いくらなんでも誰も何もしないのに、
道端に宝箱が転がっているという状況は発生しない。
宝箱があるということはそこに宝があり、宝を容れた人間が
人為が存在するということである。
宝箱が「プレゼント・ボックス」で持ち去る第三者の視線が
意識されたものである以上、そこには入れた人間の意志が
隠れている。
持ち去る人間がそれに気づいているかどうかはともかく
宝箱にカギが入っていれば持ち去る人間はそのカギに合う
カギ穴を探し始める。宝を容れた人間によってコントロール
されるのである。
僕はのんびりとした思索の末にこのことに思い当たって
愕然とした。
もしかして他にもこのことに気がついた人間がいるんじゃ
ないだろうか?
恐らくはじまった当初の宝箱協会はやはり純粋なものだった
のだろう。しかしそこに明確な悪意を持った何者かが手を
加えたに違いない。
そもそも宝箱というシステムは繊細で微妙なもろい薄氷のような
存在である。彼らのような乱暴な人間が土足でドカドカ走り回ったら
簡単に崩れてしまいかねないのだ。
僕は焦った。
問題が発覚した新聞記事から逆算すると、もうほとんど時間が
残されていないと思われる。
傾きかけた宝箱協会と、そこに悪意を持って何かを組み込んだ
人間がいる。カギのありかが記された地図どころかカギ穴の場所さえ
まだわからない。
今、僕の目の前に一台の宝箱があった。
どうやら僕がこいつを開けることが期待されているらしい。