【回顧7】民謡を始めたキッカケ | 獏井獏山のブログ

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民謡を始めたキッカケ」

 民謡を唄い始めたのはハシモトミチコさんから声を掛けられたのがキッカケだった。

 私は成人になった時から酒を飲み始め1年も経たないうちに「一升酒呑み」になっていた。そして、それについて回ったのが広義での「歌」(音頭・甚句・民謡・詩吟・浪曲抜き読み・歌謡曲)だった。初めて唄ったのは村の青年会に入って間もない時に唄った「河内音頭」だった。以後、宴会と名の付くあらゆる酒席で、さざめきが一段落して歌が始まると真っ先に唄い、最後の締めも出しゃばって唄うのが当たり前のようになった。出し物は決まって鉄砲光三郎の「河内音頭」と京山幸枝若の「江州音頭・国定忠治」及び「相撲甚句」だった。「

 それから何年か後、ある年の花見の席で歌の時間に入って相変わらずトッパシに河内音頭を唄い終えて席に腰を下ろした時、隣の席に居たミチコさんに「イワシミズ会で皆と一緒に民謡をやりませんか」と声を掛けられたのである。イワシミズ会は市内の民謡愛好家が集って週一で開催している民謡同好会である。

「民謡?!」と聞いて一瞬 躊躇したが「一度、試しに雰囲気を味わうだけでも…どうですか?」と勧められて様子だけでも見てみようか、と思って出席を決めた。

 会では、出席者が円座になって端から順に民謡を披露することになっていた。私の場合、知っている民謡といえば、その頃テレビなどで耳にしてウロ覚えの「佐渡おけさ」だけだった。順番が回ってきて仕方なく唄ったが、殆ど声が出ていなかったように記憶する。

 その後、民謡同好会にも慣れてくると面白さを感じ始めた。何かに興味を抱くとそのことにバカ集中するのが自分の悪い癖である。こうなったらトコトン民謡を覚えてやろうと思った。

 そして今から約10年前から5年前までの約5年間に120曲の民謡を覚え、その中の約80曲は3番まで暗記した。 一度集中して、というより気合を入れて覚えた事は忘れないものだ。覚えた80曲の民謡は5年振りに唄っても空で唄える。…これぞ将に「阿呆の憑き纏われ」の典型に違いない。                                                                                            …現在も、毎週開催されるハシモトミンヨウドウコウ会で、三味線の名手御三人と太鼓の名手御三人の伴奏で唄わせて貰っている。