「教室」における直接的コミュニケーションの極致のような
<他者>とのインタラクションと、Webを介した、匿名不特定多数の
能動的同期型ライブとの邂逅が意味する物の、
「ほんとう」の意味に気がついた。
S・ジジェクが指摘したように(読んでないけど)、
ヴァラエティ・ショーの「スタジオのお客様」や葬式の「泣き女」によって、
実際には、泣いたり楽しめなくとも、楽しんだ、泣いたことに
なるのだとすれば。
その「相互受動性interpassivity」から、Webのテクノロジーと、
私塾によって、「相互能動性interactivity」を導くことができる
のではないか?
さらに、「スタジオのお客様」や、現在の「ニコニコ生放送」と根本的に
違うのは、この試みが、番組に参加している「芸能人」の位置を
偶有化さえし、「教育」を極めて民主主義的な――統治者と被治者の
対比のアナロジーから教育者と生徒との対比を考えてみると
わかりやすい――形態へと押しあげることになるのではないだろうか?
実はこれ、ちょーすごいよ。