少年による凶悪犯罪が起きると、必ず同時に起きる論争なんだけど。
少年法ってのはそもそも前途ある若者が若気の至りで犯してしまった犯罪に対して「若かったからしょうがないよね、反省してね」という意味で罰を緩和するいわば鬼ごっこでの豆扱いみたいなものだと思う。
少年法の制定は終戦直後の昭和23(1948)年。戦後は親を無くして自力で生きなければならない少年が多かっただろうから、生きるために犯した犯罪ならば多少は目をつぶろう、みたいな風潮が制定の背景にあったと思う。
だけどその豆扱いをいいことに暴挙に及ぶような小賢しい知恵が付いた最近の奴らは、もう少年とか呼べないと思う。庇護する必要どこにある。
今話題の川崎の事件だけど、こいつの中に「オレ未成年だから殺しちゃっても大丈夫~」っていう意識があるほど計算高かったどうかはわからない(親子共に弁護士の書いたシナリオ通りにしか動けない様子を見ると相当バカだとも推測される)。ただただ被害少年が気に食わないから暴力がエスカレートした結果、の心底バカな奴のような気もする(っていうかその後の取り調べで5歳も年下の少年に本気で嫉妬したが故の短絡的な犯行だったことが分かる。本当に救いのないバカとはこいつのこと)。
ただ、そこに至るまでの経緯はともかく人を殺してもへっちゃら、という意識を持ってしまった奴は、人としてもうおしまいだと思う。更生の余地などない。
人を殺しているのに、(嘘だという自覚が自分にあったとしても)覚えがないって言えるその精神構造が恐ろしすぎる。しかも、川に突き落としたり冬の夜に裸で放置するとかの「未必の故意」による殺人ではなく、首を刃物で刺すという「絶対死ぬ」ようなことをその手でやっておいて、なぜ嘘がつけるのか。返り血だって浴びただろうに。
まあ、その出来事があまりに非日常すぎて「やったのは自分ではない」と思い込ませようと必死になって本当に自分ではないと思い込むようになった。って可能性もありますけどね。だからなんだ、って話ですけど。やったのはお前だっちゅーの。
ところが突然入れ知恵でもされたのか、
取り返しのつかないことをしてしまった、今は反省している
とかって言い出したから情状酌量の余地もあるとか報道で言い出してて。
おいおい、ごめんで済んだら警察いらねーよ!!(゙ `-´)/
しかもたぶん彼、殺した相手に対しての謝罪って言うより、これから自分がどんな目に遭うか怖いからそう言っただけのような気がしますね。まるでコントみたいな、強いものにはペコペコ、弱いものには威張り散らすチキン野郎だったそうですから。
っていうかねー、若者は失敗してなんぼだとかいうんだけども、それでもやはり
「取り返しのつかないことをしでかしたら、文字通り取り返せない」ことがあることを知らしめるべきです。
人の命を「若気の至りでしたてへぺろ」みたいな感覚で奪っておいて、十年そこそこ収監されてれば許されて普通の暮らしを営んじゃうとか
「人の命は地球より重い」
って言ってるのと矛盾します。今までのどんな少年犯罪の被害者を見てきても思うけど、被害者の命の扱い、軽い軽い。少年が殺そうが成人が殺そうが、人がこの世から消えるっていう意味では遺族にしてみたら何ら変わりはないのにね。
反省しただけで(たとえ刑務所の中でも)生きてられるし、出所して30~40ならまだ人生のやり直しもきく。顔も割れてないし普通の生活に戻れる。
人の一人くらいそりゃ簡単に殺しちゃうよね、って言いたくなる。
被害者は殺されちゃっていなくなったから生きてる加害者の命を大事にしようじゃないか、加害者だって命ある人間だ、なんて、被害者遺族からしてみたら人権擁護の名を借りた欺瞞でしかないでしょう。
あまつさえ被害者遺族が「お前もしね、自分の手でころす」などと声を上げれば非難される。いつもそうだけど(光市の母子殺害事件とかもそうだった)加害少年に対してだけなんでか一生懸命に弁護士とかが立ち上がるよね。この事件も、光市の事件もそうだけど、加害者側に何の情状酌量の余地もなかったんですけど。
なんか間違ってる。金になるからか?とか邪推してしまう。
そしてこの記事を書きあぐねている間に、さらに新事実、
「18歳少年は(すっとぼけたコメント出したクソ親父に)虐待されていた」
という。
で?だから何?
と言いたくなるような情報でしかないです。
虐待されていたことはお気の毒だし、虐待は連鎖するって言うけど、だからって人を殺して許される理由にはこれっぽっちもなりません。だったら虐待された人はみんな殺人者になるってことになりますが実際はそうではない。
こういう事件があって、加害者側に虐待された事実があることが公表されると「虐待されて育った人が、他人を傷つけるのは当たり前」と見られる可能性がある。ましてや虐待の過去を理由に減刑なんか、むしろしちゃダメだろって。
ってゆーか、虐待されても立派に育った人のためにこそ、虐待されて育ったからと他人を傷つける人間を簡単に許してはいけないと思うんだよ。
あんなのと一緒にすんな!!!って思うでしょう。
でね、もちろんこの事件、周りの大人たちにも思いっきり責任あると思うんですが(特に主犯少年の親)、でもそれでも、18歳ってやっぱり、自分のしでかしたことに自分で責任を取るべき年齢なんだと思う。
というか、明確な殺意を持って人を殺した場合は、何歳か、で処分を分ける必要が果たしてあるのかどうか。すくなくとも殺人という犯罪においてだけは、加害少年を守る必要は今の世の中には無いと思いますけどね。
あとどんな少年も更生の余地があるとか嘘です。再犯でとんでもない事件起こしてる奴もかなりいます。人権派弁護士ってなんでそんなに加害少年に夢見れるんでしょうかねぇ。「オレならキミを救える」とか、なんかこじらせてんじゃないかと思うけど。
少年法自体は必要であるとは思うけど、殺人は別、にしないと、結果少年法を逆手に取って殺人を犯す少年がこれからも増えると思う。どーせ死刑にならないからいいや~なんて思う胸糞悪いガキが増えるだけですよ。
今までのその場しのぎ的な改正ではなくてもっと根本的な改革が必要なんだと思いますね。
なんか時間をかけて書いた割にはまとまりがない……。
読んでくださってありがとうございました。
ブログネタ:視力いくつ? 参加中つい先日、職場で健康診断がありまして。
安定の両目1.5でございました。
さすがに少し落ちただろうなと思ったんですが、元々若い頃はずっと2.0かもしかしたらそれ以上くらいあったので、要は落ちてこれです。
そんなわけで昔から
「漁船に乗って魚の群れを見つける仕事に就いたらいい」とか
「アフリカの人みたい」とか
いろいろ言わてきました(笑)
あとこの目の良さを買われて、勤務していた印刷会社で乱丁を見つける係を務めていたことも。(装丁した本を上下から見ると、ページが折れたまま装丁されてたりするとうっすーく隙間が出来ているので、それを見つけ出すオシゴト。目さえ良ければ誰にでも簡単に出来ます!)
ただね最近かすみ目がちなので、これはさすがに加齢だろうな……と。
あと、「右目が乱視気味かも」と言われたのは初めてでした。
ところでね、「母親の口癖」トップ3は無理でも、恐らく8位くらいまでにはランクインするであろう
「暗いところで本読んで(ゲームやって)たら目が悪くなるよ!!」
ってお決まりのアレですが、あれ、嘘っていうか万人に当てはまるものではないと思います。
中学生になるまでは我が家は「9時消灯」厳守でした。眠かろうが眠くなかろうが、9時になったら強制的に布団に入って部屋の明かりを消さなければならないのです。豆電球は付けててもオッケーでしたけど。
でも子供の頃寝付きがあまり良くなかったアタシは、薄暗い部屋の中で布団に入って暗闇を見つめていると、何かが動いたような気がしたり、いろいろ考えてしまって怖くて仕方が無かったのです。それを紛らせてくれたのが本だったわけで。
豆電球の明かりの下で親に隠れてこっそり、楽しい内容の本を読んで長い暗い夜を耐え忍んでいたのです(おおげさ)。
小学校高学年になると布団の中に懐中電灯を持ち込む荒技を覚えました。
ですが親ってなんででしょう、気配でも感じるのかなんなのか、良く見つかって怒られたんですけど(起きてること自体はあまり怒られはしないんだけど、↑例の文句で)、まっっっったくそれで目が悪くなることはなかったです。
ゲームも相当やりました(てかやってます)。小学生のときにファミコンブームが起き、兄妹で中毒のようにやってましたけど、小学校3~4年の頃って急に視力が落ちたりする時期があるらしいですね。兄はそこにどんぴしゃだったのがよくなかったのか、そこから転落するように目が悪くなってついに中学生で眼鏡デビューしましたが、自分はほんっっとへっちゃらでした。
こうした経緯を踏まえて考えるとですね、多分ね、暗いところで本を読んで目が悪くなる人は、もともと目が悪くなる要素を持ってる人なんではないかなと。
だから、別に暗いところで本読まなくても、ゲームをやり過ぎなくても、別のことで目を酷使(下手したら酷使なんかしなくても)したら目は悪くなっていっちゃうのかもしれません。逆に言えば視力のいい人は、暗いところで本を読んだりするくらいでは全然大丈夫!ってことです。
こればっかりはなんとも。持って産まれた素質としか言いようがないっつーか。
ただ自分ももうそろそろ老眼を危惧しても良い年齢です。
スマイル40?なにそんなジジババの目薬(笑)
って思っていたのがまさにそれ買わなきゃ世代になりました。
暗いところで長い間本を読むのはやめようと思います。
ブログネタ:パンにはバター?ジャム? 参加中私はバター派!
どっちかしか塗れないなら迷わずバター。
一度発症すると、文字通りトースト食べるまではどんな種類のパンを食べようともトーストのことばっかり考えてしまいます。
それも、自分の中にある正統トースト像(なにそれ)にぴったり当てはまるものでなくてはトースト食べたい熱は治まらないのです。
山パンのダブルソフトとかPascoの超熟とかそういうのではなく、ましてやオシャンティーなバゲットのスライスにバター塗ったやつとかそういうのでもない。そんなのトーストじゃない!(いやおいしいはおいしいんですけどもね)
いわゆるベーカリーやそれこそホテルのパティスリーで焼いているホテルブレッドの、5枚切り。
6枚切りでは薄すぎ、4枚切りでは厚すぎるのです。5枚切りが最高です。
わざわざ文字大きくして主張するほどのことでもない。
ちなみに関東(および全国的に見て)では6枚切り、関西では5枚切りが主流だそうで、地元のパン屋さんではたいていの場合カットを要求せねばなりません。
生粋の関東人である自分がなぜか5枚切りが好きなのは、学生時代に大阪で一人暮らししていた名残なのかも(貧しかったもので、おやつと言ったらトーストにピーナツバター塗ったもの、だったからです)。
そして出来ればバターは、マーガリンとかバター好きのためのマーガリンとかそんなのではなくて、真のバターが最高です。ホテルの朝食とかで出てくるような塗りやすいクリームっぽいのがいいよね。
そう、焼いただけではトーストではない。
バターがあってこそのトースト。
ジャムはあってもいいけど、ジャムだけじゃアタシの中の正統トーストは完成しないのです。
ところでですね、つらつら書いてふと思ったんですけど、そもそも、パンにジャムだけ塗って食べるという選択肢が自分の中に無いんですが。
トーストしたパンには絶対バターを塗るもの!!
ジャムはバターの上に塗るもの!!
ってずっと何の迷いも無く思ってました。
けどそこでさらに気づいたのですが、こういうお題が出るってことは、もしや両方塗るうちは少ないのでしょうか????
うちは家族全員がバターの上にジャム塗る(か、ジャムは塗らずにバタートーストのまま食べる)派だったもんですから。
家族内で行われる食の儀式(笑)って、家庭内だけに全然疑問に思わず親から子に継承されてしまうのですが、よそ(ひどいときには世間一般的に)では変なことだったりするんですよね。
ジャムはパンにそのまま塗らない、はまだマイノリティかどうかわかりませんが、シチューは絶対ご飯にかけて食べるものだと信じていたところ、これが変だってことは高校生くらいの頃に、そしてかなり少数派であることを大人になって知りました。
一応投票結果観に行ったら7割近くがバター派。でもこの結果だけだとよく考えたらただ単にバターが好きかジャムが好きかだけかしかわからないので、バター派の人の中に、ジャムは絶対パンにそのまま塗らない派の人はどのくらいいるのだろう……。
