
もっぺん言ってみろ。
「愛はありえない。」
…どうかな、うん、いや、わからないな。
はっきり言ってそんな話は聞きたくなかった。
僕にはよくわからなかったから。
* * *
僕は「人間」に期待していない。
これは、性悪説であったり、人間不信であったり、相田みつを的
パフォーマンスでも、地球環境問題に関する全人類への呼びかけでも
ない。そんな有意義な話じゃない。
端的に言って、「人間」こそがあらゆる不幸と絶望の根源だと僕は
考えている。
「「精神」は「身体」の牢獄」(当然逆ではない)や、「存在を幸福にしない
人間というシステム(*02)」という言葉も同じ事態を表している。
いいかい、「人間」として「現実」を生きるのって、ロハじゃないんだぜ。
「人間」やってる為にウルトラハイコスト支払ってきてるんだよね。
だから、嫌ならやめりゃいいんだよ。
もちろん、一人でやめるのは難しいけどね。「人間」はその成立条件に
共同体を必要とするから、やめようとすれば道徳システムが邪魔しに
来るはずだ。
話が逸れた。嫌なら「人間」やめればいい。
「どちらでも、お客様がお好きな方をお選びください。」
「あい、わかりました。じゃあ「人間」やめます。」
それでいい。でも、にも関わらず、僕は自覚的に「人間」を選び取っている。
なぜか。ウルトラハイコストに見合うだけの、ウルトラハイリターンがある
からに決まってんじゃんか。
もう話は見えたかな?
僕たちが、諸悪の根源たる「人間」システムを、わかっちゃいるけどそれでも
やっぱりやめられないのは、「愛があるから」だった。
* * *
よくわからない人の為に捕捉しておくけど、「人間」って何かわかる?
人間って「人・の・間」って書くでしょ。でも別に間には何にもないよね。
特に何も見当たらない。見えないけど、確かにあるものがある。
「あはは、何にも見当たらないねー」って笑いあってるとき(超素朴だ)、
そこには(言語の)交換が発生している。
人間って、「交換する生き物」なんだよ。
等価交換?バカなこと言わないでよ。あんまりバカなことばっかり言って
たら、さすがに僕も怒るよ。「等価交換」なんてありえないし、ないよ。
マンガの読みすぎだよ*03。
人間は交換する生き物です。特に、「言葉」「貨幣」「女」を交換する。
男は交換しないのかって?基本的にしないみたいだね。誰もいらないん
だね。残念だけど、ぜんぜん価値がないみたい。
そして、多くの親族体系の神話の中で、「交換をやめることによって平和と
幸福が得られる話」が出てくる。交換をやめるってことは人間をやめるって
事だよ。僕らはマジで人間やめることを検討してきたんだ。
仏教もたぶん同じ教えだと思う。交換が悪いんだってこと。鋭いと思う。
じゃ、どうして交換が不幸をもたらすんだと思う?
交換が「手に入るけど、手に入らない」っていう逆説だからだよ。
交換するとき、みんなお互いに手の内を明かすでしょ。
「僕のこのカードと、君のそのカードを交換してくれ。」
他の人の持ってるものが手に入りうるようになる。にも関わらず、僕が
支払えるものには限度がある。だから、「手に入るけど、手に入らない」。
商品カタログを見ると物が欲しくなるのと同じだね。
人間の欲望の分析については、心理学や精神分析に多くの研究が
あるから、それを学ぶのがいいね。
* * *
だから、交換なんてろくなものじゃないんだ。でも、愛が交換を必要とする。
だからこれまでやってきたんだ。
ちょっと飛ばすけど、理路を大雑把に理解してくれたらいい。
愛は必然を求める。必然とは一つの物語である。物語は意味の束であり、
意味とは、抗エントロピー(ランダムさ)作用、不断の構造化のことに
他ならない。
その構造を保つのに、「言語」「貨幣」「女」の交換が貢献しているってわけ。
交換が構造を生成し、構造が交換を可能にする。「構造」と「交換」自体が
循環構造を描いているんだね。
ちょっとややこしいから、大体でいいよ。
僕には怖いものなんてないんだ。
陰湿な上司に減給や解雇を仄めかされても、酔っ払った顧客に不買宣言
されても、休み明け、職場や教室で自分にだけお土産がなくても、牛丼かけ
られても*04、ガラの悪いお兄さんに夜通し自宅の玄関ドアをポカスカ
殴られまくったとしても、集団リンチされて「穴掘って埋(*05)」められそうに
なったり、四肢切断されたり、コンクリ詰めされたり、あるいは(文字通り)
食べられちゃったとしても、僕は笑って見過ごせる。
まあ実際にやってもらったらひどい醜態を晒すことになると思うけど、
それは単に僕がヘタレだからだ。
愛さえあればそんなのは「爽健美茶にコーヒーフレッシュとガムシロ
入れちゃった、てへ*06」程度の話な訳よ。
明日交通事故に遭って下半身不随になっても、茨城の原発がメルトダウン
しても、フジテレビの球体がテロリストに爆破されても、医療制度が崩壊
しても、どーってことないんだ。
でもね、その愛がないって言われてるんだよ。これは正に由々しき事態だ。
まあおちょくってるんだけど、本気だよ。
「愛はありえない。」この言葉を聞いて、僕は胸の奥でスーッと潮が引いて
いくような感じ、気味が悪いほどの静けさを感じた。
しばらくして、僕は気づいた。僕は怒っていた。
人間は本当に激昂するとむしろ穏やかな表情になることを知った。
僕は愛の実在と力能を信じていた。
愛があるから、生きることができるし、死ぬことができる。
愛さえあれば、社長がありったけの資産をかき集めてトンズラしようが、
大統領が暗殺されようが君が自殺しようが地球が終ろうが、大丈夫なんだ。
それは悲劇かもしれないけど、劇だ。僕たちは意味の大地を旅していける。
僕は愛が真・善・美を結び合わせると信じていた。
愛がありえないんだったら、僕はもう、何もできない。
だから、僕は愛を鍛えなおす必要を感じた。物語や想像力を復権させなく
ちゃいけない。
それができなければ、僕はもう、死に一縷の望みを懸ける他なくなる。
僕は信じている。世界は終らない。
* * *
つーわけではい。すごいっしょ。超ベタでしょ。
いや、やっぱちょっと照れるよね。だから嫌だったんだよー。
「「否定することはたやすい」って言ってる割に否定しかしてないじゃん
かーッ!!」って誰も突っ込まないし。黙っとこうかと思ったけどさ、ね*07。
で、来る十年代の課題は、「愛」の再構築だと思うんですよね。
そして、その構想として、「失恋ゲーム」を考えています。
次にそれを説明しましょう。
注
*01
ニューアカの影響が色濃いです。なんかごっちゃになってます。
心証が悪いのは浅田彰の眼鏡が気に入らないからです。
*02
読まないといけないなって思うよね。ごめんw
□Amazon.co.jp: 人間を幸福にしない日本というシステム
http://www.amazon.co.jp/dp/4620310190
*03
アルはリバウンドで身体を失った対価として、釘宮の声を得たのであった。
□鋼の錬金術師 公式ホームページ
http://www.sonymusic.co.jp/Animation/hagaren/
*04
フジテレビ系列ノイタミナ枠にて2009年の6月から9月にかけて放映された
アニメ作品『東のエデン』の第五話の中で、ヒロインの森美咲は就職試験の
面接会場で牛丼をかけられる。
紳士な真性の「タダノキモイヘンタイ」(僕のことです)は、このシーンを観て
「こ、これがニッポン社会の現実なんだなぁ!許せないんだなぁ!」と
口角泡を飛ばしながら憤りを表明してくれるのである。
□Story - フジテレビ“ノイタミナ” TVアニメ 東のエデン
http://juiz.jp/blog/story/#000146
*05
「穴を掘って埋められる」のと「穴を掘って埋まってる」のとでは、これは
全く違う事態である。外在的な観察によっては両者は区別できないのだが。
□THE IDOLM@STER
[萩原雪歩]
http://www.idolmaster.jp/imas/character/03_yukiho.html
*06
爽健美茶にコーヒーフレッシュとガムシロを入れると、なんだかケミカルな
味に変貌する。意外と咽喉ごし爽快で、飲めてしまうから怖い。
スジャータのリンクはここでは省略する。
□爽健美茶(そうけんびちゃ)
*07
この「ね。」には結構深い思いがこもってるけど、それはまた別に書く。