第2章「人生」㊻~㊼……奇跡・運を凌駕する神秘の力 | 獏井獏山のブログ

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人生㊻「生かされている自分」

今ほど「自分は生かされている」と感じた事はない。もっと正確にいうと、私を支える有形・無形の力によって「生かして貰っている」と。

 

…私はこれまで幾度となく危険な目に遇い、死神と直面したことも何度かある。

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・中学校の頃、遊び時間に「押さえごっこ」をして砂場で下敷きになった時、上に乗り重なってくる子供4~5人までは耐えたが、大勢がワァワァと声を上げて乗り上げてきた段階では口中に砂が入ってきて息が出来ず「もうダメだ」と思った。が誰かが救ったのか、気が付くと重みが無くなって助かっていた。

 

・高校時代、下校時に、丘の上にある校庭から道路まで約30mある急勾配の坂を下る時、坂の途中でブレーキが利かないことに気付いた。若しこのまま下って行けば正面にある家のブロック塀に激突するとの咄嗟の判断で坂の横にあった落差約3mの田圃に突っ込んで一命を取り止めた。その時の衝撃で自転車ペタルのフレームが曲って近くの自転車屋まで押して行ったが負傷や痛みは覚えていない。

 

・役所の勤務を終えて、夜更けまで飲み、最寄駅から自転車の帰り途、悪戯に仄暗い駐車場に乗り入れ、侵入防止の鎖で転倒して(こめ)(かみ)を強打した。其処は鎖止め用の鉄杭から20センチ離れた場所で、あわやの即死を免れた。

 

・福井勤務の頃、市内で飲んだ上、福井電鉄を途中下車して熊谷家に寄った事が2度ある。1度は自宅まで歩いて帰る雪道で滑って倒れ眠くなった時、「こんな所で寝たらアカンで。」という天国の母の声に起こされた。2度目は市内で清酒5合、熊谷家でコップ2杯のウイスキーをストレートで2杯飲み、動けず泊まった真冬の夜中3時過ぎに苦しみ、掛り付けの医者が来てくれて強心剤を打って帰った。翌日、迎えの妻に連れられて行った医院で「心臓も肝臓も破裂し掛っていた。」と云われたが、1週間寝ただけで立ち直った。

 

・「池で行わる村の恒例行事」で、「家族旅行の鳥取砂丘海岸浅瀬」で、「職場仲間で行った友ヶ島」で、泳げない私の腕を掴んで死の淵に引っ張り込もうとした死神に直面したが無我夢中で逃れた事がある。

 

・年度末、今日が調査の最終日という折、駅から調査対象機関まで歩いていた後から追突されて3m程飛ばされた。腰と膝を強打して寝込んだが、1ヵ月で歩けた。(その時の後遺症として腰痛は今も続いているが…)

 

・現役生活これが最後という日、荷造りを終えてコンテナトラックを送り出し、愛車で和歌山宿舎を後にして阪和高速を降り、国道170号線に入って信号待ちをしている時に後から4トン貨物車に追突された。命に別状なかったが愛車セフィーロのトランクはグシャグシャに壊れ、鞭打ちで頸椎がやられ、腕や指先の神経痛と痺れが遺されたが、不具者にはならずに済んだ。

 

・還暦を迎えた後も、大酒を飲んでネオン輝く段差のない綺麗な歩道で前のめりに倒れて顔面打ちし血塗れになり前歯3本を折った。それも1ヵ月も経つと、顔に傷跡を残したのと、頸椎狭窄症による腕や指の痺れだけで済んだ。

 

・久々に実家へ帰った夜、酒を飲んで酔いが回った時、真っ暗がりの表に出たのはいいが、建て替えられた家の玄関から道路へ降りる階段(3段)がある事をフッと忘れて、踏み出した足が滑って転落し両腕を突いたものの重い頭を支え切れず地面に顎を叩き付けた。耳に近い顎の根元は未だに時々痛む。しかし、この時若し、這いつくばらずに足で堪えて蹈鞴(たたら)を踏んでいたなら逆に2メートル幅の道の向いにある植え込みの土台石に頭を打ちつけていたかも知れない。顎で済んだのは不幸中の幸だった。

 

・上着のポケットに手を突っ込んだまま2階への階段を昇る途中でスリッパの先が引っ掛かって前に倒れた時、手が出せず階段の門出胸を強か打って未だに肋骨が痛むが、顔を打たなかった。

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上記の他にも今直ぐには思い出せないが似たような事故に遭った事が幾つもある。

その結果、今では首、胸、肩、腕、腰、膝、手足の指、など身体中に神経痛や痺れを抱える為体である。

事故ばかりではない。そんなことで若い時から色んな医療機関に通ったが、私には悪い癖があって、診察室に入って医師の前の椅子に座ると同時に、机の上で頬杖を突くのである。「それが悪い。その癖が背骨を曲げる原因だ。」と、何人もの医師に叱られた経験がある。

 

夜の電飾で明るい歩道で顔面打ちをして以来、国立病院を始め4~5の医療機関でCTやMRIを撮り、何人もの整形医に「ひどい頸椎狭窄症と脊椎狭窄症が生じている。早々に手術した方がいい。」と顔を合わす度に云われた。そして3ヶ月前に掛った整形クリニックの医師には「直ぐにでも手術しないと、今の状態で車に追突されたり、転倒して頭などに衝撃を受けたら、2度と動けない身体になる。神経系統の傷害はそうなってからでは回復手段はない。」と最後通告を出されたばかりだった。…なのに…

…つい最近、最悪の事態を迎えてしまった…

 

…その日、熟年会のグランドゴルフ大会があり、午後から昼食会を兼ねた懇親会が催された。この時飲んだ酒の美味さは格別だった。気分最高の中で始まったカラオケで2曲唄った。会は3時にはねて、集会所から我が家までの約100mの道をふらつきながらも楽しい気分で帰り着き、家に入って二階の自室で着替えもした。その時ふと競馬の結果が気になりパソコンのスイッチを入れたまでは良かったのだ。しかし次の瞬間、事故が起こった…

 

…悪条件が3つ重なったのだ。①何も急ぐ必要のない競馬のレース結果を見ようと思い付いたこと。②机に肘をついてPCを見ている最中に急に睡魔に襲われたこと。③使っている椅子の脚輪が余りにも滑らかだったこと。…である。

 

睡魔に襲われた瞬間、机の端に突いていた肘が滑って身体が傾くと同時に、滑らか過ぎる脚輪の付いた椅子が後に転がって尻から外れて眠った身体が横転したのである。立っていて倒れたなら手も突けるが座ったままだとそれも叶わず諸に頭から落ちるしかない。…全身の重みを乗せた頭は、畳の上に敷かれコチコチに使い古された絨毯の上に直撃したのだ。

…どうやらその瞬間は目覚めてなかったようだ。様子を見に階下から上がってきた妻が顔の血を拭いているのに気が付いた。「どうしてこんな事に…」血を拭きながらそう云った妻が「兎に角座って。」と云った。身を起こそうとしたが動けない。力を入れようとしたが右腕が全く動かせないのだ。

 その時私はこの前の医師の言葉を思い出して「俺は終った!」と思った。

医師の云った通り身動きできない身体になったのだ、と覚悟した。

 

 ところが5分ほど経って、感覚を失っていた右腕に激痛が走った。…感覚を取り戻したのだ。座って鏡を見ると顔の左3か所から血が流れ、鼻っ柱は真っ赤に腫れ上がり、左腰からも血が出ていたが、身体麻痺は免れた。

 

 その後も顔の傷跡は痛み、偏頭痛、益々酷くなった耳鳴り、腰痛の倍加、膝痛の再発、など等の後遺症が日替わりに次々と出てきて苦しい日々を強いられてはいるが、転倒後4~5日眠れなかった程の右腕の激痛は和らぎ、右目、右足には支障が無かったので運転は可能で、口にも影響なしで民謡会にも参加でき、ゲーム数を減らせばグランドゴルフやマグダーツも出来るようになった。

 

 これは奇跡に違いない。いや「奇跡」で、あれほどの衝撃から身を守れる筈はない。これは神が仕組んだ「戒め」に相違ない。余りにもふしだらで、身の程知らずの、年甲斐もなく無茶をし続ける私を窘める「戒め」に違いない。

 

 また今1つ、別な観点から見れば、数え切れないほどの怪我や危険に曝されながらも今ある身体に産んでくれ、千万の苦を背負って育て守ってくれた母、我儘で放蕩な厄介者に寄り添ってくれている妻をはじめ、家族、兄姉・親戚、先達・友人・仲間…計り知れない恩恵を与えてくれた人々が私を守ってくれている。

 

私は悟った。…何度となく危険や苦難を乗り越えてきたのは決して自力ではない。「私は生かされてきた。そして今もこの様に生かされているのだ。」と。

 

人生 「才能」  
「才能」は誰にでも備わっている。前にも云ったと思うが、全く「同じ大きさ」、「同じ量」で持っているのだ。

 自己の「才能」に関する受け止め方は人それぞれだが、概ね2種類ある。

 

A 1つは、持てる才能を表に出さなければ満足できない人間である。

 壁にぶつかろうが諦めないで頑張りに頑張って才能を開花させ、目標を達成して「良い人生だった。」と思う人は多く居るだろう。

 

b これに反して、そんな人と自分を見比べて「私は、皆さんが得たような事を何1つ達成していない。」と吐息をつきながら「でも、私は…よく分からないけど、毎日が楽しくて良い人生だった。」と呟く人も居る。

 私に云わせると、それこそ最高の人生だ!

 

 再度、云う。人は……全ての人は皆、質量ともに同じ大きさの才能を持っているのだ。

 その才能を表に出さなくても、苦を感じずに楽しい人生を生きられれば、これに勝る幸せはない。最高の人生だ!

 

 そして、本人が自覚していないだけで、体内に秘められた才能は「人柄」、「人望」という形で、ちゃんと出ているのだ。

 (注:これはb に該当する人物との会話からヒントを得た思い付きである。)