前回のつづきをご紹介します。
2004年の東京でのローランド・ケルツの「世界でいちばん気に入った三つの都市」のインタビューでは、三つの都市としてマサチューセッツ州ボストン、ストックホルム、シドニーを挙げています。
2004年のアメリカの雑誌に掲載するために青山の事務所でジョン・レイのインタビューを受けた「何かを人に吞み込ませようとするとき、あなたはとびっきり親切にならなくてはならない」では小説家村上春樹を赤裸々に語っており、作品を完成させる過程や登場人物だけでなく、各作品に対するコメントや音楽まで幅広く答えています。
2004年の文學界編集部のインタビュー「せっかくこうして作家になれたんだもの」ではレイモンド・カーヴアーについて熱く語っています。
2005年の文學界編集部のインタビュー「恐怖をくぐり抜けなければ本当の成長はありません」では批評を見ても、読者の反応を見てもこれくらい評判の悪い作品は初めてだと担当編集者から言われた「アフターダーク」について語り、脚注で村上は「短めの長編小説」はいつも出版されたときには評判がよくないのは次に進むための段取りでもあるので気にならないと述べています。
2005年のアメリカの雑誌に掲載された「夢の中から始まる」のインタビューでは、レイモンド・カーヴァー、カズオ・イシグロについて語り、海外で過ごしての創作活動と帰国のきっかけとなる1995年の2つの事件、自分の解説本に対する意見と読者とのメールを使った繋がりの必要性について多くを語っています。
2005年にアメリカで掲載された「小説家にとって必要なものは個別の意見ではなく、その意見がしっかり拠って立つことができる個人的作話システムなのです」のインタビューは直接対面ではなく、メールのやり取りで行われたものだったが、この後インタビュアーと直接対面してみるととてもいい奴だったと脚注で述べています。
2006年のアメリカで掲載された「サリンジャー、『グレート・ギャツビー』、なぜアメリカの読者は時としてポイントを見逃すか」のインタビューではアメリカについて語っています。
2007年の「考える人」に掲載された「短編小説はどんな風に書けばいいのか」のインタビューでは、長編小説と短編小説の違いを語っています。
2008年のドイツの「シュピーゲル」に掲載された「走っているときに僕のいる場所は、穏やかな場所です」のインタビューでは走ることと書くことについて語っています。
2008年のスペインの雑誌に掲載された「ハルキ・ムラカミあるいは、どうやって不可思議な井戸から抜け出すか」のインタビューは表層的なものとなっています。
2009年の日本の雑誌に掲載された「るつぼのような小説が書きたい」のインタビューでは「1Q84」1・2が発売される直前の思いが大いに語られています。
2011年のスペインの雑誌に掲載された「これからの十年は、再び理想主義の十年となるべきです」のインタビューでは良い物語は西洋・東洋の区分の無い普遍的なものだと語っています。
いかがでしたか。是非本を手に取ってみてください。
以上