今年の夏は、睡眠不足だなあって想う。

何故って、何故かいつもいつも、
家族ぐるみで、俺の部屋にスコットをこっそり入れておくものだから、

毎日足元で、あったかいなにかが、
もぞもぞももぞもぞ動いてるのだから、

細やかな俺としては、
落ち着いて寝られないし、

親が、そう慣らしてしまったから、

朝も6時半頃になると、
寝ている顔の上に、鼻面を押し付けて、散歩をせがむわけで。


しかしまあ、不思議だったのは、
夜中仕事帰りに、荷物を部屋に置き、
汗だくな身体をどうにかしようと、

クーラーだけ先行してスイッチを入れて、
シャワールームに駆け込むのだけれど、

パンツいっちょで、”部屋のドアを開け”、
電気をつけると、そこには何故かスコットが、何ごと~?って顔でベッドに鎮座してる。


本当にパニックを起こしかけた。

俺の中では、たった数秒の間に、
新しく立ち上がり、部屋のノブに手なり顎なりをひっかけて、
締まっている俺の部屋に、
スコットのヤツが陳入する新しいワザでも身に付けたんじゃないか?

そんな妄想に囚われるのだけど、


なんのことはない、俺の帰宅で目を覚ました妹が、
スコットを俺の部屋に導きいれただけだと、後に述懐された。



そんなこんなで、
部屋主の許可無く、スコットを部屋に入れるの禁止令が発令されるのだけれど、

何故か、俺しか居ない部屋で、深夜に独り、
いつもは足元に居る熱源が居ない事に、
少しだけ残念な気持ちが襲ってくるようになってしまうわけで、


まあ、それでも寝る前にトイレ済ませるかと、
深夜も1時に、ドアを開けると、

ドアの向こう側に、スコットが寂しそうに寝そべっている。


も~、その顔は、
お願いだから入れてよ~(涙

って感じで、完全にノックアウトされるわけで、
相変わらず、無心には弱いなあと、我ながら想うのだけど、

トイレにいって、リビングで煙草を吸って、
洗面所で歯を磨く間、スコットはやきもきしながらコッチを見ているのだけど、


散々焦らして、最後は部屋のドアを開けてやると、

もうお前は用済みじゃ!とばかり、
嫣然と部屋に入るアイツが憎たらしいのだけど、

遠慮がちにベッドの上に飛び乗ってくるなり、
打ち捨てられたロースハムだか、はんぺんみたいなスコットは、
すぐに鼾をかきだすわけで。


なんでもいいけど、
俺の部屋は抜け毛だらけ、かゆくてかゆくてたまらない。

今週末は3日の間、スコットと2人きり、
土曜の昼は、とりあえず、コイツを風呂に入れてブラッシングすることにしよう。


ま、どーせこいつは、牙むいてイヤがるんだろうけどさ。
つか、皆さんに激怒されそうですが、
まあ、俺、書くだけ書いたら、あんまり後に引かないヒトで、

昨日晩の限定に、皆様コメントありがとうございます。

でも、一部で心配されてたみたいに、
ずっと一晩考え込んだりとかもないんで、

基本立ち上がれないくらい、リアルで凹んだら、
記事とか書いてないと想うんで…、


ってのも失礼ですね。



ま、そんな俺は、
どこぞの神楽サマ の挑発を受けて、

携帯ゲームにはまっておりました。

ゲームでここまで、敗北感を味わったのは、小学生以来です。


かてねえ…、くやしい…。


昨日、これやりすぎて、携帯が壊れました。









ももえりプロデュース キラキラ大作戦

得点:18495000点
ももえりプロデュース キラキラ大作戦
あ、あの、みなさん温かい言葉ありがとうございました。


が、別に、すげー落ち込んでるとかそういうのじゃなくて、
あ~あ、なことがあり、でもそれに対して、誰かを殺したいほどの怒りも、
壊れてしまった大切な想いに嘆く事も、

ま、ないわけじゃないですけど、
ふつーに、仲いいヒトと遊んでれば、忘れる程度の事に、
自分の中でなりさがったんだなあって、そういう確認の記事だったんで、

ご心配かけて、すいません、ありがとうございましたです、ホント(恥





というわけで、
異動日が決まりました。


いきなり、

8/3から、秋葉原勤務。


(冗談抜きに今言われた)



確定で、スカイプの使用ができなることと、

日中のblogは一切更新できなくなります。




んで、どうすんだよ?と問われれば、

数ヶ月前から、何も考えてないので、
なるようになるんじゃないかなあと…。


このblogも、汁粉が我が物顔でのさばってますし、

これ読んでくれてる数少ない読者の皆様は、
どーしろってあります?


お題でもくれれば、帰宅後書いてみるのもいいかなとか(笑


まあ、またここで謝辞とかのべると、
後々問題になりそうなんで、

さしあたって、閉鎖するつもりはありません(笑




ご報告でした(・ω・)
ほんとはね、
自分は寂しがりやだったんだと思う、
ずっと昔は。
或いは今も。


だから、
困ったときに、悲しいときに、
こまったー、かなしーって、
口にしてしまえば、誰かがそれを埋めてくれるのだけど、

なんでか、それを誰かに要求することは、
恥ずかしいことだと思った。

困った、悲しい時に、
誰かが何とかしてくれるって、期待するのが、罪みたいに感じてた。

いつもは優しかった人も、
自分がなにかヘマをすれば、
いつもだらしなければ、
いつしか、自分を迷惑に思って去っていくと思ってた。

自分に価値が無ければ、人は去っていくものだし、
いつも誰かの手助けをしなければ、
いつか誰も自分の手助けなんてしてくれないだろうって思ってた。

だから、何時からだろう。

思ったことを言わなくなったのは。

悲しいときほど、なんで笑ってるの?って聞かれるようになったのと同じ時期かも。


だってさ、イヤだったんだよ。
口には出せないけど、誰かに何かを要求しようとする自分が、
とてもとても卑屈に見えたから。

他人が起こした不具合が、めぐりめぐって自分のところに来たときに、
それを起こした張本人が素知らぬ顔をするのを見て、

相手を恨みたくなかったんだよ。

それだったら、誰にも判らずに居てくれたほうが気が楽だったから。
一度相手に気を許してしまえば、
そこに誰かが居ることに、甘えてしまう自分がイヤだったし。

親に、ドロドロに溺愛された人間が、平気で口にする、
なになにしてくれて当たり前って、あの感覚を自分が感じることがイヤだったんだよ。


だから、好いも悪いも、全部自分の世界だって、
何か起こったなら、それは全部自分が悪いんだって。

空から隕石が降ってきて、自分にあたるなら、
そこに居た自分が悪いんだって、そう思って生きてきた。


でもね、
別に自分が特別なんて思ってないし、

悲しい思いをしてる人は、たくさんいるし、
自分は恵まれてる人種だって思ってる。

ただ、人が普通に言えることが、言えなくて、
言わなくていいことばかり、言ってる人間ってだけ。

世の中、自分の知らない世界しか知らないんだなって思ったのもこの頃。


五体満足な自分には、
金にも苦労せず生きてる自分には、
骨折をしたことさえない自分には、

当事者の痛みなんて、判らないって思った。
判ろうとする努力は必要でも、判った顔なんてしたくなかった。


大丈夫?とか、平気?
なんて、もともと大丈夫だったり、平気な人にしか意味のない言葉だから、

大丈夫じゃないとき、大丈夫だよって笑っちゃう人は、
きっといろいろなものに耐えてる人。



それなのにね、

それでもやっぱり、人のそばに居たがる自分が居てさ。

誰かに1したら、1返ってくるなんて思わない、思えない、
それでも10したら1返ってこないかななんて、いやらしく思う自分が居て、

結局誰かの心の隙間に滑り込んで、
自分の居場所を作りたがる自分が居て、

嫌いになられる前に、
嫌いになっていいよって、言う人間になったんだけど、


それでも、なんとなく、
こんな自分を受け入れてくれる人も居て、

やっぱりそれは、とても怖いことなんだけど、

それでも、そんな雰囲気ってのが、
悪くないんじゃないかななんて、

そう思ったりもする夏だったりするわけで。

われながら、成長遅いなって思ったりするわけで。
イライラしてると、
いいタイミングで、電話くれたり、メールくれたり、チャットきたり、
リアルで遊びの誘い着たり、コメで心配してくれたり、

リアルで、友達とか別にいらねーしな俺ですけど、

ネットの中とはいえ、
真面目にやってきた人間関係は、悪くないですね。


最近人の繋がりっていいな~って想います。

ありがとうね。


心配される事を期待してるわけじゃないから、
気に掛けてもらえるとき、なんかすごく嬉しいですわ。

やれやれ、グチっていいですか?(笑

世の中、中年って言われる歳にもなればさ、
良識在る人間なら、ヒドイことされた相手に対しての報復手段があったって、

黙して和を取る選択するじゃないですか?


ど~して、そういう時に、
好き勝手やる人種っているんですかね。

そんなんだから、話し合いじゃなくて、
世の中惨殺事件があとたたないんですよね。

動物は、相手を殺して食いたい時以外、
腹出したら、普通そこでやめるじゃないですか?

どーして、人間って相手追い込むんですかね。


テレビでてたら偉いんですかね?
本でも出版すりゃ、天狗なんすかね?
金あれば、それでいいんですかね?

なんか、貧乏人で才能ない人間の僻みっぽいですけど(笑



笑っていたって、その人が本当に笑ってるかなんて判んないですよね。

結局人間関係って、力関係なんだろうなって想うんです。
どっちが正しいかなんて、客観的にみることができないヒトの立場なんですから、
わかるはずも無くね。

でも、一方が笑ってることに対して、
笑ってるならいいかって、切り捨てることができる人間は、

強いなって想います。

だから、俺は、
相手が笑ってるときに、ほんとうに笑ってるのかな、自分ってこれでいいのかな?
って、立ち止まっちゃうんですね。
それは、好い悪いではなくて、良くも悪くもなるけど、自分の性格って話しですけどね。

まあ、相手を好きかどうかで、大分変わって来ますけど。


相手が、ほんとうはどうかも判らないのに、
相手を一方的に断じて、決め付けて、
自分の人生を、自分の都合いいように、他人までひっくるめて解釈して、

世界の苦しみは私だけ知ってるってな顔で、生きていく。

強いですね。

自分が踏みつけられたからって、他人踏みつけていいんですか?


でも、逆に言えば、
相手が好きだからって、
相手のペースに乗り続けるってな、ある意味弱さの顕れなのかもしれませんね。
笑ってるその内心では、泣いてるのを、本当は相手に気づいて欲しいんじゃないですかね?


そう思って、自分の人生を楽しもうってやってきましたけどね。
だからいいんです、嫌われる覚悟はいつもしてて、
それでも、俺は俺ですから。

時々それを飛び越えて、俺の内側に入ってきたがる奇特なヒトもいらっしゃいますけど、
その防衛線を飛び越えて、それでも内側に入りたいなんて、
覚悟があるなら、どうぞ、俺の扉は基本開いてますから。

ただ、想ってたのと違うとか、あなた変わったわね、なんて言わないでください。
俺は、今も昔もこれからも、きっと俺でしょうから。



久しぶりに、意図的じゃないけど、

史上最悪な、”結果としての”悪意に触れたもんでね。

結局、人間、
口でなんと言おうと、他人の痛みなんてわかりゃしないし、

判ったところで何ができるわけでなし、

相手の痛みなんて、人生掛けて1人わかれるかどうかってくらい、
本来大きなものですからね。


相手を大事だなって想う気持ちは、

それを抱え続ける事に、とんでもない労力が居る事だし、
大概の人間は、容易く自分かわいさにそれを投げ捨ててしまうけど、

やっぱり、それを無くしてしまって、人間なんて生きている意味があるのかなって、
そう想うんですわ。


”想い”というものは、一人一人が人生を掛けて練成するべき、尊いものだと想うんですね。

でも、その尊いものを、尊いはずの誰かに踏みにじられ、名前も知らない誰かに踏みにじられ、
その痛みから逃げるように、自分の想いも、他人の想いも踏みにじっていくんでしょうね。

本来、高潔な人間も、
大事なものが増えていけば、結局どうでもいいものから切り捨てて、
切り捨てた先には、自分の口から出たはずの、ポリシーとか平気で曲げちゃうんでしょうね。


人間は悲しい生き物ですね。

それでも独りでは生きていけないなんて、
世界が絶望しないための魔法の言葉なんじゃないですかね。

それともとっくに、世界なんて、絶望から諦めに支配されてるんですかね?


あなたこそが、悲しい人間ですね。
あなたが本当に欲しかったもの、なんだったんでしょうね?

あなたのいる世界が、どれだけ危うげな立場にあるのか、
考えた事あるんですかね?
どもども~、
週明けから、東京も俺の頭の中も霞がかってますわァ…。

おかしい、
昨日は朝の9時から、夜の23時まで、
パチンコしたり、スロットしたりして、微妙にプラスでまったりしてたはずなのに、

この疲れはなんだ?!
きっと、1食しか食べなかった、大盛りのカツカレーの所為かも知れない…。

ハンドルを力いっぱい握り締めてた右手が痛いなら判るけど、
何故か左手のだるさは異常…。


つか、ただ単に、スコットが足元でもぞもぞ動いてて、
ちゃんと寝れてないだけなのかもしれません。

しかし、今日は、会社帰りに2時間も待たされた挙句、
飲みたくもない相手と飲みなんですよねえ…。

あいもかわらず、週明けはだるさ全開ですねェ…。


あ、そういえば、ドラクエ解きました。
やっぱDSのゲームは、抵抗感ありました。

まあ、ある意味、
ゲーム1本の容量が、1ギガとかの時代に、
最大で216メガとかですからねえ…、

メーカーも手抜きできるし、コピーは出回りやすいしで、
マジコンを擁護するつもりは1ミクロンもありませんけど、
任天堂の自爆劇な気がしてなりませんが、
踊らされたメーカーは、いい面の皮ですなあ。


特に書くこともなく、
3連休中日は、本番ガンダムを観にいこうとおもいましたけど、
汐留で余りのヒトの多さに、断念。

銀座散歩して、久しぶりに美味しい珈琲飲めたのはいい感じでしたね。

もうちょっと心に余裕ができたら、
また谷中でも散歩しながら、珈琲飲みに行きたいなあ~とか想うわけで。


実に普通のblog記事ですね、いい感じです。
個性って何? ブログネタ:個性って何? 参加中


ど~せ長続きしないのに、@1になったら、やたらに自転車欲しい俺が居ます…。
あ、長いよ、この記事。



個性ってなにか、

「国家の品格」って、新書と、

「攻殻機動隊StandAloneComplex」ってアニメを見るといいよ!




終了ヽ(´ー`)ノ











なんか、ここ数日、裏でmixi関連の話しがあったんで、
あの時代の濃いい書き口でやってみまっか。

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『個性』は、主観的に捕らえると、
如何に自分が求めるモノに対して、メリットデメリットを踏まえたうえで、
他者からどういう評価を受けようと、それを追い求めるかということとここで定義する。

そして、同時に、
経年変化していくその求めるモノに対して、
他者の意見を「聴き入れた上」で、自分がどう振舞うかという事だと想うのね。

つまりさ、
満員電車の中で、俺の居場所はここだ!って、
周り省みず立ち位置変えないのは、馬鹿なわけで。

自分の貫くべきものが、
他者にとってどういうものかって認識できない人間には、
俺は個性語る資格なんてねえ!って想うわけ。

つまり、逆説的に言えば、
個性を主張するのなら、他者の存在を認めろって想うわけ。


『個性』という語句は、山奥で1人で生活している時に、まるで必要のない言葉であるのだから、

『個性』は、社会の中でこそ活きるものだと想うわけ。


目的の為に、誰かに不利益を蒙らせるのが判っているとき、
そうならないだろうと甘い目算するのと、
そうしてでも目的を果たしたいと想う人間と、
不利益を出さない程度に、自分の望む方向に持っていくのは、
似ている様で、全く別の結果を産むわけで。

上記のように、デメリットを全く考えず、
ただ、自分のわがままを主張するのは、若いうちの特権で、
『個性』とは違うわけで。

ましてや、
自分がするべき選択を、他人に任せてしまう人たちに『個性』なんてものはないと想うわけで。



前述の、
StandAloneComplexに面白い台詞があって、

個性を追い求めるあまり、今の社会に属する人間は、
没個性になっている。



なるほどなあ、と深く感銘を受けた記憶がある。


主観というか、個人的な話をすれば、

僕は、自分が個性的だとは想わないし、
個性的でありたいとも想わない。

何故か?

今の社会の仕組みに対して、棹させるほどの主張も作品も持ち合わせていないから。

流動的に、価値観の変わる日常の中で、
可変的に、自分の主張を組み替える性格は、十二分に没個性だと想っているから。


個人として、楽しいことがあるのだから、
なるべく長くそれを楽しめるように居たいと想うのが、僕の願望。

恋愛至上主義で、恋を追い求めていたあの頃からすれば、
いたって没個性になったなあ、なんて想うわけで。


ただ、これは主観的な話しと前提打ったのだけれど、

客観的に観れば、『個性』ってのは後追いなのかもしれない、
主観的な個性ってのが、常にどんなカタチのものであれ、目的があるのなら、
それは個性は自分の先にあるものだけど、

他者にとってみれば、
それは、その人が生まれながらにして備えてる資質みたいに映るのかもしれないなあって想う。



中国の神話にあるように、

人間には貴賎がある。

古くからの読者には、二度三度で申し訳ないが、

神様は、土からヒトを手でこねて作っていたのだけど、
途中で面倒になり、泥水に縄を浸し、それを振り回すことで、
ヒトを作った。

だから、神格ある目で見れば、丁寧に作られた人間と、そうではない人間は、
明らかに違う、と。

つまり、個性ってのが、自然発生的に、
その人の資質だ、なんて思える人種には、一生個性なんて関係ないんじゃないかなと想ったりする。


強くなりたい!なんて言ってて強くなるヒトなんてな、中々いないわけで、
強くならざるをえないから、強くなるわけで、
ま、この辺の話しは、昔クドクドと、『強さ』なんて記事を書いてたけど、
強さと個性は、似てるのかもしれない。



そして、言い換えれば、
社会の中で、人間をつくるのは人間なわけで、
自分を最終的にどうつくるのかを決めるのは自分なわけで、

その手綱を、最後まで自分の責任で握り続けることが、
僕には『個性』なんじゃないかと想う。


国家の品格の中の記述として、

義務教育の中で、英語を教えて国際人をつくろうなどとはおかしい、
そうしたいのならば、もっと国語を勉強させろというものがある。


実に正しいと想う。

相手に伝えるべき言語も固まらずして、
伝えるべきを持たない人間が、
一体相手に何を伝えようというのだろうか。

マザーテレサではないけれど、
他人の目を気にする前に、まず自分こそ豊かにするべきである。


そして、その結果として、
客観的な『個性』が、他者に残ると想うのだけれど、

今の日本の世相は、
(他国を語れるほど、外国生活をしたことがないので)

上っ面が目立つことだけに主眼を置きすぎていて、
明日明後日どころか、今日のことしか考えられない人間で溢れかえっている様に見える。


若いうちに、個性を求めていた人間が、
何故に、知識も財も備わりだした青年期を過ぎて個性なんて言わなくなるのか、

それは、もうはっきりと、
個性を持ってるヒトと、もって居ない人に分かれるからなのだろうし、


本当の本当で言えば、
『個性』ってものは、基本的人権と一緒に、
須らく国民が、生まれながらにして、まとって生まれるもの。
なんじゃないかなって気もしないでもない。



まあ、我の強いヒトは、掃いて捨てるほど居るのだけど、
個性的なヒトってな、中々居ないわけで、

個性的なヒトってな、スキキライはあるにしても、
話してるだけでも、勉強になるなあ、ってそう想うわけで、


結局、自分が他人にどう映ってるかなんて、判らないなあって、
そう想うわけです。