趣味㊶ 「株札・花札・トランプ ゲーム」(3) | 獏井獏山のブログ

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「オッコチ」

 

余談・その2

  1. 当時、「オッコチ」は職場の昼休みや就業後の休憩室など、要するに

人目の付く場所でも平気でやっていた。しかし「オッコチ」も、レートは取るに足りないが「麻雀」や「カブ」などと同じ賭け事に違いはない。それなのに女性を含め周囲の人は訝しがりもせず「面白そうですね。」と笑って見過ごしていた。表向きは紛れもない「ページワン」だからだろう。これなら女性も子供も家庭で普通にやっている遊びだ。大の大人が子供みたいな遊びなんかして、程度は思ったとしても怪しむことではない。

 しかし若し、職場で昼休みに部屋の隅にあるデスクを挟んだソファに座った数人が株札を使って「かぶ」をしたり、花札で「花合わせ」をしていたとしたら、傍を通る人は例外なく怪訝な目を向けたに違いない。

 表向きは違うように見えても「オッコチ」も「かぶ」も「花合わせ」も勝負事という意味では微塵の差もないゲームなのである。なのにの差は何か。それは耳学問で頭に植え付けた先入観に過ぎない。それは、同じような事柄を口先で別物と認識させる「詭弁」と同じだ。これに類する事例は幾らでもあるがホンの1例を挙げると……

例えば「東北の復興は最大の政治課題だ。懸命に取り組んでいる。」と口先で言っておけば、失言ばかり吐く頼りない人間に一任し事実上放置しても、また「責任は私にある。」と一見前向きな姿勢を思わせる言葉を吐いておけば、国民は「やるべき事はやっているんだな。」と、水面下(裏側)にある真実を見抜けずに信じてしまうのと同じだ。それは、「私にある」と明言した筈の「責任」は「何も取らない」で、身内の不始末の尻拭いに奔走したり、平然と手に手を取って頻繁に公費世界旅行したり、血税をばら撒いてカッコ付けたり、「わが国の安全は我が手で守る必要がある。安全・安心を確保するために為すべき事を成す」と云って「危険な5本柱」を着々と粛々と構築し、「共謀罪法」なるもので(途中経過として威圧に依って暗に言論を抑制し)将来に向けて民心をコントロールすることに依って、「平和憲法」の軸を成す「国民主権」の思想を「施政者主権」にするための下地を着々と進めんとする魂胆を包み隠す「詭弁」と概ね差違はない。

 こんな風潮が悪い奴、狡い奴、権限を持った奴らに伝播して真似する輩が後を断たない。困った事だ。政治は小市民が細やかな楽しみとしてやっている勝負事とは違う。当事者でない第三者たる国民に及ぶ害悪は膨大なのだ。舵取り役を変えないと大変なことになるのじゃないかと思うと鳥肌が立つほど恐ろしい。そんなことに気付かない無関心な人が沢山居る現実が末恐ろしい。(余談はここまで。)