僕はここのところ、失敗、挫折、スランプについて、少し考えていた。
君は、「どうしたの、らしくないね」とか、言ってくれるの?
ありがとう。うれしい、ような気がする。
うん。僕は、うまくものを書けなくなったんだ。
それで、失敗ってどういうことだろうって考える機会を得た。
でも、問題は、正に、そういうことなんだよね。
僕たちのまわりのもの、あるいは僕たち自身が「らしくな」くなっちゃうと、
僕たちは、ひととき、微睡みから覚める。
どういうことか。
まずは、しばらく「失敗」について、僕が考えたことを聞いてほしい。
ⅰ.「スランプ」、「諦めなければ失敗はない」という言葉。
僕は「スランプ」という言葉はあんまり好きじゃないんだよね。
だって、「今、僕はスランプだ」と言うとき、僕たちは結局のところ、
何を言いたいの?何を見て、何について、語っているの?
「今スランプ」は、「やがて調子が回復する」ことを暗に言ってるんじゃない?
願望や期待なのかもしれないけれど、実際的な目の前の状況よりも
多くのことについて語ってしまっている。
僕は弱いから、そういう言葉を使ってしまいがち。
でも、それは誤謬、いや、虚偽でしょ。
調子が回復することはないかもしれないのだから、嘘だよ。
僕は、二度と自分が納得いくだけの文章を書くことはないかもしれない。
以降ずーーーーーっと不遇の内に、もがき苦しんだままで、
死んでいくかもしれないよね。それが良いことかどうかはともかくね。
また、仮に、調子が回復することがあったとしても、やっぱり、
このとき、この場面において、目の前の状況以上のことを言って、
それを他の人に受け入れさせるのは、嘘をついている、ということになる。
関連して、「諦めなければ失敗はない」という言葉がある。
どんなに困難なことでも、諦めずに取り組み続ければ、可能性は
途絶えない。長い長い苦闘も、願いが成就した瞬間に、全て有意な
プロセスとなって、光り輝く。
報われたら、確かにそうかもしれないけれど、希少性、リソースは
有限だものね。結局夢が叶わずに死んじゃうことはある。
そういうとき、「志半ばで倒れる」って言う。
この言い方もインチキだよね。続けていたら、これまでの努力の
延長線上に輝かしい勝利が待っていたのに、って言わんばかりじゃない。
違うな。過去のある時点で、その人が(僕が)その問題に取り組み始めた
瞬間に、将来、決定的な敗北に打ちのめされて死ぬことが決まったと、
言うこともできる。
僕は、「諦めなければ失敗はない」というのは嘘だと思う。
僕が実際に、困難な挑戦に立ち向かっているとしよう。
僕はもう、長い時間をその闘いに費やしている。
でも、不屈の闘志をもって、挑み続ける。
ハードルを想像するとわかりやすいかもしれない。
僕は、片っ端からハードルを倒していってるんだ。
でも、走り続ければそのうち越えることができるって、
僕はそういうふうに考えるだろうか。
そう信じるのは難しいと思う。
僕が、失敗(あるいは「来るべき成功」への意義深いプロセス)を
繰り返していくとき、そこで僕が意味してしまっているのは、
「勝利の予感の高まり」、なんかじゃない。
そこでは、僕の行動の見た目と、それが内包する深層の意味とが
完全に重なり合っている。
僕は、諦めずに続けることで、どうしようもない失敗、自分の敗北を、
自ら示している。
ⅱ.失敗それ自体をまなざすこと。
さて、とりあえずまとめよう。
僕が言いたいのは、こういうことだ。
「失敗」、「敗北」を前にして、僕たちは何も抵抗することができない。
そのあまりの迫真性、圧倒さは、文字通り、僕らをなぶり殺す。
僕たちは、報われない失敗、報われない敗北に対して、
一切の意味づけを禁じられている。
失敗それ自体、敗北それ自体には、何の積極的な意味も見出せない。
だから、僕たちは失敗や敗北や誤謬を認めたがらない。
間違っていないし、負けていない。
もう少し時間があれば、続ければ、やがて成功が訪れる。
あるいは条件が少し違っていたら、今ここで既に勝利を
勝ち取っていたのに。
…それは、嘘だ。
過去は、どうしたって拭い去れない「絶対」だ。
僕は、どうしようもなく、無限に可能性を吸い尽くされる。
ありのままの失敗を前にして、立ち竦む。
僕は、それに、まなざしを投げかける。
僕は、それを、どうにか理解しようと試みる。
でも、僕が理解に達することはない。
だって、意味なんかないんだもの。
一般的に言われる、「失敗の意味」、「失敗の価値」は、
実は成功の意味・価値を借りてきたものでしかない。
「失敗は成功のもと」である限りのおいて、成功のプロセスとしてだけ、
有意なものである。
失敗は、それより後に継起した成功によってのみ購われる。
だから、成功を待たずに死んだ人間の失敗は、物理的断絶によって
叶わなかった、不在の「やがて来るべき成功」の名の下に位置づけられる
ことになる。
僕たちはそうやって、失敗や敗北を意味づけてきた。
でも、もう、それはやめにしようと思うんだ。
嘘をついてごまかすことは、事態を全く解決の方向に導かないんだしさ。
こうして、僕たちは何の意味もない剥き出しの「失敗」「敗北」、そして、
それらの極致、「死」を明るみに引きずり出した。
「人間」は、何の意味もないのっぺらぼう、「死」の夢を見るか?