島井宗室(その5) | ドリップ珈琲好き

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主な記事  ①神社 ②書下ろし「秀吉と名乗った男」「徳川末代地獄の争乱」「末裔界からの来訪者」「理想郷の総理大臣」

没して四百有余年なのに、屋敷跡の碑も墓も残っている、

島井宗室

◇◇◇◇◇◇まとめ◇◇◇◇◇◇

天文八年(1539年) ~ 元和元年八月二十四日(1615年)

戦国時代から江戸時代にかけての博多商人

茶人「宗叱」

名は茂勝  号は虚白軒

神屋宗湛、大賀宗九と並び「博多の三傑」と呼ばれる。

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博多べい

櫛田神社境内にあります。元々は島井宗室屋敷跡にあったものを、移築したものです。

 

 ついでながら・・・・・・

川上音二郎の寄進碑川上音二郎の寄進碑

我が国新演劇の祖川上音二郎は文久四年博多中対馬小路の商家に生まれ、十四才の時上京し後に大阪で政治運動に関与して自由童子と号して活躍した。その後芸能界に身を投じ、世相を鋭く風刺したオッペケペー節は世の喝采を博した。新演劇(書生芝居)を初演したのは明治二十四年、四十八才で逝去するまで夫人貞奴と共に外遊三回、日本劇を外国で上演し、シェークスピア劇を我が国に紹介し、児童劇を創始する等功績は誠に大きい。この碑は、彼が上京後博多の土地家屋を当社に寄進した時のものです。

 

 島井宗室屋敷跡

 公道(歩道上にあります) 所在地:福岡市博多区中呉服町5-8

 

 島井宗室の墓がある崇福寺山門

崇福寺は福岡藩黒田家菩提寺でもあります。

 

 島井宗室の墓

400年以上前に没した人物の墓が現存しているというだけでも凄い事です。