学ぶ | 陽炎の帯の上へちらりと逆まに映る鴉の影―どーすかΩ

陽炎の帯の上へちらりと逆まに映る鴉の影―どーすかΩ

この部屋の中にいるヤツに会いたいのなら もっと、寿命をのばしてからおいで



学ぶ、というのはやはり大変な作業である。


「ヘウレーカ!」と叫んだときに脳内で分泌される物質は

他のものに比べられないほど素晴らしいものらしいけど

そんなもののためにやっているのは一部のヘンタイだけである。

多くの人にとっては辛いものなのだ。


そもそも自ら喜んで「学ぶ」という作業に身を投じる人はいない。

それはもう追い詰められてしまってどうしようもないから

そこに向かわざるを得ないというものである。


まず、学ぶ対象に相対する。

いや、面と向かって一対一というケースはほとんどない。


近づいてくる気配を感じて恐れおののくか、トオボエを聞いて

絶望するかして真っ黒に塗りつぶされたような心持になる。

他人事ではなくなって実際に他でもなく自分自身の身に

火の粉が降りかかってくるのに気づく。



ある者は逃げ出すが、その中に逃げて一見安全なところまで

行ったところで結局逃げ切ることは不可能であることに

気づく者が出てくる。逃げ切ったと安堵した人々が眠り込んだあと、

空になったテントに静かに射しこむ朝の光・・・その光景を見てしまう

者が現れる。



なるほど、逃げるということは恥ではない。

相手との力量差を見て、逃げるという選択肢を選ぶのも勇気だろう。

敵に背を向け、仲間を見捨ててでも守り抜かなければならない

信念もあるかもしれない。

しかし、逃げることすら叶わないのである。




逃げて逃げて、なんとか人ごみに紛れ込む。


日常が、日常の音が戻ってくる。

ハトとピーナッツと下水と排気の混じった、

この世の終わりのような臭いが戻ってくる。


つまらないジョークに、にやりとして

ポケットの十円玉を爪の先ではじく。


「ここまでくればもう安心だろう・・・。」


しかし、心のどこかにふわりと浮んだ誰かの視線が彼のボロボロの

テニス・シューズにかかる手の形の影を見つめている。




逃げようともがき続けるのだが「わからない」という胸にぽっかりと

開いた穴は呪いの様にいつまでも彼にささやき続ける。


学ぶという行為は自発的なものではない。

外的要因によって誘発される一種の拒絶反応なのだ。


「学ばされる」ということは究極の暴力である。


彼らは肉体面、精神面、あらゆる角度から全てを要求してくる。

しかも性質の悪いことに、彼らは彼が絶対に断れないということを

よく知っているのだ。


彼らはフェアネスとかディセンシーといったものは欠片も

持ち合わせていない。

狡猾で偏狭で独善的で気まぐれで危険な連中であり、

彼らの要求は常に難解で不毛で回りくどい。


「学ぶ」ということを無菌で高潔で一点のシミも許されないような

純粋な存在、あたたかで穏やかで柔らかな美しさを持ったものだと

勘違いをしている輩が実に多いが、

実際は暗く、曖昧で不確かでいて生臭くて痛みだけはどこまでも深い

妙なリアリティを伴った苦行なのだ。





我々は涙を呑みながら、

黙って彼らの要求に従うより他にないのである。