前回読んだ木内一裕さんの「藁の楯」は、よく言えばスピード感のある短い文章、悪く言えばブツ切れの文章だったので、次は格調高い文章を味わいたく、藤沢作品を選択しました。

 

日残りて昏るるに未だ遠し――。 家督をゆずり、離れに起臥する隠居の身となった三屋清左衛門は、日録を記すことを自らに課した。 世間から隔てられた寂寥感、老いた身を襲う悔恨。 しかし、藩の執政府は紛糾の渦中にあったのである。 老いゆく日々の命のかがやきを、いぶし銀にも似た見事な筆で描く傑作長篇小説。 (文庫裏紹介文)

 

この本は、20年ほど前に読んでいて、その時には隠居生活というのがまだ遠いものだったのですが、今回は自分にもすぐそこに来ており、身近な物語として読めました。

 

藩の要職を引退し、隠居生活に入った主人公・三屋清左衛門。 さぞや開放感のある悠々自適の生活が送れると思っていました。 ところが、襲ってきたのは解放感ではなく、世間と隔絶されたという自閉的な感情だったのです。

 

妻は3年前に亡くなり、息子夫婦は近くに住んで気にかけてくれるものの、この空白感を埋めるために、日記を書いたり、剣の道場に通ったり、釣りをはじめたりします。

 

このような生活をするかたわら、昔の友人たちが持ち込んでくる相談事に対応。 腹切りの真相を調べたり、縁談の世話をしたり、剣術の試合の立会人を引き受けたり・・・・

 

それぞれの話を15話の連作短編のように積み上げて構成されています。 別々の話かと思っていると、途中から藩を2分する派閥争いの話が加わって大きなストーリーになっていきます。 このあたりの構成は巧いですね。

 

隠居生活に入り、世の中から隔絶したかのように見えて、友人関係のツテでしっかりと世の中と繋がり、第二の人生を生きていく。 素晴らしい、こうありたいと思いました。

 

上記のメインストーリーの中に、四季こもごもの美しい情景描写、季節を感じる料理の描写、そして世の中とかかわりつつも、ふと寂寥感が漂う主人公の心情。 藤沢さんの円熟の描写を味わいました。

 

この作品を執筆した時、藤沢周平さんは還暦を迎えていて、自分の人生と重ね合わせていたかもしれません。 主人公の最後のモノローグは、藤沢さん自身のメッセージなのだと思いました。

 

「衰えて死がおとずれるそのときは、おのれをそれまで生かしめたすべてのものに感謝をささげて生を終えればよい。 しかし、いよいよ死ぬるそのときまでは、人間はあたえられた命をいとおしみ、力を尽くして生き抜かねばならぬ」

 

名作です。 お勧め。