Schizophrenic Xmas | 陽炎の帯の上へちらりと逆まに映る鴉の影―どーすかΩ

陽炎の帯の上へちらりと逆まに映る鴉の影―どーすかΩ

この部屋の中にいるヤツに会いたいのなら もっと、寿命をのばしてからおいで

どこにでもありふれた街。

他でもありえたかもしれないのに、すでにそこにもう、こうでしか

ありえない僕の姿が、ショーウィンドウのガラスに映りこんでいる。


空は全てを塗りつぶしてしまいそうな重たく鈍い白色に覆われている。

色とりどりの電飾が街を飾り、吐く息が白い。

人々は忙しなく、右へ、左へと歩き去っていく。彼らは一体何を急いで

いるんだろうか。一体どこから来て、どこへと去ろうというのだろう。

いや、僕は一体何を急いでいるんだろうか。どうして、どこかへ向おうと

するのだろう。


僕はひどく混乱し、疲れ果てていた。眼前に広がる一切が、色を、

輪郭を失って辺りを漂っていく。

何も考えずに、余りにも遠いところまで歩いてきてしまったことに気が

ついた。来た道を振り返れば意味の大地は遥かに遠く、ぼんやりと滲み、

現実味を欠いた表情を浮かべていた。


僕は己の非力さを痛感し、打ちひしがれた。

あらゆるものが悪意に満ち、狡猾な犬のようにその鋭く赤黒い牙を

剥き出しにしていた。

僕は何かに深く怯えているようだった。しかし、そんな馬鹿げた茶番の

インチキが、いくらかはわかっていたのだと思う。

何か、強大な力を持つ邪悪な存在が、例えば今はこの街の、どこか奥の方

に眠っていて、その吐息が、迷走する街路を抜けて僕のところに届く。

そこに含まれる毒気が僕を蝕んでいて、正にその「現実」が僕をして

恐怖せしめているのだと、そのように思われてならなかった。


同時に、僕は思った。「ああよかった。危ないところだった。僕はもう少しで

危うく罠にかかるところだった。だが僕は勝った。僕は気づいたのだ、これが

罠であるということに。危ういところですり抜けることができた。…僕は、

<わかった>。」

僕はそう強く考え、街を去ろうとして振り返った。だが、まだ逡巡していた。

引っ掛かりを覚えたからだ。辛うじて、「少なくとも、それは物事の、余りにも

浅薄な、皮相に過ぎないかもしれない」と、問うことができた。


確かに、まずひとつ、何も考えずに街の奥深くへと下って行って、無防備な

まま「邪悪な存在」に出くわす危険は破った。それはその通りかも

しれない。だから僕は一つの意味では、「わかった」勝者であり、わからずに

死んでいたかもしれない僕を乗り越えたのかもしれないと、この街の内側に

立つ、僕の眼からはそのように見えているらしい。


僕はその瞬間、思考を停止し、驕った。

そこからは一つの視座が抜け落ちていた。その抜け落ち方が古典的な、

物語の構造をなぞっているだけだと言わなければならないような、陳腐な

間違いだ。僕は目の前に展開する無垢な、ありのままの現実を、それ

そのものに見て取り、それから善悪の判断をしているものだと考えた。


だが、言うまでもなく、それは間違っている。僕は僕が見たいものだけを見、

信じたいものだけを信じる。

僕がフェアネスやディセンシーだとかいうような変な気を起こそうが起こす

まいが、結局のところ、かねて、そのように振舞ってきたし、現にそのように

振舞っているし、やはり、そのように振舞っていく他にないのだろう。

僕は空を仰ぐ。僕はこの世界の外に出ることができないことを、改めて

想った。やがて僕は少し落ち着きを取り戻していた。しかし心の中、今まで

ひどい不安が暴れ回っていた空間には、今度は深く鋭い痛みが、

ゆらゆらと揺れていた。


僕はこの街のどこか深いところに、強大な力をもつ邪悪な存在が確と

あって、そのそれによって、恐怖させられているのだと考えていた。

…もちろん、そう考えたかったからだ。

だが、あるいはことは全く逆かもしれない。僕はまず、恐怖したいから

恐怖していたのだ。恐怖がまずもって僕の中にあり、僕はそれを手放す

ことがなかった。はじめは、僕が恐怖を必要としたのかもしれない。しかし、

好きで持っていた恐怖は、少しずつ成長し、僕にはコントロールが

できなくなった。僕はそこから逃げ出したくなったのかもしれないが、

それと関わり合いを持たないではいられないくらいに、恐怖は重力を持ち

始めていた。僕はもはや恐怖から逃走することはできなかった。僕は恐怖

をどうにかして受け止め、世界に位置づけ合理化する必要に迫られた。

そして、僕は僕を恐怖させるような、「強大な力を持つ邪悪な存在」をこの

街に見出さないではいられなかった。僕は罠を回避し、この街を去り、恐怖

から解放されることを望んだ。


「邪悪な存在」の罠を打ち破った勝者だって?

その存在を願ったのは、他ならぬ僕だったはずじゃないか。

僕は僕の恐怖の原因と責任をこの街に転嫁しようとした。そして、街ごと

葬るつもりだった。

それは、あるいは正しいのかもしれない。仕方ないことなのかもしれない。
でも、そうしたくなかった。

僕はいつからか、この街に奇妙な愛着を覚えていた。深い意味はないが、

何の所以もない郷愁のようなものを勝手に嗅ぎ取って、執着していた

だけだ。しかし、できれば、切りたくない。後味が悪いから。


そうなると、僕がしなくてはならないことは、二つある。


一つは、どうして僕は恐怖を選び取らなくてはならなかったのか、という

問いを解き明かすこと。僕がその部屋に恐怖を満たした代わりに、何かが

放たれたはずだ。恐怖を代償として引き受けなくてはならないほどのもの

とは、何だったのだろうか。僕は一体何を失ったんだ?


もう一つは、この街のどこかにいる――少なくとも、僕の中ではいることに

なっていて、確かにそこに、存在するのを「知覚」できる――「強大な力を

持つ邪悪な存在」に会うこと。僕は、彼/彼女に会って、謝らなければ

ならない。そして、お礼を述べなくてはならない。



ごめんなさい、ありがとう。悪いことは全部終りました。

僕はもう、大丈夫です。