第6章 創作・随筆(第5節…創作「病院(仮題)」連載③) | 獏井獏山のブログ

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手記「病院パラダイス」 山本正一 

 

(一)

「ワタシはね、療養に来とるんだよ、療養にね。」と云う言葉が屡々彼等の口に上る。しかし彼等は決して療養に来ているのではない、と私は断定するに苦しまないのである。直言すれば事実、彼等は療養しに来ているのではなくて、女の尻を負い回すために入院しているのである。もちろん当初、彼等は女を目的で入院してきたとは云えないが、それを自覚するしないに拘わらず彼等はやがて、そういう動物になり切っていた事に気付くだろう。

現に私と枕を並べている中隈君などは最初から女を目的に入院してきた様な男である。それは多分、私の誤解だろうと思う。確かに彼は療養に来たのであり、当初は女なんかを点で問題にしなかったのである。しかし入院して退屈を感じ出すや、彼の本性はジッとこれに堪え得なかった。彼の場合、女を目的に入って来たとは云えないまでも、入ってみて初めて助平根性が芽を出したというのが本当だろう。こういう見方こそ合理的であり、衆目の一致するところなのだ。

 

「609号体制」下にあるメンバーはこの中隈君の他に、先に述べた林田氏。これは差し詰め委員長と云ったところか。もっと分り易く列記しよう。

 

「林田氏 当年43歳。妻帯。子女2名。」

入院理由は「結核療養のため」とある。が、委員長であれば常時、ベッドに居る訳にもいかぬ。では配下の者共の為に動いているのかというと、そうではない。己が恋する女との情事に日夜これ忙しく、戴いた愛称も人呼んで「不良オトッツァン」という。恋人はスベ子さんと云い、当年採って24才の美女である。

 

「三村さん 当年27歳。妻帯。未だ子女に恵まれず。」

日を置かずして会いに来る愛妻との愛の語らいは、しばしば同室者を妬かすほど。一見、温和しく上記のように愛妻家の如くである。が、知るものぞ知る浮気性。6階一の美女「イヒヒのオバサン」という、患者達から慕われた看護婦と、目下熱烈な恋愛行進曲を奏でている。

 

「中隈君 当年25歳。独身。」

玉ちゃん、という玉の如き女性に憧れ、時に親切にされては人前で自慢するが如くに褒め讃え、時に振られては売女呼ばわりするが、最終目的は肉体の歓楽にある。…独身ではあるが、尼崎に理無い(わりない)女性の居ることが最近、バラされた。

 

「山本 当年23歳。独身。」

色目を使うのが子供の頃からの癖で、肋膜で入院したにも拘わらず、眼科に掛り通し。医者もこの悪性眼病には手を焼いている。が、悪い所と云えばそれ位で、ここに特記すべきは才気(特に文才)に長け、お金持ちの次男坊ということだ。

 

「守屋君 当年22歳。独身。」

Mの大きさで名を売り出したと云っても過言ではない。ダービーに優勝したコダマ号が彼のMを一目見るや生れて初めて見る自分より大きな一物に目を回したというエピソードは余りにも有名。しかも許嫁であるスマちゃんは大好きと来ているから、この男に打って付け。

 

「齋藤君 当年21歳。 独身。」

 入院していても彼の勉強心は去りやらず、3人部屋の女性をモデルにアイマイ宿の親方とならんが為の修行に余念がない。将来は天六に店を構える段取りが付いている。

 

 大体、以上の如くに一言紹介しておいたが、皆が皆、助平ではない。殆どは助平に違いはないが中隈君と山本は少し違う。中隈君は将来の総理大臣と目される人物である。よしや総理大臣を逸したとしても交野町町会議員の席は固いだろう。一方の山本の方は未来の駐独大使は太鼓判である。口の悪い連中は捻くって中毒大使と云ったりするが、そんな奴は後日、泣く目に合うだろうことは明らかである。

 

(一)

 守屋君は朝から元気なく、呼び掛けてもロクに返事しない。時々、発作的に「チクショウ」と怒鳴る。……

                                      (続く)