僕はその日、
ガラス一枚隔てた向こうの、蒼天を見つめながら、
”昼下がり”が”夕闇”に、そして”夜らしい夜”
に移り変わって往くのを体感する事になる。
それは、緋を経由して、蒼が、
闇に変わっていくだけの事なのに、
流れていく景色の中で、色んなことを考えていたのは、
僕が、実に30年ぶりくらいに、
一人で田舎に向かったからかもしれない。
それでも都会の空が薄まった青なのに、この風景が蒼に見えたその事には、
明確な理由があるのだと思う。
小さい頃は、千葉の房総にある、
母方の実家に長期の休みになる度、両親と一緒に帰省
(当然当時の僕はそんな言葉を知らないけど)していた。
それが、小学校の2年生だか、3年生の頃、
もう経緯は覚えてはいないけれど、
僕は独りで、田舎に行くことを決意した。
それは、母親にホームで見送られて、
着いた先では祖母に迎えられるだけの通過儀礼で、
ただ2時間と少しを、”独りで電車に乗っていただけ”に過ぎないのだけど。
当時の僕にとってそれは、間違いなく冒険だった。
目的地は同じだったけど、それは逃避であったり、癒しであったり、
娯楽であったり、挨拶であったり、義務だったりしたのだけど、
考えてみれば、それ以来、
田舎に行く時は誰かと一緒だった。
そう、僕は、千葉の最南端である千倉に向けて、
もう一度、独りで向かっていた。
恐らく、僕は横に流れる景色そのものが、
余り好きではないのかもしれない。
きっとガラス一枚向こうでは、映画を凌ぐ、
様々なドラマが展開されているはずなのだけど、
ほんの数秒しか映らないその情景が、
延々と、テレビのザッピングがを、僕の意志に反して、繰り返されているようで、
断片化された情報に段々気分が悪くなってくるからだ。
それに比べたら、空の色は、
トンネルに入ったその間を除けば、
物語性を含んだ展開を僕に見せてくれる。
昼の次に朝がくるような奇抜さはないのだけど、
ほんの少しだけ、手元の小説を見ているだけで、
がらっと替わる空の色が、ああ見逃した、
と僅かな後悔を生むくらいに、独りの僕を慰めてくれた。
そして、空の色と一緒に、
土日しか知らない、高速道路の様子が、
平日であると、驚くほど交通量が少ないことを知る。
夏場に訪れた、スキー場みたいに、
なんだか、幾分その様子はのん気に映ったわけで、
誰も訪れる事のない休日の領事館に、
ひらひら翻る国旗みたいに、僕の前に映る景色は、
無責任で、どこか牧歌的だった。
僕は、死んだ叔父の告別式に出るために、
田舎に向かっていた。
僕が最初に死と向き合ったのは、
親しいのか、親しくないのか、
それすら全く判らない中学の同級生の事故だった。
彼は、家の中で大事に、それは大事に育てられ、
名前も知らないような親王の直系だとかで、
家を継ぐことに両親は大いに期待をしていたらしい。
アトピーの所為で、いつも廻りに自分の表皮を無遠慮に撒き散らす仕草を日課とし、
その事に対して、(他の人がそうするようには)
なんの後ろめたさも表には出さず、
僕が何度、注意しても、僕の座席の後ろから足を放り出し、
僕の学ランに足痕をつける人間だった。
当然の様に、彼はクラス中から苛められていたし、
その事で、彼が傷ついてる様に見えたことも一度も無かった。
それなのに、何故か、
僕の仲のいい人間の周りに彼はいつも居たし、
部活動も気がつけば一緒になっていたし、
結果から言ってしまえば、彼の棺を担ぐことになる8人にも、
僕は含まれることになったのだけど、
親しかったかどうかという疑問を除けば、
間違いなく僕は彼が嫌いだった。
どう好意的に考えても、彼を好きになる要素を、
僕はとうとう最後まで見つけることはできなかったし、
見つける前に、彼は高速道路で運転する自動車を降り、
大きなトラックに跳ね飛ばされた。
恐らく、彼が苛められていたのと同じくらいの必然で。
数時間の後に、その事実を知り、
彼の実家に、両親と共に車で向かう高速道路の途中で、
僕は見たこともなかった、”死”というものの腕を感じた。
多分、感じた気になった。
別に好きでもない、その存在が、
二度と手に触れられない存在になったということに対して、
僕は、途方も無い恐怖に取り憑かれ、泣いた。
喪われた彼の存在に泣いたのではなく、
ぽっかりと空いてしまった、その何もない空間そのものに、
僕は恐怖したのだと思う。
まあ、僕の涙が、廻りにどう映ったかについては、
全然別の事だったにせよ。
だから、それ以降、
死というものに触れる事は、過去何度かあったのだけれど、
”もうその人に会えない”という感覚には折り合いが付き始めていて、
哀しさと涙の量が比例しなくなってしまった僕は、
なんだか、中学の同級生に対してだけ”贔屓”をした様で、
僕の周りから喪われた人々に、少しだけ申し訳ない気持ちになる。
変わって往く僕と、つかみ所のない社会の流れが、
日常の中にいてさえ、その流れの激しさに時々めまいを覚えるのだけど、
高速バスを降り、
久しぶりに訪れた、母の生家はひっそりとしていて、
町全体が、本当に何もかもから取り残されたみたいだった。
変わった事と言えば、
近所の人々に刻まれた皺の本数と深さくらいなもので、
僕の目には、老朽化は進んでいるものの、
漠然と子供の頃から思い描く、この町の姿と、
今僕の目の前にある町の姿には、絶望的な違いなんて、
どこにも見つけることはできなかった。
道路を挟んで向かいにあった家が更地になって、
駐車場になっていたけれど、
その事で、町を覆っていた緩やかな滅損の霧が晴れるはずもなく、
変わらず保存されているこの町は、
結婚式を明日に控えた新婦の様に、
安心と不安を同時に投げかけてくる。
だからこそ、大きくなりすぎてしまった僕は、
この”片田舎の海”と名づけられたジグソーに、
-昔は自分もその一片にはまり込むこの出来た-
全くそぐわなくなってしまった事を理解する。
”飲みかけの缶ビール”という、
新しいジグソーの一片に成りさがった自分が、
なんだかとても哀しかった。
周りには竹林がまっすぐ天に向かって伸びているのに、
そうすることのできない、自分の歪みを、
この土地に来ることで再認識した。
時がさかしまに流れないのが節理だったとしても、
自分という結果に、胸がざわめいた。
幾ら悼もうと、何かをしようとも、語りかけようと、
死は”死”でしかない。
そこに様式や手順、
意味といったものが複雑に噛み合っていたとしても、
天に昇る途中、思い出したように皆の前に、
「そういえば、ひとつ忘れていた。」なんて、
亡くなった人間が訓戒を垂れに戻ったり、
棺に入れ忘れたものを要求するわけで無し、
終わってしまったことに対して、
何をどう思おうと、結果としては自己満足でしかない。
死者を悼む気持ちは内面にこそ宿るもので、
自分がその時どう扱われるか、と言う不安を除けば、
生きている人間が、死んでしまった人にできることなんて、
実際には殆どない。
死んだ人が生きている人にできることが驚くほど多いのとは、
反対の理由でだ。
大恋愛の末、引き裂かれた二人が、
”あなたを忘れない”と誓ったその約束が
年々その輪郭を風化させていく事と、
誰かを亡くすというのは、致命的には違うのだけれど、
大体においては殆ど一致している。
死んだ人は死んだ歳から歳を取らず、自分は齢を重ねるのは、
感傷ではなく、事実なのだから。
いずれにせよ、叔父は亡くなった。
最後に触れた頬の冷たさと、優しい笑顔の思い出を残して。
過程が結果とイコールではないと知りながらも、
人のよさそうな笑顔というのは、今の世の中に残された、
最後の希望なんじゃないかという気がしてくる。
それは祈りに似た儚い希望だったにせよ…だ。
翌日になって、
いつもと同じ時間に目が覚め、
いつもと同じ通勤路で出社し、
いつもと同じようには挨拶ができずに、
なんとなく人とはしゃべりたくない気持ちで午前中を過ごし、
独りでランチを取り、
残った昼休みの半分を、
その辺の花壇のへりに座り、まずい缶珈琲を啜りながら、
読みかけていた小説を一気に読み終えた。
とても哀しい気持ちで自分が満たされているのだけれど、
恐らくこれは、叔父が死んだからという理由とは関係ないという直感がある。
葬儀の事で覚えていることと言えば、
不如帰が鳴いていたことだけだ。
斎場の向こうに広がる林の方で。
蒼天を仰ぎ、透明な空気の中を、切り裂く様にではなく、
不如帰の囀りが、僕の耳に残っていた。
6月にも不如帰は鳴く。
それが叔父の残した訓戒だった。