葛藤②「ため池の深みに嵌まる」 | 獏井獏山のブログ

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村の年中行事の1つに「総捕り」と呼ばれるイベントがあった。樋門を開けて満水だった池の水を抜き、大人の膝上ぐらいの深さまで減った段階で樋門が閉められ、村役の「よーし!」という号令が発せられると、堤で待機していた30人余りの老若入り混じった村人達が、「ウゲ」という竹細工や「掻給(かいだま)」という魚を掬う大きな網を手に手に持って、歓声を上げながら一斉に池の中へ駆け込むのだ。後は相競いながら手に持った漁具を使って足元を逃げ回る鮒や鯉などを捕まえるのである。中には素手で捕まえる者も居る。私も兄と一緒に池の中を歩き回って数匹の魚を取った。ワイワイと大騒ぎの中、1時間ほどの間に数百匹の魚が捕獲され総捕りは終了する。大半の人は堤に上がって引き揚げたが、折角ズボンまで水に浸かった(つい)でに田螺でも捕ろうと浅瀬を漁って回る人達も何人か居た。私は水の少ないこの機会に池の中を隈なく歩いておこうと思った。…夏、満水のこの池で他の子供達と泳ぐ時、‟犬掻き“しか出来ない泳ぎ下手な私は、樋門近くの浅い所で浸かっているだけで、池の真ん中まで泳いだことが無い。…少し歩くと底の高低段差が余り無いようだった。池の真ん中に行けるのはこの機会を逃しては二度とチャンスは訪れないだろう。そう思うと、私は池の真ん中辺りをジャブジャブと当てもなく歩き回った。そして、喜び溢れる気持で、何時も泳ぐ所の樋門とは反対側の角に儲けられている樋門に近付いた。…私を狙っていた魔物が牙を剥いたのはその時だった。突然、身体が深みに滑り落ちたのだ。樋門近くは排水時に勢いの付いた流水が土砂を(さら)うため長年の間に深い凹みが出来ていたのである。その凹みに落ち込んだショックで一瞬私は泳ぎを忘れてしまった。いかに泳げないといっても犬掻きで4~5mぐらいは泳げたのだが、咄嗟のことに腕が動かなかったのだ。「もう駄目だ。」と半ば諦め乍らも、私は夢中で池の底を歩いた。凹みは直径1メートル余りだったので足が直ぐに坂に当った。坂はヌルヌルしていて上がりかけては滑り上がりかけては滑る。私はガブガブと止めどなく水を飲みながら坂を這い上がる行為を繰り返した。そうするしか術がなかったのだ。そして、足の指先に力を入れてヌルヌル坂への挑戦を繰り返すうち、坂が削られて足場を得たのだろう。やっと身体が2~3歩前進した。水を飲みながら(もが)いていた箇所から1メートルにも満たない場所だったが、そこはもう池底の平地部分だったので身体の半分以上が水面より上に出ていた。済んでみれば些かの興味も引かない出来事ではあるが、その時の私は必死の思いで秒単位の闘争を繰り広げていたことは確かな事実である。

 換言すると…それは私の「強気」と、半ば諦めて「おいで、おいで。」と誘いかける魔物について行こうとする「弱気」との葛藤だったといっていい。…諦めず粘りに粘った結果、泥の坂に爪を立てて這い上がることが出来たのだ。