今朝の新聞の七面にこんな見出しがあった。
「宝箱協会、暗躍」
大して目立つわけでもない、ごく日常的な
自分には関係のない記事だと誰もが
読み飛ばすであろう。
(今思うとそれくらいその記事は読む人に
「この記事はどうでもいいな」と思わせる何かの
力が働いていたように思える。)
見出しについて、これは「暗躍」とはいっても
現在起こっているものではなく最近には違いないが
過去の出来事である。
新聞に書かれてしまった今ではもう「暗躍」ではないし
新聞である以上紙面に載っている記事は新鮮な
ナマモノであるべきだからだ。
とにかく僕はごく例外的に、この記事に強い興味を覚えた。
現象面にしても「宝箱協会」なるものが新聞に載るような
事件を起こすくらいの成長を見せているというのが面白い。
「宝箱協会」は人知れず孤独に地道に着々と何かしらの
工作活動を行っていたというのだ。
「活躍」するのは根気さえあれば誰にでも可能だし、
有意義なものだ。
目標に向かって努力を続けた末にその過程を人々に評価され
その苦労を共感されて、ハッピーエンドである。
しかし「暗躍」はそうではない。
まず、人目を避ける必要がある。もちろん、見つかったらもう
暗躍ではないからだ。
人の目から逃げながら目標に向かって努力する。
サッカーをしながらカップラーメンを食べるようなものかも
しれない。全くアウトローな奴らだ。
しかも大変難しい。同時に二つのことをこなすには
注意力と広い視野が必要だし何より疲れる。
目標を達成したところで誰も評価してくれない、共感もない。
物語は何も進行しないのである。
新聞に載るほどの事件だからかなりすごいことだ。
一体全体宝箱協会の連中は何をやらかしたのだろうか?
彼らをして「暗躍」させるほどの何があったのだろう。
そしてもう一つ、なぜ「暗躍」は表舞台に現れて来たの
だろうか?
しかし、残念なことに僕の新聞には肝心の記事本文は
存在しなかった。
本来記事があるべき場所にはが覗いていた。
ちょうどこの記事の下に来る9面の記事だった。
僕が読む前にスクラップされていたんだ。
確かに僕が住んでる地域の新聞配達のお兄さんは
山羊だったような気がするけど、新聞配達は彼の仕事
である。いくらお腹が空いていたとしたって決して商品には
手を出さないだろう。
彼が仕事に誇りを持っているだろうことに疑いの余地はないし
そういう疑問があがること自体が彼に失礼だ。
つまり、新聞がスクラップされたのは新聞が新聞配送所に
届く前か新聞が僕の家の新聞受けに届いてから僕が七面に
到達するまでの間である。
どちらもありえないことのように思える。
僕は朝一番新聞受けから取り出してすぐにかばんに放り込んだし
最初に新聞を開いたとき、まだ誰かが読んだ形跡はなかった。
そして、記事を切り抜いた痕も実にうつくしい。
無駄な破壊は一切見られないし縦にも横にも同じ幅の余白を
残してある。
巧妙で手が込んでいてある種の美学を感じさせる・・・
完璧な仕事振りだ。
しかしそうは言っても許すわけにはいかない。
ここに被害者が存在する以上、これは憎むべき犯罪である。
ある朝唐突に僕の身に降りかかってきたこの地味で仕方がない
微妙な事件は、僕の想像力を遥かに超えていた。
そもそも加害者が、犯人が存在するのかさえわからないのだ。
とりあえず僕はこの事件を頭の隅っこの引き出しにしまって
おくことにする。