『四月物語』考察♯03 | 陽炎の帯の上へちらりと逆まに映る鴉の影―どーすかΩ

陽炎の帯の上へちらりと逆まに映る鴉の影―どーすかΩ

この部屋の中にいるヤツに会いたいのなら もっと、寿命をのばしてからおいで

冒頭から回想シーンまでは、観客は

初めの内うーちゃんに気づかなかった

クソヤローの先輩と同じ視座にいます。


僕達が知るうーちゃんは、

東京の大学に進学するに当たって親元を離れ

不器用ながらも何とか周囲の新しい生活に

馴染んでいこうと努力するごく普通の、

ありふれた女の子です。


本が好きだから本屋に行くし、自転車は

もちろん必要だから買ったのだし、C級映画マニア

だから「生きていた信長」を観るのです。

あまりにも自然な、充実した毎日。


でも、回想シーンを通して、卯月が現在の自分を

再確認するのと同時に、僕達にも「卯月の世界」が

「どこぞの馬骨野郎」の為の擬制だったことが

わかってきます。


馬骨がうーちゃんを思い出すことができたから

彼女の努力は報われることになったわけですが・・・。

なんとなくむかつくよね、いや、ホント。


簡単に言えば、

先輩を意識しつつも、意識している自分を先輩に

意識されたくない自分を意識しているからこそ、

意識的に無意識を装うってことです。


あれ、あってるかな?


あるいは、「恋に効く微妙な距離感」ってことで。