考えてみれば、簡単なことだったんだ・・・。
確かにここには、ネガティブな通奏低音、
地下水脈が連続して流れ続けていた。
“I am the eggman, they are the eggman”において、
僕がわざわざAnonymous Cowardを騙ってまで、
<自己内・「対話」>を視覚化し、それを「共有」しようと考えた理由は?
「素地」において、僕が感じていた「不可視的な他者の視線」と
リアルタイムなライブによる評価の裁定とは?
個人の閉じこもる「胞」と、電車のメタファーに託された
「連続性」とは?
「誤読」とリスク社会に対するアレルギーの源泉は?
僕は、なぜあの時、彼女に会いにコンビニに赴いた?
歴史と、「死者の来訪」の反復ではなかったか?
そこには、致命的に欠落したものがあったはずだ。
そして、僕は、ようやく、そのことに気がついた。
死者に対する最高のレクイエム。
選択肢と自由、共同体の崩壊、商品、欲求、資本主義の回路、
ニーズ、サービス、細分化、差別化、市場化、機械化。
それは、そのことを僕に知らせるための
出来事だったのではないか?
明日、帰るべき場所、太陽・・・。
歴史意識、社会変革、英雄的指導者、
嗜好、真理、疎外、Ghost、エロース、世界。
僕は何を恐れている?僕は何が悲しいんだ?
電脳、生命、暴力、記憶、回帰。
反復、ローカルとしてのリヴァリデーション。
誰も僕を知らず、
僕のほうでも誰をも知らないところでありさえしたら
そこへ行ってどうするかというと、
耳と目を閉じ口を噤んだ人間になろうと考えたのだ。
真意は?
個人、孤独、困難。
なぜ、僕はここにいる?
答えは、・・・シンプルにして、明快。
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