学生に贈る社会人100人の言葉 NO.17
大学時代。
バイトやドラムが縁で知り合った先生、バンドの仲間。
より多くの人に上質な音楽を届けたいと始めた、音楽配信やイベント開催のReal Music Café。そこで、出逢った人。
それらは、確かに僕に新しい経験や価値観、人脈をもたらしてくれた。
けれど、僕を形作っているのは
実は、もっともっと前。そう、幼少期の頃なんだと、最近よく感じる。
北海道の人口700人程の村で、男3人兄弟の真ん中として生まれ育った。
スーパーに行くのに車で1時間。高校だってバスにゆられ片道2時間。
周りは、圧倒されるほどの木、木、木!
鹿だって、熊だっている。
だから、大自然の中で駆け回ったり、泥だらけになって遊んだり…っていうことはなかった。汚れるのが嫌いだったから(笑)
そのかわり、遊びをつくりだすことが好きだった。
親が見ると「あの子たちは何をして遊んでいるの?」という遊びしかしていませんでしたが、、、
ただ待っていても、おもしろいことなんて起こらない。
自分で考え、アクションを起こす。そして、日常を変化あるものにしていく。
それは、僕の想像力と行動力を養ってくれた。
経営者の父親は、家の中でも絶対的だった。
無邪気すぎる兄とマイペースな弟の間で、僕はいつも父の心を読み取ろうとしていた。
父が笑うように、機嫌を損ねないように、皆が楽しいように…「今何をすべきか」
幼いなりに精一杯、観察と分析をしていたのだと思う。
だから、新卒で入社した経営コンサルティングの会社では、厳しいことで有名だったけれど、経営者と話すことや社内での立ち居振る舞いなど、1年目から苦労することはなかった。
「何を求められているか、すべきか」を察知することが、身体にしみついていたから。
岡山で3年、そして東京で2年。
社内ではいわゆる出世コースを歩んでいた。
業績も残していたし、部長代理としての仕事も任せてもらっていた。
けれど自分の中で、絶対に解決できない課題が生まれる。
「実際にやったことがない」
「理論での解決策は知っているが、自分自身で解決をしたことがない」
コンサルタントには絶対に越えられない壁である。
一度きりの人生で、楽しく働くことがすごく大事だと思った。
そういうことは自分自身よりも、妻の方が敏感だった。
「お金もいっぱいもらっているし、役職もすごいと思うけど、しょうちゃん本当に楽しいの?」
ものすごく刺さった。
自分自身もこの会社が大好きで、お客様も大好きだったから。
でも、やっぱり幼いころ見ていた父親の必死さとか、大変だけどうれしそうな顔とか、そういう『泥にまみれる』みたいな状態に身を置くことが、自分らしいとい感じた。
だから、できるだけ『泥にまみれる』会社を探し、今の会社に出会った。
とにかくなんでもありなのあベンチャーだと思っていたが、ベンチャーだろうが大企業だろうが、一番大切なことは「誠実さ」そして、「嘘をつかないこと」。
だからこそ今いる会社では、ITベンチャー企業の中でも「誠実で嘘をつかない会社」を社長と社員と一緒に創っていきたい。
______________________________
■美田 翔二郎 (みた しょうじろう)
北海道生まれ。
大学卒業後、教育・人材開発をメインとした経営コンサルティング会社へ入社。
入社とともに岡山へ配属され、1年目より営業所の売上レコードを塗りかえる。
また、世界的企業のH社から会社史上初めて仕事を受注するなど、地方営業所でありながら、大都市圏の営業所に負けない業績を残し続けた。
4年目で東京へ異動となり、部長代理を務める。
月アベ1000万の目標を達成し続け、東京営業所の立て直しにも貢献。
しかしコンサルタントではなく、自分自身で「実務」をやってみたいという想いがあり、2010年9月に転職し、現在に至る。