ハロー!ひょろです。
『明快!詐欺学入門』を、『明快!一般詐欺学入門』に
変えました。
というのは、なんでかっていうと、具体個別的な詐欺の
テクニックについては全然解説していないからです。
ごめんなさい、ものを知らなくて。
反対に「一般」というのは、いろんな詐欺がある中で、
それらを並べて考えたときに、一般的に通用する定理を
つくっていこうよ、という態度の表明です。
「詐欺には嘘が必要」
「嘘は気づかれたらばれる」
「嘘は本当のことに近いほど気づかれない」
「堂々としていたら気づかれない」
「堂々と小さな嘘を吐いている分には詐欺が見抜かれにくい」
といった程度しか書いてないんですけどね。
あと、最新の『僕が語るもの』では、自己言及性について、
軽く考察しています。
「僕は嘘しか言わない」というパラドックスから始まるんだけど、
『僕が語るもの』を読めば、『ハルヒ』の長門が言っていた、
「無矛盾な公理的集合論は自己そのものの無矛盾性を証明することが
できない」というゲーデルの議論はすんなり理解できると思う。
「世界のねっこは語ることができない」の方が、ゲーデルよりも
自己言及性と世界について、深く考えられていると思うよ。
まあ、ゲーデルはべつに自己言及性そのものを語ろうと思っていたわけ
じゃないんだけど。
いや、この部分は微妙な感じになってるな。
二点だけ指摘しておくと、
一つ、「思考に先立って目的が確とある」ってのは嘘だ。
ジブリ映画だと往々にして、当初の目的は達成されない。
たとえば、ラピュタのパズーは、親父の無念をどうのこうのはぜんぜん
忘れちゃったみたいだ。
二つ、「語ろうと思って語られたものは語ろうと思ったことの全体を
包み込むことができない。語りは外部を持つ」と言ったのは、
他ならぬゲーデルだったからだ。
このことについてゲーデルを責めようとするとだいぶ構造が入り組んじゃう。
…とりあえず、長門とオセロがしたい。