呟(戯言)㊴「推測の重要性」 | 獏井獏山のブログ

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・大事な会議(国会、府県議会、市議会、株式総会、内部定例会など)を茶化したり、国民の知りたい事を隠したり、唯一の被爆国なのに核兵器禁止条例に加入しなかったり、又か又かという程外遊して血税をばら撒いたたり、数えきれない程の国民損を招来しながら、口先で「国民の平和・安全・安心のために」などと言動不一致の事を云って人心を弄ぶ連中(頭目と若頭的子分)の云うことを直ちには信じないで、「本当か?」「鬼か蛇か?」「何故隠す?」…また、北朝鮮の核に対しても「自分ら(家族を含め)だけ既に核シェルターを確保しているのではないか?」「そんな私的な事に血税を使っているのではないか?」…等々その他、推測して、そんなことはないという説明が為されているか、何らかの形で納得できる証しがあるか、…等々の「推測と確認」を自分の頭の中で繰り返す習慣をつけることが大事である。

・「推測する事」は、心に引っ掛かる何かを見詰めるキッカケとなる。「推測」は今まで余り働かなかった頭を働かせるキッカケとなる。頭を活性化させボケ防止の訓練にもなるのだ。

・推測し、そして納得する。納得するまで推測し続け、深め、それでも答が出なければ、その疑問を解くために当事者に説明を求める。

・今の日本国民が心掛けるべき事の1つが「推測し、答えを求めること」だと思う。必要事項の極めて大きな1つである。(求めても答えずに茶化す奴が居るから困るのだが…そんな奴はその場から…拠って立つ足場から追い払うべし。)

 

・勿論、「現実直視」が第一であるが、メディアを通して知る現実には「全て明瞭」とはいかない。見えない部分、隠れた部分に「不審」があれば心を集中して「推測」することが非常に重要になってくると考える。(尚、識者による多角度の論評も参考になる。)

 

★(余談)時に「推測」は暑苦しさを忘れさせても呉れる。