市場嗜好主義でいいかな?
資本主義の最終的な形態らしい。
会社の意思決定、そして社会の意思決定を
市場による統制化に置かれた状態。
資本主義にはローカル性は存在しない。
アジア的資本主義、日本的資本主義というのは
バイアスがかかった状態で、ただゆがんでるだけみたい。
最終的にはどれもアングロサクソン的資本主義に
移り変わっていくらしい。
資本主義の原動力は、その核たる資本自体に
「拡大せよ」というコマンドが刻み付けられている、
その欲求なんだと。
いまいちわかんないのは下の
「大きなロマンを求めて、それによって自分自身を確認」
することが悪いらしいこと。
大きなロマンはグランド・ナラティブかな?
あくまで社会の枠組みに依存するのがダメなのかな。
結局は全体主義であり、個人が埋没している。
つまりは大衆と個人の問題なのだろうか。
以下、引用。
~
ただ怖いのは、大きなロマンを求めて、それによって
自分自身を確認しようという流れが必ず出てくるであろうと
いうことです。それはある種政治性を帯びるということを考えると、
そちらが主流を占めてしまうと非常に危険な状態になるでしょう。
全体主義の現れ方がどんな姿をとるかはわかりませんが、
何かしら個人を全体に埋没させるという考え方が出てくると
思うんです。
~
そのくらいわれわれは個を持っていないし、「全体の中に
埋没することが生存のために最も適した戦略である」と
いうふうに心の中に染みついているわけです
~
引用部分はここまで。
□こちらデスク/日本のカイシャ、いかがなものか!)
インタビュー・ルーム
三ツ谷 誠氏 市場、個人およびカイシャの一般法則
インタビュアー:岡本呻也氏
http://www.ne.jp/asahi/shin/ya/intr/mitsuya/intro.htm
必読。※引用はこちらからさせていただきました。
□[JMM]村上龍、金融経済の専門家たちに聞く 寄稿家:三ツ谷誠
http://ryumurakami.jmm.co.jp/dynamic/economy/writer_question19_1.html
こっちもいっぱいあるから参考になるかと