amebaでも、ネットゲームでも、

ネットにアサインする時って、

大体


/ どっち?

というのを選ばされるわけで、

ネット初心者の頃、男なら男選ぶのに疑問なんてなくて、

僕も当然と選んだわけですよ。

でも。
一つのネットゲームを長くやってて、
男のケツを見るのにはもう飽き飽きした経緯がありまして~、
(ゲームは大体、主人公を後ろからみる視点が多い為)

次ネトゲやるときはでやる!
と、まあ、廻りには吠えていたんですね。


で、いざ新ゲーム。
(誰も気にしないと思われますが、
PANTASY STAR UNIVERSっていう糞ゲーでした)

/


で、を選ぶ。


そして、

おっぱいの大きさと形、身長の設定に1時間掛ける!

冗談交じりに、俺、ネカマやるから!
と、友人にも嘯く。


人間は大事だけど、
時としてそれを超越すると、えもいわれぬ快感があるのは、
誰しもベッドの上で経験があるはずで、


(無い人は一度、恥を忘れる事をお勧めします
薬物だけは止めた方がいいと思われます)


最初は躊躇いがちに、女言葉で話しているのだけど、

そんなの1週間もすれば、素で女言葉になってくるわけで、
極自然に、友人とネカマ言葉でネットを泳いでいた、

あの夏の日。


たった一週間の女生活で、
既に、人生の不平等を知る。







とりあえず、男が寄ってくる。


頼んでもいないのに、男が寄ってくる。




ゲーム内のレア品をくれる。




すねると光の速さでご機嫌取りに来る。












女ってこんなに優遇されてる生き物なのかっ!!!!





男ってこんなに惨めでなさけない生き物なのかっ!!







自分が男である事に、
本気で後悔したのはあの瞬間でした。


何をするにしても、男が手助けしてくれるから、
目的を達するの早い事早い事。

あれ欲しーって言うとくれるし、
危険地帯には護衛してくれるし、

本人は格好よく、

「君を守るからっ!」
とか言うけど、
こっちからしてみれば、使い捨てカイロな訳で、

中の人は男をやってるわけだから、
相手の男のさじ加減なんてお手の物で、


あれですよ、
相手のミスに対しては、
激しい調子で突き放し、歩み去る。

そして1歩、2歩、3歩で振り返り、



「あ、そういえば、
XXってアイテムが欲しいんだけど~」




「あ!!!!!それ俺あるよ!!!!!!!!!」

面白いように手の内で転がる転がる…。




まあ、出来る女からしたら、
世界は釣堀なんだろうなあ…ってしみじみ思いましたし~

わたしゃ、キャバクラとかには、金貰っても行きたくない人なんですけど、

もしかしたら、この時の体験がいきてるのかもしれませんねえ。


そして、ネットの仮想空間なのに、
人気の無いところで、せまられるんですよねえ…、

あれはキモかったなあ…、

「ねえねえ、俺のどんなところが好き?」



いあ、好きとか言った事ねえから!!!!!!



あ~でも、あれだな~
男女問わず、こういう奴いるよな~、

なんか、もう廃品回収でも有料だろお前!?
みたいのがさあ、

ほめてほめて~オーラだして寄ってくるのとかさあ…、


突然、40過ぎのババアがニーソックスを公衆の面前で脱ぎだして、
得意げな顔で僕を見上げた時、
人がだれかを殺す気持ちってのが、少しわかった気がしました…。

思うんだけどさ、
やっぱり、勘違いできる人種って最強なんだと思う。


そういえば、ネットの僕に入れ込んでた男子も、
最後は、

「僕ね、君の事が好きだけど、
リアルが忙しくて暫くゲームできないんだ、
でも、君の事はずっと忘れないからねっ!

とか言ってゲーム辞めていったけど、

次の日には僕は名前忘れてたなあ…とか。
二度と会わないのに、いい格好したがるって、男の性癖なんでしょうか。


やっぱり、世の中弱肉強食で、
弱者はどんな形にしても上位のものに食われるんだなあと、
自然の摂理が身にしみたり…。


で、結局僕のネカマ生活ですけどね、
ある日終りを告げるのです。

そのゲーム内で
仲良くなった女の子が居まして。

まあ、こっちは女の子してるから
メアドの交換にもお互い抵抗ないし、
リアルでもメールしあったりしてたんですね。

で、群がる男どもに罪悪感は全く無かったんですけど、


その女の子に性別を偽ってる事が、
段々重荷になってきて、
ある日言うわけですよ、

「わたしね、実はさあ、中身の人なんだけどね…」


そこで、言葉に詰まる僕。

笑いのエモーション(表情を指定できるのです)を浮かべつつ、
その子は、














「うん、知ってたよ。」





何時の時代も、
やっぱり男は女に勝てないのかもしれません。



(まあ、その女の子の中の人の性別は知らないですけどね!)

(超絶長文になってしまいました)

先ずは前提。

全般的に俺がどう思ってるかの話です。

偽善は、悪よりなお質が悪い。

じゃあ、偽善かそうじゃないかってのは、
どこで判断するんだろうというと、

自分の中から湧き上がる素の判断に対して、
自分の良心とかいう曖昧なものと、第三者を意識して、
外にでる出力を捻じ曲げる行為。
(意識的であろうと、無意識であろうと)

それと、
自分の中で判断基準がないのに、
奇麗事を言うこと。

奇麗事になんの責任も持つ気がないこと。

悪が何かはまた別の機会に。

そして人はいつも移り変わるもの、
心の動きそのものの基本も変わるし、
生きるうえでの状況が常に変わっていくから、
とりうる選択肢も常に変わっていくわけで。

そして、
人間には何かを考える人と考えない人がいるわけで。
それそのものには、罪は無いと言う事。

前提終わり。


家には犬が居ます。

よく犬を飼ってない人は、
犬は嘘付かないとか裏表が無いとか言いますが、

犬は裏表あります。
こうしたい!と思っても、
別の意向を優先したりします。

お母さんとこに駆け寄りたいけど、
まずは家主にお帰りの挨拶に行きます。
子供が、ダダをこねる様に、
犬だって駄々こねます、媚売ります。
嘘に近いものを使います。

でも、俺は人間という生き物は嫌いだけど、
動物は好きだし、犬が好きだし、
もっと正確に本音を言えば、
うちの犬が大好きです。

結婚等してて、僕に責任があるなら別ですが、
うちは飲み屋の上にありましたから、
うちの犬の腹を酔っ払いが蹴飛ばしたら、
例え相手が何であろうと、
俺はやれる限りの力を持って、
報復します。

犬がどうとかいうより、
僕のほんとうに大切な存在を損なう物に対して、
同じかそれ以上を与えないと気がすまないから。
だから今までにそんな事態が起こらなかったことに、
本当にほっとしています。

まあ、ほんとうに大切なものがあるのなら、
刹那的になるのは子供ですけどね。

じゃあ、
なんで犬が好きかといえば、
彼らは自分の行動を省みないし、
信じたことを疑わないからです。
つまり、偽善的な存在じゃないからです。

はっきりと思うけど、
犬にもあたりはずれはあって、
人間もあたりはずれがあって、
でもあたりかはずれかは、人によって違って、
時々思うのだけど、
昔は冬場に、犬に着物を着せるのを見て、
馬鹿じゃないのかと思ったけど、
もしかしたら、犬にとっては暖かくて、快適かもしれない。
もしかしたら、犬にとっては迷惑千万なのかもしれない。

犬はしゃべらないから、
僕は時と場合によって、犬がしゃべらないことを
救われると思うこともあれば、寂しい時もあります。

震災以来、
いろんな人がいろんな事を書いてますが、

僕の周りには、(blog限定)
それに対して思うことはそれぞれありつつ、
自分の近況を、前と変わらず書き綴る人と、
実際に、
被災者に対してアクションを起こす人しか居ません。

僕はといえば、日常どおりに過ごし、
明らかな無駄な電力消費を抑え、
ポケットの中の小銭を整理するいい理由になっているから、
小銭を募金箱に投げ込んでますし、
blogでは、東京の無責任な3.11の様子と政府対応に、
立腹記事を書いた以降、震災については
コメントしませんでした。

まあ、震災と節電は何も関係ないものですけども。
念のため。

だって、僕は、震災で痛い目も見てないし、
実際の現場で、どれだけ悲惨な事が起こったか、
肌で判ってないし、また、新しく生まれた利権が、
そんな人たちの間でどう取り扱われてるか、
全く実感できないからです。(例:募金や仮設住宅等)

その代わり僕は、
子供を作る予定もないので、野菜の産地なんて
特に気にしないです、目の前にあるものを食べます。

目の前にある震災、
それは、ニュースを通して知識として知るものですし、
ニュースでやらない事で、色々凄惨な出来事ももちろんあるわけで、

避難所暮らしより酷い暮らしが日常の国に住んでる人もいるし、
ありえないくらい贅沢な暮らしをしてる人もいる。

どうして、震災にだけクローズアップするのか、
僕には実感としてよく判らないのです。

そして、同じように、
誰かを救うというのは冗談でも遊びでもなくて、
中途半端な思いで差し出された手ほど怖いものは無いと、
僕は思っています。

気まぐれなやさしさほど、
後のわざわいを呼ぶものはないですし、

よく、公園で昔は食べていたものを
ハトに分けたりもしましたけど、
今は、果たしてそれをすべきなのかどうか悩むので、
公園で何かを食べる事をしなくなりました。

ずっと昔、友人だった人が、
「僕は周りの人の手助けを出来るようになりたい、
死ぬ時は誰かの命を救って死にたい。」
そう言っていました。

彼は、親に何か欲しいものを買ってもらえなければ、
家中のものを壊し、
自分が誰かを助けるより、
誰かに迷惑を掛けることの方が多かった人間と、
僕には見えました。

そして、その友人だった彼と、彼女がもめる場に、
たまたま僕は居合わせて、
走り去った彼女に腹を立てた彼は、
「なんで僕が困っているのに君は僕を助けてくれないの!?」
と、激昂しました。

僕は、それ以来彼に会っていません。

今にして思えば、中学高校生の在り様としては、
非常によくある話だったのかもしれませんが、

僕にとっては、
非常に美しくない事の象徴のように、今でも記憶されています。

もう一つ、真面目な話のところ申し訳ないですが、
とある漫画の中で、
恋人と母親、どちらの命を救うかという命題がでてきました。

結局それは、ただのテストで、
主人公はどちらも選ばないのですが、
主人公は悩むのです、
今はよかったけど、いつかそんな選択を強いられる時、
自分はどっちを選べばいいんだろうと。

どちらを選んだとしても、それはいい悪いではないと思うのです。
その結果について責任を負うのは当人ですから。

そして、どうしたって人は、自分の資質以上の何かを、
長時間保有できはしないのですから。


僕は、大事なものを一つだけは守りたい。
彼女でも母親でもどちらでもいいけども、

昔はずっとその対象を探していました。
そしてそれは今も見つかりません。

ただ、それは結果として大切なものが出来るんだなということは、
今では理解できます。

だから、その近いところにいるのは、
家にいる犬です。

僕は盲導犬が嫌いです。
盲導犬を連れている人間が嫌いです。
盲導犬を作り出す人間の意思が嫌いです。

盲導犬は、たとえ散歩の途中、
別の犬に噛まれたとしても、声も上げないし、
抵抗もしません。
そうなるように、躾けられているからです。

それは、人間の都合に併せて、
犬を犬の形をしたものに作り変える技術です。

何故僕がそんな事を言えるか、
僕の周りに、目が見えない親族が居ないからです。

多分、昔の僕は偽善が大好きでした。

でも、それを口にしなくなったのは、
電車の中で、
何気なく席に座ったとき、
隣に居た若い女性が居たのは意識していましたが、
電車が減速した時、
本能的に柔らかい感触を予想していた僕の右腕に、
とても冷たく硬い物が触れたとき、
何かを理解するより早く、いいようもないものが背筋を走り、
次に、義手だったんだと気付いて、

そんな「ゾッと」した、というのが正直な感想を自分が持ったときに、
ああ、自分はこの程度の人間なんだと思った事があるからです。

本当に暗いところにどっぷり身を浸した人間に、
じゃああなたは私に何ができるの?と聞かれ、

大切だったと思っていたその人に、
あらゆる事を長きにわたって考えたけれど、
結局どんな言葉も、どんな行動も示すことができなかったからです。


軽々しく重たい事を話して、
重たい事に目をそむけたり知らない人は、
馬鹿ですむ。

でも、骨折をしたこともないのに、
骨折の痛みを真剣に説く人間や、
骨折した時の処方を(医者でもないのに)押し付ける人間には反吐がでる。

我が子と飼い犬が震災にあって、
自分がどちらかを助けられなかったとしたら、
きっとそのシチュエーションに陥った人数分、
回答があるんだと思います。

考えて出た結果に対して、
どんな回答をしようとそれは個人に帰属する問題だし、
その結果が産むであろう現実は、
その人が負うべき責任になると思います。

でも、考えた事と、行なった行動が違う人もいる。

犬はいるけど、子供が居ない僕には、
回答の権利もない。

でも、自分がとった行動と心理を、
後付で改変する人間にはなりたくない。

人はそれぞれ
立ってる場所が違うんだから、誰かの行動を見て、
その人がどうしてそんな選択をしたのかなんて、
きっとその人にしか判らない。

でも、何気なく撒いたハトの餌が、
思わぬ波紋を投げることが実際にはよくあるわけで、

人に出来ることは、結果に対しての約束じゃなくて、
覚悟だけだと思う。

起こる結果について、責任を負う覚悟。

そして、覚悟ない結果について、
人は偽善的になったり、
自分の都合で口にした綺麗事を、自分のなかで折り合いを付けて
反故にする。

僕がここまで書いてることは、
さあみんなで前にすすもう!という意見じゃなく、

現状に立ち止まる逃げの意見だとは思う。

出来ることは限られてるけど、
自分でできることをやろう!と書くのがいいのかもしれない。

でも、芋の煮っころがしをつくりすぎてしまったから、
お隣におすそわけしにいこう!
そんな時代から、随分と変わってしまったんだと思う。
systemは複雑になりすぎてしまったんだと思う。
まあ、きっと変わってしまったのは、
僕自身が半分、そして守りたいものがあるのが半分かもしれないけど。

原発についても、
よし節電しようと思って居たのに、
なんとなく暑いからクーラーつけちゃったというのは、格好悪くて嫌なだけ。

だから僕は、温度を決めて恥ずかし気もなくクーラーをつける。

放射線と放射能の違いも判らない一般大衆を相手に、
シーベルトとか聞いたこともない言葉で、具体的に何がどう危険なのかを、
無責任な立場で垂れ流すマスメディアが嫌いなだけ。

放射線と放射能の違いを書物で調べて、
知りうる限りを知ろうとしたけれど、結局実測のデータをもたない僕は、
本当のところは分かりはしないけど、

日々、気温や曜日に関係なく、その日の100%絶対値が変わるただいまの電気使用率をはじめ、
目に触れる情報は大半が、欺くための数字とかだと思う。

嘘じゃないけど、その数字・発言・報道には意味がない。
下手をしたら嘘も平気である。


だから、僕は、
自分の心から沸き上がる感情は大事にしたい。
そして、そこから発生する結果には、責任を持たないといけないと思うから、
最低限、自分がどこに立っているかを知りたい。
知らずに落ちた罠には、そこから生きて出れるなら、
同じ罠にははまりたくない。

大事な存在を大事にしたい。

誰かが、真剣に出した結果を尊重したい。

何も考えずに、誰かを扇動する人間は死ねばいいと思う。
踊ったくせに、不利益が見えてくると、誰かの所為にする人間は、みんな居なくなればいいと思う。


僕がこのblogで出会って仲良くしている人たち、仲良くしたい人たちは、
誰かが真剣に選びとった結果と思いに対して、
すぐさま拒絶する人は居ないと思ってる。

それは、僕が自然に思ったこと。

僕がひとつだけ約束できるのは、
うちの犬が死ぬまで、愛してるし、
死んでも忘れないということ。
 
日曜の午後に相応しい音楽というものがある。

白亜の壁に囲まれた部屋で、
外は曇りすぎてもいけない、
外は明るすぎてもいけない、

気だるさに、少し届かないくらいの、
ゆっくりとした時間が、
肌にべたつく寸前くらいの感触で纏わりついてくる。


白いレースのカーテンが揺れている。

それは、風ではなく、
微かに瞼を開いた僕の上方から聞こえてくる、
鼻歌が震わせているに違いない。


Sunrise
Sunrise


君の瞳は僕からは見えなくて、
泣き黒子と優しく上がった口角だけが、目に入る。

起きたの?と言う代わりに、

僕の胸の上に手のひらを置き、
まだ、もう少しの間寝てても好いのよと、
鼻歌のトーンを少し落とす。

僕の頭の下にある、君の太腿が、
少しだけ現実の折り重なったやわらかさを僕に伝える。

ほんの少しだけ、
指にひっかかりを感じる。

でも、その分だけ、
僕の指は君の肌に馴染んでいると思える弾力。

十代の瑞々しさも好いとは思う。
それは、人の一生がある瞬間だけ花開く、
稀有な状態だと思う。

でも、僕は今の君の肌が好きだ。

朝靄の中、
何処で鳴っているのかも判らない船の霧笛の様に素敵だ。


実際にどこかで霧笛を聞いた気がする、
その場所を思い出そうと、僕は再び夢幻の中に戻っていく…。



いつしか、
上の方で聴こえていた鼻歌が聴こえなくなっていく。
違和感とともに、瞼をゆっくり開いた時、


そこに歌はなかった。

そこには誰も居なかった。


君が置いて行った、白いワンピースを洗濯して、
それを枕代わりにして転寝をしてしまっていた。

誰もいない部屋で、
君の残滓を枕に僕は独りで寝ていた。


胸ポケットから煙草を取り出し、
ベランダで火を点ける。

何も言わずに、
微笑んで出て行った君を思い出す。

何故、君は最後に振り返ったんだろう。

何故、君は最後に微笑んだんだろう。


曇りとも晴れとも呼べない空を見ていると、
何時しかまた歌が流れる。

君が僕と過ごした時間に良く聞いていた歌。

ベランダで洗濯をするときに、よく歌っていた歌。


独りでハミングをしてみる。

吐息のような、あの柔らかい声を僕が出せるわけもなく。


そして僕は唐突に理解する、

誰にも聴こえない歌は歌じゃない。
誰にも歌えない歌は歌じゃない。

何処へも行けない僕は、誰でもない。


残酷なくらい、曇り空に映るのは僕自身だった。



Sunrise
Sunrise

Looks like morning in your eyes
But the clock's held 9:15 for hours

Sunrise
Sunrise

Couldn't tempt us if it tried
'Cause the afternoon's already come and gone

And I said

To you

Surprise
Surprise

Couldn't find it in your eyes
But I'm sure it's written all over my face

Surprise
Surprise

Never something I could hide
When I see we made it through another day

Then I say

Hooo...

To you
 
実はこれ、家をでる1ヶ月前、
今から数えると、ちょうど一年前くらいに書き溜めた記事だったりします

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引越しまで間もない、今日この頃。

夏の遺物を一身に受けて、
うちの御頭首は大分、お匂いをお召しになられて…


まあ、平たく言えば、

”すっげー臭くなって”居ましたので、
連休の最後は、スコットの洗濯。

もう、なんというか生き物扱いせず洗濯。

ケツには雲母のかけらがこびり付いてるし、
もーなんか、毛並みも悪くなってるわ、性格も悪いわ、ほんと困ったもん。

やめてよーって顔でこっち見てるけど、
いいからおとなしくしやがれ、って感じですの。


この1年繰り返した通り、
風呂いれてから2時間くらいは、俺を警戒して、
そば寄ると逃げてくのも、まあ慣れた事。

風呂に入ると、怒って暴れて、
どっかのソファーで直ぐに就寝も、いつもの事。

そんな腹天にして眠るくらいなら、
風呂場で無抵抗主義になってくれよと切に願う。


そうやって、眠い目を擦って、
や、スコットは擦れないけど、
起き出す頃には、また腹かけーって感じで俺に寄ってくるわけで、


そういやあ、前に家を出るきっかけになったのも、
先代の御頭首が、身罷れたからで、
家に戻ろうと想ったのは、スコットが家に着たからで、

自宅に犬が居る限りは、
ほんと家を出て行きたくない。
これ、俺の本音。


その様子を察してか、
最近スコットは、よく俺の部屋に入り込んでくる。

何故かあの変犬は、
寝そべりながら、自分の顔側に前足をひっくり返して、
舐める。

いあ、あの、皆様、冷静に考えて、
結構犬っぽくなくなくない?
そんで、人のベッドをよだれまみれにして寝る。

そういえば、前、潮吹きな女性がいましてね…ってのは別の話。


夏も終わりのこの頃は、
部分的に冷たくなったベッドを背に寝る日も多くなって、

あと1ヶ月もせずに、こいつが居なくなる生活をするのかと考えると、
電気を消した部屋の中で、
左手に微かに触る、毛皮の感触とほのかな暖かさが、

なんだかとても掛け替えのないものに感じて、
なくしてから初めて気づくなんて、
絶対嘘だなって想うわけで。


やっぱり、他に何がなくても、こいつがいる生活こそ、
俺が俺で居られる最後の砦なのかもなって想うわけで。


それでも、時は流れていくわけで。

行く川の流れは絶えずしてって、ほんと日本語は美しい、
そうやって泣きそうになる自分の思考を、
必死に誤魔化す日々が続いております。
 
最近思い悩む事がありまして。

僕は、日本語が本当に下手だなあ…ということ。

思ってることの何割も相手に通じない事が多くて、
そんなの誰だってそうだよ!と怒りの声が飛んできそうですけど、

特に仕事のシーンで、
報告書を作り、報告するという業務が此処のところ多いのですけど、
自分が喋り失敗したなあ…という時は、
割とわかりやすかったと言われ、

それなりに準備してる時は、よく判らなかったと言われ、

ふと、チームリーダーからは、
君の喋りは、
前提条件を前にきっちり話すから、
話が長くなって判りにくい、

と言われりして、なるほどなあと納得したりするわけです。


確かに、きっと、
これは大多数の人が悩んでいる問題なのだろうけれど、

もう少し皆は、折り合いというか、
足りない言葉の部分を、善意解釈で補完しあってる気がするわけで。

よく、システム屋の人と、システム屋じゃない人の会話を、
どっちの立場でもない僕が聞いてると、
ああ、これはお互い話が噛みあってないなあと思うことがあるのだけど、
そういう時でさえ、なんとなく両者は最終的に折り合ってる気がするのだけど、

僕の話は、システム屋の人の話よりも、
どこか遠い国の言葉になってるのかもしれないなあと思うと、

なんだか空恐ろしくなる時があります。

恋愛の時が特にそうだったのだけど、
誤解を残したまま、相手と接したくないという思いが、
多分、僕にはすごく強いようで。

だから、相手のことが判らない代わりに、
相手に押し付けたい気持ちはまるでないけど、

”僕はこう考えています、だからこうしました”というのを、
伝えていきたいと思っているのだけど、

これは、相手にとっては、
押し付け

なのかもしれないなあと、最近思ってたりします。


結局、
美術館で絵を見て、
これがいかに良い絵か、

とか、

おすし屋さんでホントに美味しい握りを食べた時の感想とか、

誰かに伝えたいものでも、伝わるものでもないんですかね。


人は一人では生きていけないってよく言うけど、
じゃあ、人は人に何を伝えて生きているのかなあと、

気の遠くなるほど気温の高い事務所で、
考えてみたりする、今日この頃だったりします。
 
あ~このblogをまだ見てくれている、
偏った性癖の皆様?

なにやら、お前のblogは更新しても、
更新情報こないから、みてやらんのじゃワレ!
というお叱りを受けまして?

ブックマークの情報更新されてるです?
されてないです?

----閑話休題------

知り合いの女性に、
用事もないけど、なんとなく、
忘れかけていたその人の声のトーンを確認したくて、

「週末に電話していい?」

そうメールした。


暫くの後、


「今して。」

たった4文字のメールが返ってきた時、

僕は2つ目のサンドイッチに手を掛けた所だった。

「15分後に。」

2文字だけ余計に文字を打ち返した僕は、

小説を読みながら、
1時間の自由時間をまるまる過ごす為の、
気だるく顎を動かす速度から、

予定のある、就業時間30分前に、
電話一本で押し付けられた雑務をこなす速度に、
自然と切り替える。


女性の我がままには、
実にたくさんのバリエーションがあると思う。

殆ど縁も縁もない女性と、
最初のデートの時に、何処にでもありふれているような、
ブランド品を買ってくれと真顔で言われるような、
不快感から始まって、

例えば、
夏の砂浜で、躊躇いがちに渡されるサンオイル、

一緒に暮らす女性が、何処にでもある朝の場面で、
化粧をしながら、生ゴミを指定の時間までに、
指定の場所に持っていくように無表情に告げられる時、

バイバイと別れを告げた、夜の駅前で、
後ろからシャツをつかまれて、
もう少し一緒に居たい、という突飛な発言まで。

きっと、自分が相手を好きかどうかという成分を、
きっちり遠心分離機にかけて尚、
思わず頬が緩まる我がままと、
こめかみの辺りが引きつる我がままは確かに存在する。

どんなに料理が美味しいレストランでも、
8割以上の店では、食後の珈琲が不味い事と
同じくらい確かに存在する。

男を喜ばせる事のできる我がままを言える女性は、
きっと幸せになるための大きな一歩を踏み出せているに違いない。


そうして僕は、
10分後にその女性に電話する。

もしかして、
その女性は、たった4文字のメールに、
万感の思いがあったのかもしれない。

僕はもしかして、
縁日のにある、十数本のくじの中から、
あたりの1本を引くように、奇跡的なタイミングで
メールをしたのかもしれない。

それでも、僕は、
女性の事情より、
心地よい我がままに酔ってしまう。


こうやって男女はすれ違っていくのだろうと思う。

そこに恋という定冠詞が、ついたとしても、つかなかったとしても。

だから僕はきっと、
幸せからは少し遠いところに立っているのかも知れない。

それが電話で得た僕の本日の学習効果だった。










追伸、

恋は、定冠詞じゃないのは知ってます。
昔、
存在しないはずの人に、
恋したことがあった。

出会いはblog。
ほんの短い間の事。

顔も知らない、声も知らないその人に、
恋をするという事は、

もし、僕の中に湧き上がった気持ちを、
恋とするのなら、

きっと恋は、
なんに対してでも出来るんじゃないかと思った。

漫画の登場人物でも、
アイドルにでも、

きっと条件さえ揃えば、
路傍に転がる石にだって、
恋は出来るんだと思った。

だから、逆に不思議に思えた。


常に形を変えていく、
現実の個性を持った人間に、
本当に恋ってできるんだろうか?

ある側面を捉えて、
そこに向かって落ちていくのが恋なら、
特異点が常に変わり続けるものに、
恋ってできるんだろうか?

そんな風に考えていたら、
恋が終わるのは必然なのかもしれないと思った。


落ちていく先が点なものを恋と呼ぶんだろう。

自分が、壊れかけた人工衛星だったとして、
アメリカのヒューストンにある、基地めがけて
僕は落ちたいと願ったとする。

そこに落ちたいと願う事そのものが、
きっと恋なんだろう。

だから、テキサスどころか、
ミシシッピの片田舎の麦わらの上に軟着陸したり、
あまつさえ、東京の秋葉原のラジ館に落ちても、
それでも良かったって思えるのは恋じゃない。

そして多くの場合、
恋が別の何かに変わらなければ、
人工衛星は、大気圏突入で燃え尽きちゃうんだと思う。

衛星軌道上から、
ある一点めがけて、後戻りなく落ちる事ができるのは、
恋じゃなくて奇跡。

実は細かく揺れ動いていて、
目を放した隙に、
落ちたい場所は1光年ぐらい動いてるかもしれないのに、
自分がそこだと思った場所に、
しっかりと落着できるのは、奇跡。

地球の何処にでもいい、
僕は落ちるんだ、そう決める事が、
きっと誰かを好きになるということ。

落ちたあとにどうなっちゃうかについて、
自分で責任を取れることが、生きるという事。


昔、
雑誌に載っている旅館に行きたいと思いついた事がある。

その時の恋人と、レンタカーを借りて、
カーナビ通りに、見知らぬ土地にたどり着いた。

その場所は、雑誌に載っていたその旅館に着いたんだろうか、

きっと、僕はたどり着けなかったのかもしれない。

ただ、その行き着いた旅館はとてもいいところだったけども。

追伸
べ、別にあんたのことじゃないんだからねっ!(
 
生まれたとき、人は自由なのかもしれない。
ボーリングの玉を、転がす前の辿れる軌跡の幅と、
投げてしまった後の軌跡幅の違い程度には。

ボーリングの球が、レーンのどこかではなくて、
例えば、ドレスデンの深い森の中で、
ぽつんとあった時、
それを見た誰かは、楽しい気持ちになるんだろうか。
哀しい気持ちになるんだろうか。


ともあれ、
齢30も半ばを越える頃には、
現実の中でいくつかは、
大きな選択を済ませてしまってるわけで、

何年か前までは、
そんなもの、乗り越えられると決めれば、
乗り越えられないものなんてないと思ってた。
あきらめた時にだけ、人の足は止まるのだと。

きっとそれも間違いじゃないんだろうけど、
人間の心と身体とお金と時間はきっちり有限で、
どうしたって、人はできることなんてその時その時で限られている。


ましてや、鮨を食べたいと地図を片手に必死に歩く僕の隣にいる誰か、
もしかしたら、その人は魚が嫌いかもしれない。
でも、僕を嫌いじゃないから急ぐ僕に合わせてくれているのかもしれない。

そして、30も半ばになっても、
魚が嫌いな人に、たとえどんな美味しいかったとしても、
鮨屋に連れていくことがいいことなのか、悪いことなのか、
そんなことすら僕は判らない。


例えばどんなに願っても、
初代の犬や、じいちゃんばあちゃんが還ってくるわけもない。

また、還ってきたとしても、
居なかった時間を埋めるには、
やっぱりそれなりの作業がいる。

(もし初代が還ってきたら二代目と上手くやれるのかも知らないし、
ばーちゃんの部屋だって大掃除しなきゃいけない)

そんなことを、夏の割には涼しい会社外の喫煙所で考える。
吐き出してしまった煙を、
一生懸命かき集めれば、集められると思っていた、
昔の俺。
こんな風の日には難しいんじゃないかなあって今の俺。

この3日ばかり、
九州に出張に行っていた。
僕の人生の中で、
思いつく限り、一番大きな分岐点を迎えたのは、
何年か前の博多空港からの一本の電話。

その電話が決定打だったわけじゃない。
でも、今になって思えば、
川の流れが分岐したのは、その電話が境だったんだと思う。

夏果てて秋のくゆるにはあらず

その時、僕が気がつかなかったけれど、
夏は秋になっていたんだと思う。

そして僕は冬になって、秋が終わった事を知った。

何年も経って、また博多空港に降り立ったけど、

あの土地は、思い出すことが多すぎる。

嫌な思い出が多すぎる。

宿泊所で、目一杯酒飲んで、
温泉にも入って、優雅に就寝したはずなのに、

やっぱりあの人の夢を見た。

随分と久しぶりに、あの人の笑顔を見た、
遠い見知らぬ天井の下、夢のなかで。

今まで夢の中で出会ったこともない人たちにも会って、
見たこともないような夢を見た。

だから、眠れたのか眠れなかったのも判らなかった、
そんな朝、目覚めた今が夢なのか、ついさっきまでが現実だったのか、
それすらも僕には、よく判らなかった。

でも、
見慣れた携帯から、見慣れた音楽が流れてきたとき、
当然の様にあの人の夢を見る自分に飽き飽きしていた。


世の中にはキレイな言葉がたくさんある。

恋だとか、愛だとか、命だとか、
そんな言葉。

小説の主人公たちには行間が存在しないけれど、
僕らの日常には、どんな小説でも書かれないような、
行き場のない、”ただの”時間が沢山あるように、

キレイな言葉の裏には、常に現実がある。

現実を飲み込めないでキレイな言葉なんて意味がない。

世界は、自分で決めるもの、
俺はずっとblogで言い続けていたけど、


僕は、遠い昔に諦めていたのかもしれない、

あの日から、何年も経った同じ土地で、
そんな当たり前のことに、僕は気がついた。

夏は秋になり、冬を越して、多分また何度目かの夏に。
本を探していたんで、
一つ向こうの駅まで余計に乗って、

思ったより高かったその本を見つけて帰る。


ふと見上げた空には、
いつもと同じように月が出ていて、

いつもと違って、
なんだか月は真ん中が暗くて、
齧りかけのドーナッツみたいだった。


帰り道で、僕は裏路地に入ると同時に、
ほんとうに無意識に、さだまさしの歌を口ずさんで居た。


多分、今日本中で、もしかしたら世界中で、
さだまさしの歌を歌ってるのなんて、僕一人に違いない。

少し恥ずかしくなって、
茶色の小瓶を口笛で吹いてみた。


家のそばまで行ったら、
地震の直後には、あらゆる明かりがまばらだったのに、

どこの家の窓からも明かりが漏れ出している。


高層住宅に納まって、
セックスをしたり、子作りをしたり、(多分、セックスと子作りは別のものだ)
恋人と語らってみたり、ひたすらにご飯を食べてみたり、

結局人も蜜蜂もあんまり変わらないなあなんて思いながら、


少しだけ湿り気を帯びた自分の影を跨いで、
僕は家に帰りつく。
路地裏にある自宅から、
主要道路に向かう裏通りを歩いていると、

目の前に横断歩道が見えてくる。

ふちを囲わずに、ただ白いラインが、
灰色のアスファルトの上に10本ばかり描かれているタイプの横断歩道。

遠目に見た横断歩道は、厚みがなくて、
それは水面に浮いた不自然に着色された蓮の葉みたいだった。

土曜の朝9時には人通りなんて、ほとんどなくて、
そこは、駅に向かう僕にとって、
ただの通過地点にしか過ぎないはずだった。

夏も始まろうかという季節に、
どこか肌寒くて、まだ空気に透明さの欠片が残っていた。


横断歩道まであと10mを切ったあたりで、

僕の視界の右側から、勢い良く男の子が飛び出してきた。

体にちょうどよく馴染んだオーバーオールの裾を少し折り曲げて、
真っ赤な丸首のシャツを着た、少し縮れ毛の男の子。

彼は、右から数えて一番目の白いラインから、
幼い体を目一杯伸ばして、思い切り飛び上がり、
10本あるその白いラインだけを踏むように、横断歩道を渡ろうとしていたらしかった。

順調に3本目までを彼はクリアする。

でも、4本目のあたりから、
足の後ろ側が、灰色に触れるようになって、

6本目のあたりでは、つま先がやっと白いラインにかかるくらいの、
ギリギリの勝負になっていた。

そして、
彼の跳躍は7本目のラインに届かなかった。

その瞬間、彼は動きを止め、
声は聞こえなかったけど、
身体全体でしまったと、男の子は感じていたみたいに映った。

後ろを振り返り、
それでも彼はもう一度飛び上がり、8本目のラインまで跳んで、
でも、9本目を目指すことなく、
後ろにいた両親に駆け寄った。

彼は、自分の挑戦を忘れたみたいに、
笑顔で両親に何かを語りかけ、

もう一度横断歩道を渡り直したとき、
それでも、10本目のラインだけはしっかりと足を踏みしめていた。

真剣に飛び跳ねていたほんの少し前の彼の体から発する真剣さが、
両親のそばに駆け寄ったときには、微塵も感じることができなくて、
僕は少し不思議に思った。

彼は、自分の挑戦そのものを、
たった30秒にも満たない間に忘れてしまったんだろうか。

それとも、挑戦そのものをなかったことにして、
ちょっと前には存在した真剣さを嘘にしてしまったんだろうか。

それとも、この出来事が、
世界と自分の間に芒洋と立ちふさがる壁として、
あと少し足りなかった事実を、彼に意識させ続けるのだろうか。


すこし昔を思い出した。

いつか終わると解っていた恋に、身を焦がしていた頃。

僕の目に10本目の白いラインは、
絶対にたどり着けない遠い線に見えた。

でも、僕は人生の中で強く願っていたことがあるとするのなら、
間違いなくその10本目のラインに立つことだけを、強く願っていた。

僕に力や、想いだけでどうにか、そのラインにたどり着けるのなら、
文字通り全てを賭けて、飛び上がった。

何年もその跳躍を繰り返した中で、
僕は一体何本目の白いラインを踏み外したんだろう。

何本目に、灰色に足をついた事実から目を逸らしたんだろう。

そもそも、僕が歩いていた横断歩道に、
本当に10本目が存在していたのかすらわからない。

ただ、僕は気が付けば、
横断歩道ではない場所で、空を仰いで足を止めていた。


彼は9本目に届かなかった自分の挑戦をどう捉えているのだろう。

走りよって尋ねてみたい、残酷な誘惑に駆られる。



世界は、答えのない疑問で満ち溢れている。

世界は、行き場のない思いで満ち溢れている。

世界は、後戻りできない横断歩道で出来ている。