信長の野望 創造PK プレイ日記その10(島津家・長宗我部家戦国伝) | KMのゲームブログ

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PS3版の信長の野望 創造PKのプレイ日記、第10回目です。
今回は、島津家と長宗我部家の戦国伝を回収していきます。

戦国伝のプレイ日記では断りがない限り、難易度初級、寿命なし、討死なし、架空姫あり、姫武将モードありで固定。
なお、戦国伝の達成・失敗条件と期限は、L2ボタンで表示される情報一覧の「戦国伝」から確認可能。

※PC版や無印とは達成条件などが異なる可能性もあるので注意。
※発生時期については、続き物の戦国伝の場合も多いので参考までに。史実年に近いシナリオで開始するのが手っ取り早いです。
※期限については、発生したときから○○年となっているものもあるようなので、記載している情報とは異なる可能性もあります。


島津家で発生する戦国伝のうち、大名録は6つ。武将録はありません。
大名録の発生する順は、「三州統一戦」→「高城川の戦い」→「沖田畷の戦い」→「九州統一」→「戸次川の戦い」→「島津の退き口」という流れ。

まずはシナリオ「信長包囲網」で開始します。

・「三州統一戦」(大名録)
発生1570年5月(シナリオ「信長包囲網」開始直後)     期限1575年6月
達成条件1、島津義弘が伊東義祐を迎撃する。
達成条件2、佐土原城を支配下に置く。
達成条件2、肝付城を支配下に置く。

薩摩の島津家が日向と大隅を制圧する戦いを描くお話。
評定を終えて時間を進めると、伊東義祐隊4000人が加久藤城に向かって進軍してきます。
島津義弘は加久藤城にいるので包囲される前に義弘を出撃させておけばOK。
伊東義祐隊と交戦すると、イベントが発生して自動的に勝利となります。
大隅・肝付城と日向・佐土原城はどちらから攻略しても良いですが、まずは進軍しやすい大隅から平定すると良いでしょう。
開始直後の島津家は武将数がギリギリなので、支城攻略も同時に行って肝付家の家臣団ごと吸収してしまいたいところ。
伊東家の籠る佐土原城は、先のイベント敗戦の影響で兵士数こそ少ないですが、耐久が7000もあります。
包囲で落とすのは困難なので、強攻で耐久を削ってから包囲して落とすのが無難。薩摩・大隅の兵を動員すると兵が余るので、支城も攻略しておくとスムーズ。
佐土原城と肝付城を落とした時点で「三州統一戦」は達成となりますが、次の大名録の発生は肝付家と伊東家を滅亡させた後になるようです。


・「高城川の戦い」(大名録)
発生1571年9月(「三州統一戦」達成後、肝付家・伊東家を滅亡させる?)     期限1579年9月
達成条件1、山田有信が高城を守る。
達成条件1、島津家久が城主として高城を守る。
達成条件2、島津義久が高城に後詰めする。
達成条件2、島津義弘が高城に後詰めする。
達成条件2、島津歳久が高城に後詰めする。

日向大隅を押さえて勢いに乗る島津四兄弟と、伊東家の日向旧領回復を名目に日向侵攻を推し進める大友宗麟との高城周辺での決戦を描くお話。別名・耳川の合戦。
大友軍3万~4万人は数ヶ月に渡る遠征軍だったため、高城を包囲した頃には疲労が隠せなくなっていたと言われています。
島津軍2万~3万との交戦で陣形が伸びきったところに東西から包囲・挟撃(いわゆる「釣り野伏」)された大友軍は総崩れとなり、耳川で3000人とも言われる死傷者を出す大敗を喫しました。
さて、大名録の達成ですが微妙に条件が分かり辛いです。
達成条件1の二人の将が「高城を守る」の達成タイミングは、防衛に成功した時点≒後詰めが到着してムービー「高城川の戦い」発生後となっているようです。
なお、この大名録発生後に高城に配置した島津家久と山田有信を別の拠点に移動させると、その時点で失敗となるので注意(迎撃のための出陣はOK)。
達成条件2の城の後詰め任務は、大友隊が高城を包囲した時点で開始される様子。
しかし、敵軍に包囲されると高城は簡単に落城/降伏してしまうので、予め後詰めをさせる3武将を佐土原城に呼んでおくと良いです。
大友軍が城に到達する直前に高城から家久で迎撃して時間を稼ぎつつ、佐土原から義久他3名の部隊を向かわせる感じです(兵数は最少でも可)。後詰め部隊と大友軍が交戦を始める少し前に家久隊を帰城させるのが簡単な方法でしょうか。


・「沖田畷の戦い」(大名録)
発生1572年3月(「高城川の戦い」達成後)    期限1580年3月。
達成条件1、人吉城を支配下に置く。
達成条件2、島津家久が沖田畷に布陣する。
達成条件3、島津家久が沖田畷で龍造寺軍を迎撃する。

龍造寺家を一代で九州三強の一角にまで押し上げた「肥前の熊」こと龍造寺隆信との決戦を描くイベント。
当初の龍造寺家の目的は、島津家に鞍替えした有馬家を討伐することでした。
島津家久は「畷」(なわて)と呼ばれる湿地帯に敵大軍を誘引し、身動きが取れなくなった敵を殲滅して、敵総大将の龍造寺隆信を討ち取るという大勝をおさめました。
この戦国伝開始時に、有馬家が従属の提案をしてくるので承諾しておきます(長篠シナリオでは従属済み)。
相良家の治める肥後国・人吉城を制圧し、人材不足解消のために滅亡させて家臣団を取り込みます。
兵数差が圧倒的なので、他の支城と同時進行で攻略していくのが手っ取り早いです。
肥前の有馬家を従属させている場合は、そのまま肥前・日之江城経由で家久隊を沖田畷に布陣させればOK。
あとは勝手に龍造寺隆信隊が進軍してくるので、沖田畷で待つだけ。家久隊と隆信隊が交戦するとムービー「沖田畷の戦い」が発生。龍造寺隆信は敗死し、大名録達成となります。


・「九州統一」(大名録)
発生1572年12月(「沖田畷の戦い」達成後)     期限なし
達成条件1、岩屋城を強攻で落城させる。
達成条件2、九州のすべての本城を支配下に置く。

前半部分が、立花道雪が亡くなった後の大友家を支えていた名将・高橋紹運との戦いを描くお話。
後半は、九州統一を成し遂げるというIF展開。史実では統一目前で豊臣秀吉の討伐軍に攻められたため、九州統一はできませんでした。
発生条件が「沖田畷」達成後ということぐらいしか分かりません。
攻略wikiによると、「立花道雪が死亡していること」という記載がありますが、立花道雪が死亡(史実では1585年)する10年以上前に戦国伝が始まっているので条件に確証が持てません。
(戦国伝発生後に全勢力の武将一覧を見ると、確かに「立花道雪」の名は消えていましたが、死亡したタイミングが曖昧)
大名録達成のためには、高橋紹運が籠る筑前国・岩屋城を「強攻」で落とす必要があります。
この戦国伝が発生する頃の岩屋城は、大友家の手によって改築されているので、かなりの耐久になっているはず。
敵の後詰めが来ることがあるのも厄介。軍団に丸投げすると、最終的には「包囲」で落とされてしまうというのもまた厄介。
本城からは数千人規模の兵士を動員しやすいので、編成している軍団を全て解体し、隈本城を本拠に設定。
北九州の城から出陣させた部隊を岩屋城周辺に集め、支城の部隊は敵後詰めが来ないように周辺の城を攻撃。本城の部隊複数で岩屋城に強攻を仕掛けるという展開が良さそうです。

岩屋城の方さえ達成してしまえば残りはすべて軍団に丸投げしておいて大丈夫。
時折、軍議のコマンドから侵攻「指示」を出してやれば攻略速度をそれほど落とさずに九州を統一できます。


シナリオ「信長包囲網」でのプレイはここで終了。
次は、「九州征伐」のシナリオで開始します。

・「戸次川の戦い」(大名録)
発生1586年11月(シナリオ「九州征伐」開始直後)      期限1588年11月
達成条件1、島津家久が豊後松尾に布陣する。
達成条件1、島津豊久が豊後松尾に布陣する。
達成条件2、島津家久隊が仙石権兵衛と交戦する。

豊臣秀吉による九州征伐の緒戦「戸次川の戦い」を描くお話。
結果は、豊臣方の長宗我部信親や十河存保が討死するなど、島津家の圧勝に終わっています。
島津家久と豊久は、二人とも日向国・佐土原城に居ます。
基本的には、二人を同じ部隊に入れて、要所・豊後松尾に進軍させれば終わりという内容ですが、大友軍は各城から迎撃部隊を出してくるので注意。
本拠を前線に移し、肥後国・隈本城や岩尾城から岡城に向けて足止め用の部隊を出しておく良いです。
家久・豊久親子の部隊が豊後松尾に布陣すると、府内館から仙石権兵衛率いる豊臣勢と大友勢が出陣してくるので、あとは交戦するまで待機しておけばOK。
家久隊と仙石隊が交戦するとムービー「戸次川の戦い」が発生、豊臣・大友連合軍は消滅して戦国伝は達成となります。
史実では、このあと豊臣秀長率いる征伐軍10万人、更に豊臣秀吉率いる本軍10万人が豊前に上陸して進軍を開始。最後まで圧倒的な兵力差を覆すことはできず、島津家は降伏することになりました。

今回の目的は戦国伝の回収なので、シナリオ「九州征伐」でのプレイはここで終了。
ゲーム上はこれ以上の戦国伝は発生しないため、自力で毛利や長宗我部家を併呑し、豊臣家に決戦を挑むという歴史のIFに挑戦することも可能です。


島津家最後の戦国伝を回収すべく、シナリオ「関ヶ原の戦い」で開始します。

・「島津の退き口」(大名録)
発生1600年6月(シナリオ「関ヶ原の戦い」開始直後)     期限なし
達成条件1、伏見城を包囲する。
達成条件2、島津義弘と島津豊久が小谷に布陣する。
達成条件2、島津軍が関ヶ原の戦いに参加しない。
達成条件3、島津軍が関ヶ原を駆け抜ける。
達成条件4、島津軍が大垣を駆け抜ける。
達成条件5、島津軍が伊勢関に到達する。
達成条件6、島津軍が堺に到達する。

関ヶ原の戦いで西軍の敗北が決定的となったころ、敵中を突破して退却するという「島津の退き口」を描くお話。
捨て奸(すてがまり)と呼ばれる、俗に言う「トカゲの尻尾切り戦法」を用いて、多大な犠牲を払いながらも総大将・義弘を薩摩へ退却させることに成功しました。
イベント会戦中に家康本陣を突破するという展開かと思いきや、関ヶ原近辺の全体マップを関ヶ原の戦場に見立てた特殊な方式となります。
島津軍は一切戦闘には参加しないので、達成条件が更新されるたびに指定された要所へと進軍していく形となります。
なお、達成条件2の「小谷に布陣」は、関ヶ原の開戦前に達成しておかないと失敗扱いとなるので注意。
時間の経過スピードを落として、すぐに割り込めるようにしておくのが安全。


これで島津軍の戦国伝は全て回収できました。
次は長宗我部家の戦国伝を回収していきます。
長宗我部家で発生する戦国伝は、大名録が2つ。武将録はありません。
大名録の発生する順番は、「土佐統一」→「四国統一」という流れ。
シナリオ「信長包囲網」で開始。

・「土佐統一」(大名録)
発生1570年6月(シナリオ「信長包囲網」開始直後)       期限1575年6月
達成条件1、中村御所を包囲する。
達成条件2、3ヶ月以内に一領具足を採用する。
達成条件3、長宗我部元親が一条兼定を迎撃する。

長宗我部元親が一条兼定を追放し、土佐を統一するお話。追放された兼定が再起をかけて長宗我部軍に決戦を挑んだ「四万十川の合戦」までが描かれます。
中村御所の途上には支城が一つありますが、敵はあまり抵抗しないので短期間で落城させることができます。
再起を図って挙兵した一条兼定は、4000人程の兵を率いて中村御所へ進軍してきます。
条件1の中村御所包囲を達成後、長宗我部元親隊をそのまま残しておけば、すぐに迎撃できるのでスムーズにイベントが進行します。
元親隊と一条軍が交戦すると、ムービー「四万十川の戦い」が発生。そのまま大名録達成となります。


・「四国統一」(大名録)
発生1570年11月(「土佐統一」達成直後)       期限なし
達成条件1、織田家の信用を100にする。
達成条件2、白地城を支配下に置く。
達成条件3、勝瑞城を支配下に置く。
達成条件3、十河城を支配下に置く。
達成条件3、湯築城を支配下に置く。

長宗我部元親が勢力を拡大し、四国統一の偉業を果たすというIF展開込みのお話。
達成条件1~2は、史実では1575年~1578年頃の出来事。織田家へ接近を図り、信長から「四国切り取り次第」という朱印状を得たとされています。
その後、信長が、元親に対して土佐と阿波半分の領土を保証する代わりに臣従するように迫った(四国領有を認めるのでは面白くないと見た様子)ことで両家の関係が悪化。両家の軍事衝突が避けられなくなったところで「本能寺の変」が起こり、織田軍による四国征伐は立ち消えとなりました。
本能寺の変の黒幕として長宗我部元親の名前が挙がるのは、この辺りの絡みもあるようです。

達成条件1の織田家の信用上げですが、シナリオ「信長包囲網」では信長の勢力が狭いため、そのままでは外交工作を行うことができません。
必然的に政策の「遠交近攻」を実施する事になるので、工作資金を捻出するために兵糧を売って遣り繰りする形になると思われます。
四国平定と言っても、攻略対象となっているのは本城だけです。
従って、戦国伝を達成するだけなら最短距離で本城とその途上にある支城だけを落としていけば、1~2年で達成できてしまいます。
着実に地力を付けながら勢力を広げたい場合は、伊予の西園寺家を滅ぼすのがオススメ。人材不足が多少解消されます。
残る本城攻略は好きな順で達成してOK。
三好家は既に全盛期を過ぎており、領地の割りには大したことがない勢力です。攻略するのはそれほど難しくありません。

これで長宗我部家の大名録も達成し、トロフィー「全大名録達成」を獲得できました。
次回は、トロフィー(プレイ記録)とは関係ありませんが、その他の大名家で発生する武将録を回収していきたいと思います。