冒頭から回想シーンまでは、観客は
初めの内うーちゃんに気づかなかった
クソヤローの先輩と同じ視座にいます。
僕達が知るうーちゃんは、
東京の大学に進学するに当たって親元を離れ
不器用ながらも何とか周囲の新しい生活に
馴染んでいこうと努力するごく普通の、
ありふれた女の子です。
本が好きだから本屋に行くし、自転車は
もちろん必要だから買ったのだし、C級映画マニア
だから「生きていた信長」を観るのです。
あまりにも自然な、充実した毎日。
でも、回想シーンを通して、卯月が現在の自分を
再確認するのと同時に、僕達にも「卯月の世界」が
「どこぞの馬骨野郎」の為の擬制だったことが
わかってきます。
馬骨がうーちゃんを思い出すことができたから
彼女の努力は報われることになったわけですが・・・。
なんとなくむかつくよね、いや、ホント。
簡単に言えば、
先輩を意識しつつも、意識している自分を先輩に
意識されたくない自分を意識しているからこそ、
意識的に無意識を装うってことです。
あれ、あってるかな?
あるいは、「恋に効く微妙な距離感」ってことで。