人②「目覚ましパンチ」 | 獏井獏山のブログ

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・小学校時代、私はノートを使ったことがない。授業中はメモしないし、家でも宿題をした事がない。ただ、教科書と1冊のノートは義務的に何時も持たされていた。他の子は「国語」「算数」「理科」などの題を付けたノートを何冊も持っていた。私が持っていたノートには「何でも帳」という題が書いてあった。それを見咎めた女の先生が「何ですか、これは?もっとチャンとした題を付けなさい。」といったので「○○××△△帳」と書き直した。それでも「何が何だか分からないわね。」と叱ったので、分かり易く「何でも来いという帳面である」という題を付けたら呆れ顔で睨み付けたがもう何も言わなかった。

・中学校は小学校と同じ敷地内にあって38人の生徒も持ち上がりだった。

中学校には、体育の明石先生(酒②「酒の味」で紹介済)を除いて怖い先生が1人も居なかったので、殆どの時間は隣の子と雑談をして過ごした。そんな状態で3年生を迎えた時、新しく転入してきた教師が3年生の担任になった。柔道5段、頑丈な身体で声の大きい竹谷先生だった。受け持ち科目である英語の最初の授業が始まった。教科書の1頁目を開くと先生が「今日が初めてだから端から順に行こか。川崎、読みでみ。」と右端列、一番前の席を指して言った。川崎は立つには立ったが黙っている。「どうした。」「分かりません。」「え!?こんな易しい英語が読めんのか、そのまま立っとれ。しゃぁないな、次。」と川崎の後席の田淵を指したが、同じことだった。何人か進んでも読めなかったので呆れ顔の先生が「読める奴は手を上げろ。」と云いうと上げたのは女子生徒10人と男子生徒5人だけだった。呆れ果てた先生は黒板に「I am a boy」と書いて「1,2年で何やってたか知らんが、これ位わかるやろ。」と云った。先生としては試すというより、1年生でも知らない者は居ない筈の「イロハのイ」の英語で皮肉った心算だったに違いない。ところが再び当てられた川崎が「分かりません。」と云ったので先生は暫く黙り込んだ後「お前、机の上に立って、アイ・わたし、と100回云え。」と命じたのだ。そして順次、先っき手を挙げなかった生徒を順に当てて「アム・です、と100回云え。」、「ボーイ・しょうねん、と100回云え。」と命じていった。その日の授業はその繰り返しだけで終わり、最後に「this is a pen」と黒板に書いて「この英語のスペルと訳をノートに100回書いて明日出せ。」と云った。…翌日、宿題をしてこなかった生徒が10人居た。怒った先生は10人を並ばせると「1人ずつ前に出てこい。」と云って右手を振り上げ先頭の生徒の左頬っぺたを平手打ちした。2番目は左手で右頬を平手打ち、…以下、順番に1歩ずつ前に出る生徒の頬を右、左、右、左と打ち下していった。そして最後尾だった私には左手で右頬を打ち、それと同時に上がっていた右手は打ち下すべき生徒が私の後には居なかったので勢い私の左頬に打ち下されたのだ。つまり私だけ両の頬にパンチを浴びたのである。私は悔しさでべそをかいたが、後で考えるとこのパンチは愛の鞭だったのである。

・次の授業から竹谷先生はそれこそ英語の「イロハのイ」とも云うべき発音記号の読み方から教え始めたのだった。そして中学校を卒業する頃には「R」と「L」の舌使いの違いや「F」と「PH」の違い、「S」と「TH」の違いを含む、正しい発音で多くの英単語を覚えることが出来たのである。

 尚、竹谷先生は担任と云う立場で、英語以外の何科目にも亘って教え、遅れた授業を取り戻してくれた。この時の教えが無かったなら、竹谷先生という恩人に出会っていなかったら屹度、その後の我が人生の歩みは横道に反れて淀んでいたに違いない。