気がつくと僕は、
誰か一人の為にいれていた珈琲を、
誰か一人の為にはいれなくなっていた。

電車がなくなり、家に帰れなくなった
会社の先輩を家に招き、珈琲を振舞ってみたり。

妹の旦那が珈琲好きと知って、
お互いの家に行っては、お互い珈琲を入れあってみたり。

僕が昔、珈琲をいれていた女性が、
友人と一緒に家に遊びに来た時、
その友人にも珈琲を振舞ってみたり。

気がつけば僕は、
誰か一人の為にいれていた珈琲を、
誰か一人の為にはいれなくなっていた。


きっと、昔の僕が今の僕を見たら、
溜息をつきながら、唇を皮肉たっぷりな角度に曲げて、
心変わりを責めるのかもしれない。

あの頃の僕は、
誰かに自分の気持ちを伝える手段を、
そんなにたくさんは持っていなかった。

だから、『君の為』に、という言葉に珈琲を添えて振舞うことしかできなくて、
そこに、君の為『だけ』に、というリボンを付けるしか、
現実と僕の間で起こっている戦争に、
休戦協定を結ぶ方法を知らなかった。

結果から言えば、
休戦協定を結んでいたと思い込んでいたのは僕だけで、
世界はやっぱり、僕を叩きのめし続けた。


でも、エプロンの代わりに、
すこし裾の長いデニム生地の作務衣を着て、
白いキッチンカウンターの向こうで、
談笑する女性陣がかけているジャズの邪魔にならないように、
こころもちゆっくりとミルを挽く。
カウンターの上で、白と藍が交互に視界を横切っていくのを見ているのは、
なんだか悪くない情景だった。

ただ、自分の食卓にはめったに並ばないクッキーが、
1枚1枚と減っていくのを見ると、
手を伸ばしたくなる気持ちで一杯だったのだけれど。

今日初めて会う女性が、
珈琲を口に含んだ時、驚きの表情と一緒に、
おいしいという言葉が漏れるのは、
きっと人生の中でも、素敵な瞬間なんだと想う。

女性陣に少しだけ薄めの珈琲を出し終えると、
僕はカウンターに背をあずけて、
少し濃い目に自分の珈琲を入れる。

夏も間近な季節に、
わざわざ暖かい珈琲をいれてみる。

そういえば、前はアイス珈琲が嫌いだった僕は、
アイス珈琲を飲むようになった。

頑なに決めていたスタイルを、
此処に来て僕は、幾つか壊していく。
まあ、本当はもっと受動的に壊れていった。
その事そのものが良いことなのか悪い事なのかなんて
判りはしないのだけれど、
夏場にグラスの中で、珈琲と氷が仲睦まじげに奏でる、
カランという透明な音は、美しいと想った。

まだ蝉の声も聞こえない季節に、
女性達が、僕のいれた珈琲を飲みながら、
僕とは違う世界の話をしているのを見ているのは、
なんだか、日曜日の午後の過ごし方としては、
極上の部類に入るんじゃないかと想った。

そして、昔の付き合っていた女性が、
ありがとうと靴を履いて部屋を出て行くとき、
こっそりと、耳打ちする。

「本当は、僕が珈琲そんなに好きじゃないって知ってた?」

すると、昔つきあっていた女性は、

「もちろん知ってるわよ」

と、答える。

語尾に疑問詞が付いていたのかどうか、
確かめるより前に、その子はドアから滑り出て行く。

僕は、少し残った豆で、
さっきよりも薄い珈琲を入れて、
更に少し残ったクッキーを齧ってみる。

隣の部屋から、携帯が鳴っている音がするので、
あわてて振り向いた時、
クッキーの粉を少し床に零してしまった。
洗い物と一緒に、掃除もしなければいけないなと想いながら、
携帯を見ると、
メールが1件。

「今日の珈琲とても美味しかった。友達もまた飲みたいと言ってたから、
またいれてね。」

それが世界からの休戦協定だった。
ここのところ、よく本を読む。

長いこと僕の生活から失われていた、
『通勤時間』が復活して、僕は、僕の生活の中に、
読書という時間を取り戻した。

それは昔住んでいた町に、
たまたま戻ったとき、
郵便局の場所をしっかり覚えている様な事だ。

僕は、
多分、『好き』と呼べるほど、考えて本を読んだのが、
村上春樹くらいしか思いつかない。

きっと、まあ、人並みにはいろんな名前の人々の小説も読んだはずだけど、
名前をひとつと言われれば、彼しか思いつかない。

そして、僕は、
村上春樹の長編をどれも2度と見なかった。
一度の印象でまるっきり満足してしまって、
彼の新作が出ることを、
文字通り、巣で親鳥の帰りを待つ雛の様に、
口を空けて待っていた。

待ってはいたのだけど、
彼の最新作だけは、次がでるまでは読まないようにしている。

どうして僕が、
人生に再び現れた読書の時間に、
村上春樹の二度目を充てたのかは判らない。

ただ、僕が15年ほど前に、初めてノルウェイの森を読んだとき、
それ以外の長編を読んだときと、大分ディティールの感じ方が違うなと想った。

きっと簡単に言ってしまえば、
僕は、大学生だった僕や、まだ恋を始めていなかった頃の僕に比べれば、
彼の文章が随分と自然に理解できる気になっていたと言うことだ。


そして、今になって思えば、
僕が村上春樹を再度みたのは、父の影響かもしれない。

僕が大学生の頃に読んだノルウェイの森を、
父は僕より前に見ていて、
父はそれ以降、村上春樹を読まなかったのだけれど、

何かの弾みで、
僕が読み、一番好きな本だと言うことで、
父は、村上春樹を読み出した。

父は村上春樹と同じような歳で、
同じような音楽を聴き、
同じような学生運動の時代を生きていた。

僕は、村上春樹の文章を読んでも、
その中に出てくる大半の音楽を知らない。

だから、その音楽が、どんなディティールとインプレッションを与えるのか判らない。

父が見る村上春樹と、僕が見る村上春樹は、
きっと違うものなんだろうと、もう一度読み返したのだけど、

やっぱり僕の中に音楽は聞こえてこないし、
学生運動のにおいなんて判るはずもない。


でも、ひとつだけ判ったことがある。

村上春樹の書く主人公は、
常に、一定のスタイルの中で生きている。
そして、今の時代ではめっきり目に掛かることがなくなった、
『公正』さをとても大事にする人物だ。

おおよそ、その飄々としたその主人公像は、
父とかけ離れたものなのだけど、
父のエッセンスを、
まあ、大分善意的に無駄を省くと、
きっと父の考えの根本というのは、
非常に父に似ている気がした。

僕は、2度目の村上春樹との邂逅の中で、
僕が知らない時代を、
父と言う要素を通して、
間接的に繋がっていけたのじゃないかと想う。

もっとも、
写真に映ったトマトが、現実のトマトとは似て非なるものであるのと同じ理由で、
その思い込み自体も、大いに虚構を含んでいるのだけど、

長く続く階段の途中に、
すわりのいい踊り場を見つけたような、

そんな気持ちになれる休暇を、
過ごしてみたりした。

僕が、紅茶を入れる必要の無くなった日々。


かつての部屋ももう、知らないヒトが住んでるのかな。


知らなかったんだね、僕は。


関係に名前がつかなくったって、
終わりはあるって事に。


自分の為に紅茶を淹れてみる。



キミと使っていた白黒揃いのカップ。


もう居ない君に、紅茶を淹れてみる。


まったく、自分にも困ったものだよ。


どちらにしても冷めていく、

そのカップを空けるときに。


僕はそれを飲み干すんだろうか。


それとも、捨ててしまうんだろうか。


どちらにしても、生産的じゃないね。



だけど、暫く紅茶を淹れることを止めないでおくよ。


忘れたくないもの、温度の保ち方、淹れる角度。
コップのどこまでお湯を注ぐか。


記憶の中から、キミの唇だけを消去できたら、
僕は僕を取り戻せるのかな?



また、キミがあの扉を開けて、


「紅茶を飲みにきたわ。」


そういってくれる日が、来るのかな?



不思議なものだよね、


キミが僕に残したもの。


それはさ?
冷めかけたカップに入ってる紅茶が、
思いのほか美味しいって事。


自分ひとりじゃできなかった事が、
知らないうちにできてるってこと。


経験だけは僕を裏切らないってことですか。


悪くない。


かもしれないね。


いずれにしても、この紅茶の味は、

これでおしまい。


もう同じ紅茶は淹れないから、

もしキミがまた僕の前に現れたら、その時は違う味を楽しんで。


どうぞ、その間に何があったか、少しでも悔しがってくださいね。



ふふ。


でも、キミは、

きっと。


「あら、味が変わったわね、こっちの方が美味しいわ。」


そういうに違いないけどね。

或る日君は、


そうその日の君はイングリッシュブレックファストを飲みながら、
こちらを見ずに聴いたね。


「ねえ、なんで、私たちは別れたのかしらね?」


「そりゃあ、僕より大切なものが君の中にあったからでしょ。」


僕は微笑みながら君にお代わりを注ぐ。



「なら、どうしてワタシはここにいるのかな?」


「さあ、僕は君じゃないからね。」


洗い物を始める僕。



「貴方はどうして、ワタシに紅茶を淹れてくれるの?」


返事の代わりに、ミルクを手渡す。


今日は、唇を尖らせずに、
じっとカップを手で暖めていた君。


手の温度よりも、カップの温度が下がるまで、
ずっとその姿勢だった。



「ワタシはここに居たらいけない?」


「僕はその答えを言わないといけない?」


真っ直ぐにこちらを見返す君。

僕は微笑を絶やさない、意地に掛けて。



「ワタシに出来ることはある?」


「そりゃあ、沢山あるだろうね。」


「洗い物をしたらいいかしら?」


「それは僕の仕事だから困るな。」



ほんの少しだけ、言葉に勇気を込めた君の声。


「例えば、もう一度付き合ったほうがしっくり来るのかしら?」


「試してみるのは魅力的だけども、
必ずしも人を括るのに、名前なんて必要ないと想うけどね。」


彼女の隣に僕は腰を下ろす。


「せめて、食器くらい片付ける。」

毅然と立ち上がる君。

僕の唇が弧を描く。


僕の脇を通り越して、
背中側にストンと腰を下ろす彼女。


春の陽射しよりも、
背中に居る君が暖かいね。


「悪くないわ。」


「うん、悪くない。」




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面白いもので、

この『紅茶』シリーズを書いたのは、2008年の4月も中旬。

ちょうど3年前。

きっと、僕の人生の中でも、

もっとも仕事が暇で、

もっとも私事が複雑だったころ。


この頃、初めて文章を書いた自分の文章を見てると、

なんだか不思議な気持ちです。


もう間違いなく、あの頃には帰れなくて、

でも別に、帰りたいわけでもなくて。


ただ、こういう文章はもうかけないだろうなあって、

これからまだ数日『紅茶』が続くのですけど、

これを長い時間書けて、ほんの数話書くだけでも、

ぜんぜん違う文章になっていて、


やっぱり、まじめに文章書きたいなあって。

料理の出来ない僕は。


彼女に紅茶をいれる。


本当は、きっと彼女より料理が上手いけど、
僕は料理ができないことになっている。


そんな僕は、彼女が風邪をひいたときだけ、

料理を思い出す。


雑炊に入れる卵をかき混ぜてしまう僕は、
そのままで食べるのが好きな彼女にいつも怒られる。

その膨れた頬をみたいから、
いつも僕は卵をかき混ぜてしまう。


でも、それ以外
僕は料理ができないことになってる。


何気ない休日に、


『貴方の紅茶を飲みにきたわ』

と、僕の部屋をノックする君。


僕は彼女に紅茶をいれる。


暖かくなってきたし、君の格好を見ていると、
今日の紅茶は、
少し薄めで、量を増やしておいたほうがいいね。


何時も僕の紅茶を飲むときに、
目を閉じて香りを楽しんでから口に含む

その尖った唇が、

僕は大好きだ。


文字通り紅茶を飲んだら、


『じゃあね』


と立ち去る君を見送って、


その指先を思い出しながら、
僕は食器を洗う。


どうせなら、今年初めてのアールグレイを、
アイスで振舞うのが良かったかなと、
一人微笑みながら。


珈琲は誰かにいれてもらうか、
自分で作るもの。


でも、紅茶は僕がいれて、
君が飲むもの。


ミルクも砂糖も使わない君が、
時々、ミルクをカップに垂らすとき。
黙って、じっとその渦を見てるとき。


大丈夫、今日の君が少し違うことを、
見逃してあげるから。


また、扉を開けて、
歩き出しなさい?


僕はいつも此処で、
君に紅茶をいれてあげるからさ。



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此処からはじまったんだなあ…なんて、

多分3年ぶりくらいに、自分のblogをみたり。


連続で上げますので、宜しかったら、

日に1本ずつお付き合いくださいませ。




 
会社で気になる女の子が居た。
別に特に美人なわけでもない。
別に性格に惹かれる部分があったわけでもない。
ただの世間知らずで、
向こう見ずな高卒の女の子。

それでも、夢に出てくるその事実に、
僕は時折首を傾げていたのだけど、

ある日、唐突に理解する。

僕が好きだった、あの人に、
アゴの形と頭の小ささが似ているんだということ。

ふと振り返ったときに、
その子のアゴ周りが視界に入った時、
僕の気持ちは、何年か前に戻っていた。

でも、そこには、
君を形作っていたあの、強い眼差しはなくて、

もう君と会わなくなって
3年近くが経っている事実を思い出す。
君の少し厚い唇に触れた感触を思い出す。

きっと僕みたいに、
それぞれのよさを見つけられる人間じゃなく、
良いと思ったものだけが良い人間は、

人生に恋は一度だけなんじゃないかと思う。

神様が気まぐれに作り出した造詣に、
惹かれてしまった僕の心は、
もう僕のものには戻らないのかもしれない。

そこに後悔も哀しみも在りはしなくて、
ただ目の前に林檎があったら、
それは蜜柑ではなくて、林檎だというだけの話。

昔、意味もなくパンアップを繰り返す映画を見た。
きっと、僕の名前が付いた映画がこの世のどこかに存在するのなら、
やっぱり、きっと意味もなく、
パンアップを繰り返しているんじゃないだろうか。
相手をすごく想う、恋人が。
相手を心配し慮って、ある言葉を言ったとして、
でも、その言葉は日常に流れて行ったとして。

同じ人が、誰か違う人に、同じ言葉を言われたら、
それが人生を変えるように、その人の何かを震わせることがある。


多分僕という人間はデリカシーがなくて、
身近な人にも、
親にも、
恋人にも言われるものだから、

ああ、僕はデリカシーがないんだなと想う。
腹には落ちていないけど、実感としてそう想う。

僕にデリカシーがないから、僕を避ける人が居るとして、
避ける人がいるのなら、その会合には顔を出さないというのが、
単純な僕の判断。

だって、僕が居ない方が、会話も弾むだろうし、
参加してる人たちは、余計な気を使わないで済むだろうから。

でも、
「参加して、相手が嫌な事を言わなければいいじゃない。」
そう言われた。

それは僕にとって、目の覚めるような一言で、
ほんとに、馬鹿みたいに、ああ、そうだな、って想った。

でも、
昨日までの僕だったら、
きっと、思い思いの生き方を人それぞれしているのだから、
お互いが自由でいることに、不快感があるのなら、その人と居なければいいじゃない、
そう想ったと想う。

だって、人は、自分の想うように相手を判断するのだから、
相手が想うようには、
自分が想うようには、相手の行動をとらないのだから。

自分が楽しいと想ってやっていることを、
誰かが不快だととるのが、人間なのだから、
その判断の方向が違うのなら、一緒にいなければいい。

それでもその人と居たいと想う気持ちがあるのなら、
会話をして、何処と何処のかどが擦れ合って、傷を作ってるのか、
ちゃんと確かめればいい。

それが僕のパーソナリティ。

だけど、今日、
言葉にすれば、上に書いたみたなそんなことは、
無意識に僕の行動に出ているから、
きっと僕は、付き合いにくい人間に写っているんだろうなとそう想った。


その人は、そのほかにも、
「誰にだって触れられたくないことの一つや二つはある。」
とも言っていた。

幸か不幸か、僕にはそんなものなくて、
本当に誰にも知られたくないことは、
多分、僕は表情にも出さずに、隠し通す。

だから、たとえば仲のいい友人にも、
明らかに違和感が目につくのに、それをそのまま放っておく事って、
その人への優しさなんだろうか?
その人のわがままなんだろうか?
自分勝手な押し付けなんだろうか?

そこに秘密の宝箱があって、
誰の目にも見つからないところに隠すならいいけど、
隠し場所が判ってしまったら、

「何が入ってるの?」って聞くのは、僕が子供だからなんだろうか?


最後にその人は、

「僕が性格が悪いから、面白い。
性格がいい人は、話が面白くない。」
と言っていた。

僕は性格が悪いのかな?
性格が悪い人と居て、楽しいのかな?
その人は話が面白いから、性格が悪いのかな?

久しぶりに物事を考える日がやってきた。

でも、間違いなく、僕はその人のことが好きだと想う。
まあ、もちろん恋愛要素は抜きで。

唯一判らないのは、
本当は判らなくもないんだけど、
どうしてこんな事を、blogで書いてるのかなって事。

僕は時々、
血を流す傷口を見ては、
それを広げたら、取り返しがつかなくなる事も、
とても痛くなることも判っているのに、
その傷を、致命傷になるまで広げてみないことには気がすまなくなる事がある。
仮に男女の間に、
時間というものが降り積もるのなら、
きっとその時間は、東京に降る雪のように、
二人の別離の時に、さっと溶けるものと、

春になっても、陽の光でも溶けない
『根雪』になってしまうものがあるんじゃなかろうか。


僕は、冬の喫茶店で、独り、
夕方が夜になる瞬間を見ていた。

窓から見える公園の木々には、
もう葉っぱなんて一枚も残ってなくて、
時計の短針が、水平線に近い頃は、
どの枝がどの枝より手前にあって、どっちが奥にあるかが、
視力の悪い僕にも見てとれたけど、

誰も知らない森の中にぽっかり空いている、
井戸のような角度に近づくにつれ、
ほんのりと識別できていた茶褐色も、
黒に染まっていき、
景色は立体感を無くしつつあったし、
木々は昔、幼稚園で折り紙を切って貼って作った、
名も無い作品のように厚みのない、影絵と同じ存在になりつつあった。


昔、北欧だかの美術館で『展示』されていた映像を思い出した。

名前も知らない森を、森のほんのちょっと上から見下ろしている画像で、
おそらく冬。
殆ど枯れた木々が、強めの風に揺られているのだけど、
ほんのわずかに、木々が残像を残して撮影されている作品だった。

驚くほどに目を引いたわけではないのだけど、
現実に存在する、現実には存在しない世界の扉みたいで、

なんとなく印象に残る作品だった。
この世界にはないこの世界の風景は、
じんわりと僕の脳みそを破壊していくようだった。


僕は、建てつけの悪い喫茶店で、
隙間風に悩まされながら、アイス珈琲を飲んでいた。

僕は、アイス珈琲が嫌いだったし、
なんとなく、溶けてしまった氷が、
グラスの上の方で透明な膜を作っているのをみると、
どことなく、自分と似ているなと思ってしまうのだ。

その水だか珈琲だかわからない部分を、
なんと呼ぶのだろうか。
少なくとも珈琲とは呼ばない気がする。

僕の中に残る、その水だか珈琲だか判らないもの、
恋だか、憎悪だか、後悔なのか、安心なのか、
名前の付けようのないものを抱え、
そっと胸に手を当てる。

そこにはもう痛みはない。

世界が色づく程、誰かを恋しい時に感じる、
胸を刺す様な痛みは、もうそこになくて、
ただ、子供の頃にした記憶にもない大手術の痕みたいに、
他とは違う皮膚の触覚に、
ただ違和感を感じるだけだ。

判るのは、
『ああ、この違和感とずっと付き合っていくのだろうな』
ということだけ。

再び、脳みそが壊れる音が聞こえそうになるのだけど、
僕は、珈琲だか、冷水だか判らない曖昧さを、
グラスの中でかき混ぜて、

もう一度、外を見る。

今度は、木々の輪郭と、夜の深さが同じ色になっていく、
そして、どんどん一色に染まる世界をじっと見つめていると、

どこまでいっても、夜の闇と、名前も知らない木の輪郭は、
最後の一線で、決して交わらない事を発見した。

きっとその境界線は、
僕のこの胸に残る違和感と、手術の痕みたいに、
両者を隔てる何かが、そこにはあるんだろうなと思えた。

いつかあの人の笑顔をもう一度見る日が来るのかもしれない、
という予感は、やはり僕の願望なのだろうと気づき、

隔てられてしまった過去を、僕は一気に飲み干して、
喫茶店を後にする。

できることなら、
部屋に戻り、風呂に入り、布団をかぶってから眠りに就く間、
もう一度あの人の笑顔を思い出さないといいなと願いながら。
なにやら、震災関連の記事を書いていたら、
ネットの友人から、
Hyde死ぬつもりか!?みたいな、連絡あって、
別に死ぬ気なんてぜんぜんないのです(笑

さて、
それでもやっぱり、ニュース見てるとイライラする日々なのですが、
震災のニュース以外を聞いてると、
やはり、俺が感じる怒りを他にも感じる方々が居て、
少しほっとしたり、少し申し訳なかったり…。

さてさて、

なんというか、ここ数日、
第三者に演出された舞台の上で、救国の英雄になろうとするテロリストの映画を見ていましたが、

震災関連のニュースね、
なんというか、調べる気になって、専門書でも読んで、勉強しないと、
ニュースで言ってることが、本当なのか嘘なのかも判らないなあと感じるわけで、

知識がそれなりにある分野の報道に関しては、どんだけいい加減なことしてんだか、
と、いらいらいらいらいらするわけですが、

今の世の中、情報の真偽を確かめるって本当に難しいなって思う。

人間、どの分野にも総じて知識があるなんてな、難しいことだし、
どんなに知識武装しても、経験には適わないし、穴も残る。

その昔、中国の天安門事件を調べてみて、
情報統制って今の時代、(まあ、いまでもないけど)どうやってやるのかを、
しばらく考えていた時期があったけど、

これだけ、ネットが氾濫して、
文字だけの情報なりから、それが嘘なのかほんとなのか、
専門分野でもなかなかに迷う。

まあ、そのあいまいさが、
このamebaはじめ、2chだろうとなんだろうと、
ネット世界を裏付けて存在を許しているんだろうなってな、
このblogでは、俺がよく言ってた事だけど、

阿呆のミンスも流石に、このご時勢、
ほっときゃ易きに流れる一般大衆相手に、
情報統制ってのの難しさをかみ締めてるのかなあとか、
いや、俺が間違ってた、あの阿呆集団に、集団心理を操るなんて、
概念すらあるわけないか、
政府主導万歳。

ま、人間は幽霊を(一般的には)見ることができないけど、
ネットという(概念的には)目に見えない世界って、
考えれば考えるほど不思議だ。

これからもうしばらくして、ネットと現実の境が今より曖昧になっていったら、
その目に見えないものって、どんな世界になっていくのかなって、ちょっとあるんだけど、

そうすると、
今度は、身体と心の境界線ってのも、
今よりは明確に論議されていくのかなとか。

なんか、マスクだ合羽だって、いい加減わずらわしくなってきて、
フィルムテスターでも持ち歩こうかなって、真剣に考える今日この頃。

書きたいことは、最初の数行だけだったんだけど、

いやー、情報統制って難しいですね。