信長の野望 創造PK プレイ日記その11(その他の大名家戦国伝) | KMのゲームブログ

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PS3版の信長の野望 創造PKのプレイ日記、第11回目です。
今回はトロフィー獲得とは関係ありませんが、その他の大名家で発生する武将録を回収していきたいと思います。

戦国伝のプレイ日記では断りがない限り、難易度初級、寿命なし、討死なし、架空姫あり、姫武将モードありで固定。
なお、戦国伝の達成・失敗条件と期限は、L2ボタンで表示される情報一覧の「戦国伝」から確認可能。

※PC版や無印とは達成条件などが異なる可能性もあるので注意。
※発生時期については、続き物の戦国伝の場合も多いので参考までに。史実年に近いシナリオで開始するのが手っ取り早いです。
※期限については、発生したときから○○年となっているものもあるようなので、記載している情報とは異なる可能性もあります。


どの大名家から始めても良いのですが、攻略wikiに載っている順に回収していきます。
従って、回収する順番は今川家→三好家→南部家→浦上家→佐竹家→浅井家→石田家→最上家→黒田家という感じ。
※固有の政策がある大名家をプレイする事が多いので、「全政策実施」のトロフィー獲得のために、ついでに固有政策を実施(一ヶ月だけでOK)しておくと効率が良いです。

まずは今川家。シナリオ「家督相続」で開始します。

○今川家戦国伝
・「甲相駿三国同盟」(武将録)
発生1551年4月(シナリオ「家督相続」開始直後)     期限なし
達成条件1、武田家の信用を100にする。
達成条件2、北条家の信用を100にする。

武田家や北条家でも発生する三国同盟のイベントを今川家視点で見るというお話。三国同盟の仕掛け人は今川家の軍師・太原雪斎であるとされていることもあって、他の勢力では見ることのできない会話も挿入されます。
やることといえば、順番にお金を貢いで信用を上げるだけ。
戦国伝の回収だけが目的であれば、内政も丸ごと委任しておいて大丈夫。


次は三好家。シナリオ「桶狭間の戦い」で開始。

○三好家戦国伝
・「鬼十河の死」(武将録)
発生1560年4月(シナリオ「桶狭間の戦い」開始直後)     期限1561年4月
達成条件1、一年間三好家の体制を維持する。

三好家の勢力拡大を支えてきた松永久秀の暗躍と、三好家の衰退を描くお話。発端となる三好家の軍事面の中核を担っていた、「鬼十河」こと十河一存が死亡するところからの戦国伝となります。
達成条件1の、「一年間体制を維持」というのは、失敗条件となっている5つの項目を満たさないようにすればOK。早い話が1年間何もしなければ勝手に達成できます。


・「義興の死」(武将録)
発生1562年4月(「鬼十河の死」達成から1年後?)      期限1563年4月
達成条件1、一年間三好家の体制を維持する。

三好長慶の親族が次々と死亡していき、政務への意欲を失った長慶がついに心労から隠居してしまうお話。謀殺めいた不審な死もあって、その中の幾つかには松永久秀の関与も指摘されていますが、真相は現代でも闇の中。
これも一年間放置すれば自然と達成できます。
三好長慶は隠居し(ゲーム上は死亡扱い)、松永久秀が三好家の領地を引き継いだ状態で大名となります。
ただし、三好家の優秀な武将たちが強制的に退場してしまうので必然的に難易度は高くなります。


次は南部家の戦国伝。シナリオ「信長包囲網」で開始します。

○南部家戦国伝
・「大浦為信の乱」(武将録)
発生1571年5月(「シナリオ「信長包囲網」開始後、1571年1月以降?)    期限1576年5月
達成条件1、五年以内に大浦為信を討伐する。

南部領からの独立を狙う津軽為信の反乱を描くお話。南部晴政とその跡取りとして養子に入っていた信直ですが、後に晴政に実子が生まれたことで関係が急激に悪化。大浦為信の反乱はまさにそうした時期に起こりました。
史実では津軽為信の討伐には失敗(晴政は討伐に乗り気では無かったようです)していることもあって、続きのイベントを見たい場合はこの武将録を失敗させる必要があります。
成功させた場合、武将録は達成できますが続きのイベントは発生しなくなります。
戦国伝失敗後に発生する続きのイベントは晴政の死を機に、隠棲していた南部信直が帰還するという内容。1582年1月に発生します(寿命なしでも発生確認)。
両方の展開を見たい場合は、この戦国伝が発生した段階でセーブしておくと良いです。


次は浦上家の戦国伝を回収していきます。シナリオ「家督相続」で開始。

○浦上家(宇喜多家)戦国伝
・「復讐の狼煙」(武将録)
発生1551年4月(シナリオ「家督相続」開始直後)      期限1554年7月
達成条件1、中山信正と島村盛実を同時に追放する。

浦上家の戦国伝になっていますが、実際は宇喜多直家が権謀術数を駆使して大名になるまでのお話。
松永久秀、斎藤道三と並ぶ梟雄という評価を得ている一方で、毛利元就、尼子経久と共に中国地方の三大謀将という評価もされています。
達成条件に関しては、二人を別々のタイミングで追放すると失敗となるので注意。
これは、城に呼び出された二人が直家によって殺害されたという出来事を表しているようです。


・「狙撃」(武将録)
発生1551年4月(「復讐の狼煙」達成直後)     期限なし
達成条件1、宇喜多直家が三村家親と交戦する。
達成条件2、備中高松城を支配下に置く。

当時としては珍しかった鉄砲による暗殺を描くお話。標的は猛将として知られていた備中国の三村家親。
戦国伝が発生すると、三村家親隊が備前に向かって進軍を開始します。
宇喜多直家は岡山城にいるので、そのまま他の城からも援軍を出して備中高松城を落とせばOK。
備中高松城は耐久が高い城なので、強攻で耐久を削らないと落とすのは難しいです。
武将数が不足しがちなので、ついでに三村家を滅ぼしたいところですが備中松山城もかなりの堅城です。
それなりに被害が出るので、三村家征伐は後回しでも良いかも。


・「下剋上」(武将録)
発生1551年7月(「狙撃」達成直後)     期限1558年7月。
達成条件1、赤松家を滅亡させる。
達成条件2、宇喜多直家を追放せず浦上家に残す。

宇喜多直家が主君・浦上宗景を追放し、下剋上を成し遂げるお話。
シナリオ「家督相続」でのスタートの場合、開始数ヶ月で「下剋上」を発生させることができます。
備前、備中、美作に跨る領土を有する浦上家(宇喜多家)であれば、赤松家を滅ぼすのは難しくありません。他の大名家の動きが活発化する前に、領国内の兵を総動員してでも滅亡させてしまいたいところ。
達成条件2の「宇喜多直家を追放せず~~」というのは、赤松家を滅亡させてから1ヶ月後に達成できるようす。
直家を赤松家討伐に出陣させていれば、遠征先の播磨から帰城した辺りのタイミングで発生すると思います。
この戦国伝を達成すると、浦上家の領地を引き継いだ状態で宇喜多直家が大名となります。


次は佐竹家の戦国伝を回収。シナリオ「夢幻の如く」で開始します。

○佐竹家戦国伝
・「蘆名家乗っ取り」(武将録)
発生1583年1月(シナリオ「夢幻の如く」開始から12ヶ月後)     期限1584年10月
達成条件1、蘆名家の信用を100にする。

当主が急逝した蘆名家に佐竹義広を養子として送り、蘆名家を佐竹の傀儡にするというお話。
佐竹家と伊達家のどちらから当主(≒養子)を迎えるかという点で蘆名家中は意見が分かれましたが、長年親交の深かった佐竹家が選ばれることになしました。
信用を100にするというのは、その辺りの絡みだと思われます。
蘆名家の外交姿勢は、戦国伝開始後も敵視→普通程度までしか変化しないので贈り物外交で外交姿勢「信頼」を維持するのが上策。
十等級の家宝でも2~3ヶ月は効果が持続するので、2~3個プレゼントしている間に信用を100まで上げられると思います。
なお、戦国伝開始前から蘆名家の信用を高めておけば少し早く達成できます(外交姿勢「敵視」なので贈り物が必須級)。
史実ではこの後、佐竹・蘆名連合軍と伊達軍が摺上原で決戦、伊達軍の圧勝に終わりました。
多数の戦死者を出したため逃亡者が続出、継戦が困難となったため蘆名義広は実家の佐竹家に逃走し、
戦国大名としての蘆名家は滅亡しました。


次は浅井家の戦国伝を回収していきます。シナリオ「桶狭間の戦い」で開始。

○浅井家戦国伝
・「野良田の戦い」(武将録)
発生1560年7月(シナリオ「桶狭間の戦い」開始から3ヶ月後)     期限1560年10月
達成条件1、浅井久政が隠居して長政が後を継ぐ。
達成条件2、浅井長政が六角義賢と交戦する。

それまで臣従していた六角家から独立の姿勢を取った新当主・浅井長政。六角家と野良田の地で会戦、勝利をおさめ独立を勝ち取るお話。
敗戦後の六角家は家中の和が乱れ、後に上洛を目指す織田信長に敗れて衰退・滅亡することとなります。
やることはシンプル。隠居して長政隊で六角義賢隊を迎撃するだけ。
交戦と同時にイベントが発生して六角隊は消滅、戦国伝達成となります。


次はPKで追加された石田家の戦国伝。シナリオ「関ヶ原の戦い」で開始します。

○石田家戦国伝
・「関ヶ原の戦い」(武将録)
発生1600年6月(シナリオ「関ヶ原の戦い」開始直後)      期限なし
達成条件1、伏見城を落城させる。
達成条件2、石田三成と島左近が大垣城で機を待つ。
達成条件3、関ヶ原の決戦に臨む       →イベント会戦を行うと達成。
達成条件4、東軍を4部隊撃破する(イベント会戦中)。
達成条件5、徳川家康を撃破する(イベント会戦中)。

天下分け目の大戦、関ヶ原の合戦を石田三成視点で描くお話。
最終的には石田家属する西軍が勝利するという展開になるので、後半部分はIF要素。
イベント会戦で歴史をひっくり返すということでもあり、戦国伝の達成は結構な高難易度となっています。
達成条件1の伏見城制圧は、他の大名家の戦国伝と違い包囲しただけでは達成となりません。自力で落城させる必要があるので、強攻するのが手っ取り早いです。
なお、「期限なし」とは表示されていますが、失敗条件の一つに「1600年10月22日になる」があるので注意。
達成条件2の二人の武将が「大垣城で機を待つ」というのは、武将の配属で大垣城に二人を移動させればOK。二人がいる佐和山城から出陣して大垣城で待機するという意味ではありません(入城させれば良いですが、佐和山の兵が減るので勿体ないです)。
石田三成と島左近が大垣城に入城すると、イベント会戦「関ヶ原の戦い」が発生。
徳川家康を撃破すると、戦国伝「関ヶ原の戦い」達成となります。
途中で会戦を中断しても失敗となるので注意。
達成後は、石田家に大谷家が吸収されます(越前・金ヶ崎城が石田家領になる)。
また小早川家、毛利家、島津家、長宗我部家、豊臣家が西軍に残り、東軍連合から一部の大名家が脱退・または西軍に鞍替えします。

※イベント会戦「関ヶ原の戦い」西軍の流れ。
※以下は、味方の主力を敗走させずに達成する必要があるので注意。味方主力が敗走した時点で小早川秀秋隊が敵に寝返るイベントが発生し、「4部隊撃破」の条件達成も失敗。イベント合戦自体は続きますが、勝利するのは絶望的となります。総大将の石田三成隊が潰走しても失敗となります。

・敵を1部隊撃破で、右翼に布陣している吉川広家が動かないというイベント挿入。
・敵を2部隊撃破で、マップ左側中央あたり(石田隊の近く)に島津義弘隊1500人が味方として参戦。
・敵を3部隊撃破で、マップ右下隅に長宗我部盛親隊が味方として参戦。進路を塞いでいた吉川隊を蹴散らしてきたとのこと。
・敵を4部隊撃破で、マップ左下(脇坂隊の初期位置近く)に小早川秀秋隊が味方として参戦。
・目標が「徳川家康の撃破」に変更。これ以降は味方部隊が敗走しても問題なし。

「難易度 初級」であれば敵が戦法をあまり発動させないので、勝利するのはそれほど難しくありません。
被ダメージも少ないので何度か挑戦すれば勝てるはず。
「難易度上級」は敵の戦法発動タイミングや部隊の動きが洗練されているので、家康は撃破不可能かと思われるほどの高難易度となっています。

基本的には兵力の多い宇喜多秀家と、防御力を上げる戦法を持っている大谷吉継を軸に戦うのが良さそう。
石田三成も防御力を上げる戦法を持っていますが、総大将ということで部隊壊滅=会戦敗北になるので盾役にはしない方が良いです。
序盤は宇喜多・大谷隊で福島隊を足止めしつつ、他の手が空いた部隊で側面から攻撃という感じ。
複数の敵に囲まれるとどうにもならないので、前進と後退を繰り返しつつ丁寧に戦っていくのが重要。
家康隊だけになったら全軍で包囲しつつ射撃。止めを刺せる段階まで乱戦を仕掛けない方が良いかも。
家康隊には副将に本多忠勝がいるので戦法の「蜻蛉切」を発動されると、3倍以上の兵力差があっても簡単にひっくり返されます。

「難易度上級」ではまだ家康を撃破できていないので、クリアできたら改めて別の記事で紹介するかも。


次は最上家の戦国伝を回収します。シナリオ「関ヶ原の戦い」で開始。

○最上家戦国伝
・「慶長出羽合戦」(武将録)
発生1600年7月(シナリオ「関ヶ原の戦い」開始時)     期限なし
達成条件1、志村光安が城主として長谷堂城を守る。
達成条件1、鮭延秀綱が長谷堂城を守る。
達成条件1、長谷堂城を守り抜く。
達成条件2、最上義光が長谷堂城に後詰する。

最上家の視点でみる「長谷堂城の戦い」。
攻め寄せてくる上杉家は兵士数が多いので、敵が攻めてくる前に諸勢力を懐柔して支持率を70%以上にしておきます。
石田三成挙兵後は連合が結成されるので、伊達家に工作をすることで1ヶ月後には援軍を頼めるようになります。どうしても厳しいようなら伊達家にも援軍を頼むと良いでしょう。
あとは各城から後詰めを出して、国人衆パワーで敵を攻撃するだけ。
長谷堂城の西側には上杉領への抜け道があるので、2隊ほど回り込ませて上杉軍の背後から攻撃させると良いでしょう。
上杉軍本隊を殲滅しても戦国伝自体は達成できますが、ムービー「長谷堂撤退戦」が発生しなくなります。
雰囲気重視でムービーを見た状態で達成したいという人は、後詰め部隊を撤退させるなどして加減する必要があります。敵部隊が壊滅しても駄目ですし、長谷堂城が落城してもいけません。
敵兵が4000人を切った辺りのタイミングで、一度後詰めを撤退させると丁度良い塩梅だと思います。
関ヶ原での決着が付いたあとにイベントが発生するので、あとは最上義光隊で後詰めしてやればムービー発生後に戦国伝達成となります。


最後に黒田家の戦国伝を回収します。シナリオは「関ヶ原の戦い」で開始。

○黒田家戦国伝
・「如水の真意」(武将録)
発生1600年7月(シナリオ「関ヶ原の戦い」開始から1ヶ月後)     期限なし
達成条件1、杵築城を守り抜く。
達成条件1、大友義統を撃破する。
達成条件2、府内館を支配下に置く。
達成条件2、臼杵城を支配下に置く。
達成条件2、小倉城を支配下に置く。

関ヶ原から遠く離れた九州の地で挙兵した黒田如水を描くお話。
昨年の大河ドラマ「軍師 官兵衛」の絡みもあると思います。
史実では、関ヶ原の開戦を早舟でいち早く知り、城に蓄えていた財を用いて即席で1万人近い軍隊を組織し、故郷・豊後で再起を図る大友軍と合戦して勝利。
嫡子・長政の活躍もあってわずか1日で決着した関ヶ原でしたが、家康に「領地切り取り次第」を申入れ、その後も各地を転戦。
九州最後の西軍勢力であった島津家討伐に向かう途上、島津・徳川間の和睦が成立。
家康からの停戦命令によって九州の関ヶ原は終結となり、九州統一は成りませんでした。

信長の野望の前々作「革新」にも「九州席巻」という似たようなイベントシナリオがありましたが、あそこまでの鬼畜難易度ではないです。

開始直後に国人衆の懐柔。最低限、敵方(毛利家)には味方しないようにしておきます。
城井谷城の方が兵士が多いので、黒田如水と宮本武蔵を移動させておきます。
戦国伝開始後は、細川家の飛び地領となっている豊後国杵築城を護衛します。
中津城の部隊は帰還させ、肥前の鍋島家に小倉城攻略の援軍要請。鍋島軍と中津城の兵で小倉を落とします。
この辺りのタイミングで、関ヶ原の決着がついている頃。長政からの手紙イベントが発生します。
城井谷城の黒田如水隊は杵築城から南下して府内館を攻略させます。予め肥後の加藤家に府内攻略の援軍要請を出しておくと良いです。
あとは支配下の城の全軍で臼杵城を攻略するだけ。3つの城を制圧すると戦国伝達成となりますが、特に会話イベントなどは発生しない様子。

これで、全ての大名家で発生する武将録は達成できました。
次回は残るトロフィーを獲得していきたいと思います。


※追記
3月30日に配信されたVer.1.08のアップデートで尼子家の戦国伝が追加されました。

○尼子家戦国伝
発生する大名録は4つ。武将録はありません。
発生順は、「石見銀山攻略戦」→「京への道」→「吉田郡山城の戦い」→「月山富田城の戦い」。
謀聖と謳われた尼子経久の鬼謀と、その後を継いだ嫡孫の詮久(あきひさ・後の晴久)を中心に描く物語となっています。


・「石見銀山攻略戦」(大名録)
発生1534年6月(シナリオ「信長誕生」開始直後)   期限1537年6月
達成条件1、山吹城を支配下に置く。
達成条件2、尼子詮久に家督を譲る。

長きに渡る大内家との戦いを有利にすべく、彼らの資金源となっていた石見銀山の奪取を狙うところから始まります。
史実で山吹城を支配下に置き、詮久に家督を譲ったのが1537年~1538年頃なので、期限設定はその兼ね合いと思われます。
難易度「初級」であれば敵増援もないので、月山富田城と比熊山城の2部隊で強攻すれば簡単に攻略できます。
達成すると、大内家、毛利家とそれぞれ3年間の停戦状態になります。


・「京への道」(大名録)
発生1534年10月(「石見銀山攻略戦」達成直後)    期限1540年12月
達成条件1、姫路城を支配下に置く。
達成条件1、室津城を支配下に置く。
達成条件2、三木城を包囲する。

家督を継いだ詮久が、上洛を名分に周囲の国人衆に向けて武威行動を開始するお話。この遠征は大内家と大友家が和睦するまで続きました。
史実では因幡国を平定後に播磨国へ進軍しますが、攻略ルートはプレイヤーの任意。
美作の三浦家・備前の浦上家を攻略して播磨へ向かってもOKです。
山名家は因幡・伯耆・但馬の三ヶ国を有している難敵。鳥取城をはじめとした堅城を幾つも落とす必要があるので、美作~備前経由で播磨を攻める方が楽かも(人材確保的な意味も含めて)。
なお、備中の三村家は尼子家に従属しているので、備前攻略時に援軍要請することで攻略が楽になります。
天下統一までを目指すのであれば、毛利家と大内家との3年間の停戦協定が生きているうちに、石見や備後の兵で東方面の勢力を滅ぼしておくのが良いかも。


・「吉田郡山城の戦い」(大名録)
発生1536年10月(「京への道」達成直後)    期限1541年5月
達成条件1、尼子晴久が吉田郡山城を包囲する。
達成条件1、尼子久幸が吉田郡山城を包囲する。

詮久の毛利家征伐を描くお話。
遠征の失敗を予期していた経久は、それすらも謀として利用しようという描写がありますが、経久の死亡時期との兼ね合いからこのエピソードの真偽は不明。
大名録開始時に山吹城と佐東銀山城が大内領に変わり、別所家とは3年間の停戦協定が結ばれます。
毛利軍は迎撃してこないようなので出陣する兵数は最少でOK。
条件達成後、尼子軍は壊滅し、尼子久幸は殿(しんがり)として追手を阻んで討死します。
史実では多数の国人勢力が相次いで尼子家から離反しますが、ゲーム上は更に領地が減るということはありません。


・「月山富田城の戦い」(大名録)
発生1537年2月(「吉田郡山城の戦い」達成後)    期限1542年5月
達成条件1、吉川家の信用を80にする。
達成条件2、大内軍が月山富田城を包囲する。

吉田郡山城の戦い後、安芸や石見の国人衆の要請に応えて尼子家討伐を決めた大内家。
4万を超える大軍で攻め寄せる大内軍と、1万5000人の兵と共に月山富田城に籠城する尼子軍の攻防を描くお話。
大名録では経久が生存している風な描かれ方をしていますが、史実では大内軍の出陣前に死亡しています。
吉川家の信用を高めるまでに、大内家や毛利家から攻められる可能性があるので注意。
戦国伝とは無関係の防衛戦を強いられるのが嫌であれば、前もって吉川家の信用を高めておく方が良いかも。
吉川家の信用を80まで高めると、イベント後に大内軍・総勢4万1000人が出陣。
そのまま月山富田城を包囲させればイベントが発生して戦国伝達成となります。
なお、戦国伝達成後に撤退している毛利元就隊を殲滅すると尼子経久の死亡イベントが発生します(追撃せずに撤退させた場合にどうなるかは未確認)。

年代が古いシナリオということで人材不足が深刻です。浦上家、赤松家、山名家のうち最低2つは滅亡させて家臣団を吸収しておきたいところ。


なお、1年4ヶ月にも及ぶ月山富田城包囲戦の後、敗走中に嫡子を失った大内義隆は政務への意欲も失い、やがて陶隆房の謀反を招くことになりました。
一方で、尼子詮久は将軍・足利義晴から偏諱を受けて尼子晴久と改名し国人衆への影響力を強めつつ、横暴が目立つ一門の新宮党一派を粛清するなどして中央集権化を図りました。1560年に急死するまで尼子家最大の版図を築きました。



※イベント番号357~364までが尼子家の戦国伝で見ることができるイベント。
357「謀聖」
358「播磨攻略」
359「吉田郡山城の戦い」
360「臆病野洲」
361「最後の謀」
362「元就の疑念」
363「謀聖の遺言」
364「謀の神となれ」


※※追記2
同じくVer.1.08のアップデートによって「天王山」シナリオの明智家にも戦国伝&イベント合戦が発生するようになりました。
○明智家戦国伝
・「山崎の戦い」(大名録)

・「山崎の戦い」(大名録)
発生1582年6月(シナリオ「天王山」開始直後)    期限なし
達成条件1、3ヶ月以内に細川家の信用を40にする。
達成条件1、3ヶ月以内に筒井家の信用を40にする。
達成条件2、山崎の戦いに臨む(イベント合戦に移行すると達成)。
達成条件3、明智光秀が天王山へ向かう(イベント合戦中)。
達成条件4、羽柴秀吉を撃破する(イベント合戦中)。

明智家側の視点で描く「山崎の戦い」。
開始時における数値上の国力は羽柴家と大差ありませんが、人材面の差は歴然。
城の数も羽柴家の方が多いこともあって、時間が経つと国力差でも追いつけなくなります。

今作の「本能寺の変」はイベント発生後に羽柴家操作で固定なので、この戦国伝をプレイするためにはDLCシナリオ「天王山」の明智家で開始する必要があるようです。
史実では本能寺の変後の細川家と筒井家の戦後交渉&調略に失敗した明智光秀ですが、この戦国伝ではそのIFに挑戦する事が出来ます。
なお、イベント合戦の「山崎の戦い」は1582年9月1~3日頃に行われるようで、それまでに信用を40に上げられなかった大名家は援軍イベントが発生しない模様(戦国伝失敗にはならない)。
ここでイベント会戦を拒否すると戦国伝が失敗となるので注意。
→筒井家と細川家の両方から援軍が欲しい場合は、政策「伝馬制」を採用した状態で光秀と天海の担当勢力を3ヶ月目に入れ替えればOK。
片方だけも援軍があれば難易度「初級」であれば十分勝機はありますが、難易度「上級」では両家からの援軍がないと勝利するのは困難と思われます。

戦闘自体は、味方の援軍が期待できる状態であれば、秀吉本隊への「中入り」による奇襲を決行するよりは道中の敵を撃破しながら進む方が安定します。

○イベント合戦開始時点の兵力
明智軍:明智光秀隊7000人、斎藤利三隊2500人、一色満信隊2000人、阿閉貞征隊1500人、溝尾重朝隊1500人、津田重久隊2000人の総勢1万6500人。
細川家と筒井家から1万人+1万人の増援があります。

羽柴軍:羽柴秀吉隊1万3000人、堀秀政隊3000人、黒田官兵衛隊1500人、羽柴秀長隊1500人、
岐阜織田軍:織田信孝隊7000人。
池田軍:中川清秀隊2000人、高山右近隊2000人。
連合軍の総勢は3万人で、5000人の増援があります。

○発生するイベントなど。細川家と筒井家の援軍イベントは期間内に信用を40まで上げられていた場合のみ。
・光秀隊が天王山(マップ中央の山)に到達すると黒田官兵衛隊と遭遇するイベント。
・光秀隊が黒田官兵衛隊と交戦すると筒井家の洞ヶ峠イベント。
・しばらくすると羽柴軍の増援として池田恒興隊5000人がマップ南西に着陣。
・しばらくすると(敵か味方部隊の敗走?)筒井順慶がどちらに味方するかを迷ってるイベント。
・同じタイミングで味方援軍として細川忠興隊1万人がマップ南に着陣。
・明智光秀隊と羽柴秀吉隊が交戦すると(明智方が優勢になるのが条件かも?)イベント。味方援軍として筒井順慶隊1万人がマップ南東に着陣。
・羽柴秀吉隊を撃破すれば勝利。

○戦闘後の対外関係など
筒井家と細川家→明智家への臣従を打診。
鈴木家と長宗我部家→明智家と60ヶ月間の同盟を打診。
その他、毛利家、徳川家、宇喜多家の明智家に対する外交姿勢が「関心」や「畏怖」に変化します。

「山崎の戦い」勝利後は、明智家と羽柴家の単独での兵力がほぼ互角となりますが、武将の数や質では羽柴家が勝ります。
そのまま継続してプレイする場合は、味方になった諸大名と連携して短期決戦を狙いたい所。

史実で細川家と筒井家が参戦しなかった状態を、「3ヶ月以内に信用40」という無理気味な達成条件で表現していた点は興味深かったです。
イベント合戦はどちらか一方の援軍があれば十分勝利できるので、あまり神経質にならなくても良いかも。