僕は、19歳になりました。
めでたい。
ティーネイジャー最後の一年が始まったということです。
特に19という数字に思い入れはないんですが、
誕生日、というものは、これはいつでも良いものです。
一年に一度、僕の日というものがあって、その日に限って
言えば、僕にできないことは存在しません。
僕は、今日だけは、なんでもできます。
杖なんかなくっても、チンカラホイ!と唱えれば、
いくらでもパンチラが拝めるというものです。
でも、そんなことをしてしまうと、パンチラ一回辺りの価値が
大いに下がって、世の男性諸氏+αの脳に重大な精神疾患を
引き起こしてしまう可能性さえあります。
どんなに少なく見積もっても、ですね、世界が大混乱に
陥る可能性が高いわけです。
ですから、僕としては、“パンチラの生まれ来るところ”に
対して、不介入、という立場を貫こうと思います。
ところで、僕が思うに、パンチラの本質というものは、
下着があらわになることの内にはありません。
パンチラの本質というものは、「覆いの不在」という現象それ自体に
あります。欠落の感覚が、人間の心理に訴えかけるんじゃないかな
って思います。
…ん?あれ、そうでした、パンチラは今、あんまり大事ではありません。
今日は、一年に一度の僕の日ですから、なんでもできます。
人に迷惑がかかるので、控えることにしましたが、パンチラさえ、
意のままに、引き起こすことができます。
それくらい、誕生日というものは、すごいもの!なわけですから、
大事にしなくてはいけません。
ここで、無駄にしてしまうと、また一年お預けです。
あ、今、ひらめいたので、何に使うか、決めました。
僕はこの日を、世の為、人の為に使うことにしました。
パンチラの価値を下げてしまうと、これはもう、とても迷惑、
なわけですから、反対に、価値を上げるようにすればいい。
よって、「パンチラの不在」に、全てを注ぎ込むことにします。
欠落の欠落が、人間の心に訴えかけるはずです。
というか、もう、むしろ、今日一日、潜在態としての
パンチラが常時続きます。
僕は今夜はもう、外出しませんが、みなさん良かったですね?
さて、一番大事な話しをしていませんでした。
一年に一度の、素晴らしき日を機能させるためには、
あることが必要です。
僕はもう力を使ってしまったので、みんなに命令じゃなくて、
お願いしないといけないのですが…。
僕を祝え!